バレエ・リュスとは? わかりやすく解説

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バレエ・リュス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/09 04:34 UTC 版)

バレエ・リュス: Ballets russes)は、ロシア出身の芸術プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフ1872年 - 1929年)が主宰したバレエ団である。


  1. ^ 今谷和徳、井上さつき『フランス音楽史』春秋社、2010年、391ページ
  2. ^ 『オックスフォード バレエダンス辞典』
  3. ^ バックル、前掲書、上巻209ページ
  4. ^ Taruskin (1996), p. 522.
  5. ^ Taruskin (1996), pp. 528–535.
  6. ^ Taruskin (1996), pp. 548–549.
  7. ^ Taruskin (1996), p. 552.
  8. ^ パオラッチ (2017), p. 242.
  9. ^ パオラッチ (2017), p. 243.
  10. ^ パオラッチ (2017), pp. 246–247.
  11. ^ パオラッチ (2017), pp. 247–248.
  12. ^ パオラッチ (2017), pp. 248–250.
  13. ^ 1907年マリインスキー劇場で初演された作品。
  14. ^ グリンカグラズノフリムスキー=コルサコフムソルグスキーチャイコフスキー
  15. ^ ストラヴィンスキーグラズノフタネーエフリャードフソコロフ
  16. ^ 1917年の再演ではカルロ・ソクラテ
  17. ^ 1908年マリインスキー劇場で『エジプトの夜』のタイトルで初演された。
  18. ^ アレンスキータネーエフムソルグスキーチェレプニングリンカグラズノフリムスキー=コルサコフ
  19. ^ 1910年にペテルブルクのパヴロフ・ホールで初演された作品
  20. ^ リャードフグラズノフリムスキー=コルサコフチェレプニン
  21. ^ 1814年パリ王立アカデミーで初演。
  22. ^ 火の鳥とツェレビーナの衣裳のみ
  23. ^ グラズノフボロディンアレンスキーグリーグシンディングストラヴィンスキー編曲)
  24. ^ 後にフォーキンも「薔薇の精」役を踊った。
  25. ^ 1877年に初演された作品
  26. ^ リチャード・バックル、鈴木晶訳『ディアギレフ ロシア・バエレ団とその時代』リブロポート、1984年、上巻248ページ
  27. ^ 1922年の再演ではパブロ・ピカソ
  28. ^ 1922年の再演では、ニジンスカ
  29. ^ 1920年マシーンによる新振付で再演
  30. ^ マシーン振付による1920年の再演ではリディア・ソコロワ
  31. ^ オペラは1909年にモスクワで初演された
  32. ^ 『パヴァーヌ』に基づく。
  33. ^ アメリカでのみ上演。ディアギレフが一度も見なかった唯一の作品となった。
  34. ^ 1925年バランシンの新振付で再演された。
  35. ^ 1929年リファールの新振付で再演。
  36. ^ 1926年マシーンの新振付で再演。
  37. ^ 幕間の振付のみ
  38. ^ 1924年に「ソワレ・ド・パリ」(ボーモン伯爵主宰)で初演された作品
  39. ^ 1929年ココ・シャネルが新しい衣裳デザインを担当
  40. ^ 『ダフニスとクロエ』から転用
  41. ^ 『羊飼いの誘惑』から転用


「バレエ・リュス」の続きの解説一覧

バレエ・リュス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 01:48 UTC 版)

ダフニスとクロエ (ラヴェル)」の記事における「バレエ・リュス」の解説

関係者葛藤対立の末に誕生したダフニスとクロエ』は、バレエ・リュスのレパートリー一つとなった再演機会には恵まれなかった。初演2年後1914年モンテカルロロンドン上演されたが、その後10年間にわたって上演されることはなかった。 第一次世界大戦中1917年12月、バレエ・リュスの一行公演ツアーのためポルトガル首都リスボン訪れたが、運悪く到着後に軍事クーデター勃発し一行泊まった宿の近くでも銃撃戦が行われた。ホール汚く暖房きかない上に満席になることは一度もなく、首都行われた公演としては最悪なものとなった。しかも次の仕事決まっておらず給料支払われなかったため、団員だちは3ヶ月わたって冬のリスボン足止めされ、飢え寒さ苦しむことになったディアギレフ次の仕事求めてリスボン離れている間、留守任され舞台監督のセルゲイ・グリゴリエフ(ロシア語版)は、1914年以来上演されていなかった『ダフニス』の稽古思い立ったが、公演のあてがあるわけでもなく、団員にとっては無駄な努力でしかなかった。このリスボンでの忌まわしい思い出と結びついた『ダフニス』はその後、バレエ・リュスの団員にとって不吉な演目見なされるようになった1924年1月ディアギレフモンテカルロにおいてフランス作品ばかりを集めたフランス芸術祭」を開催した。この企画のために『ダフニス』は10年ぶりに再演され、アントン・ドーリンダフニスを、リディア・ソコロワ(英語版)がクロエ踊った。ただし、その頃にはすでにフォーキン振付覚えているダンサー誰もいなかったため、グリゴリエフが曖昧な記憶頼り振付再現し一部ニジンスキーの妹ブロニスラヴァ・ニジンスカ新たに振付けた。この年ダフニス』はモンテカルロ引き続きバルセロナリセウ劇場でも上演されたが、これがバレエ・リュスにおける『ダフニス』の最後公演となり、1929年にはディアギレフ死によりバレエ・リュス自体解散した。グレゴリエフは次のように『ダフニス』を振り返っている。 舞台監督として長い経験から、私は運のいいバレエと運の悪いバレエがあるという結論出していた。そして「ダフニスとクロエ」は運が悪いほうだった。どういうわけかレパートリー定着することができず、たいへんな苦労の末に復元され今回また、たった二回か三回の上演の後、レパートリーからはずされた。音楽装置衣装振付美しかったのに、何らかの悪意彩られ運命影響及ぼしていたのだろう。 — セルゲイ・グリゴリエフ、セルゲイ・グリゴリエフ 薄井憲二瑠依子訳『ディアギレフ・バレエ年代記:1909-1929』平凡社2014年7月ISBN 978-4-582-83665-3、213頁より引用

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バレエ・リュス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 08:10 UTC 版)

眠れる森の美女 (チャイコフスキー)」の記事における「バレエ・リュス」の解説

1921年11月から翌年2月にかけて、セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスは、ロンドンで、『眠れる森の美女』全幕を『眠り姫』(The Sleeping Princess)のタイトル上演した従来のバレエ・リュスは新作バレエ中心に上演しており、本作のような全幕の古典バレエレパートリー入っていなかったが、この頃新作発表できる振付家不在であったことと、ディアギレフチャイコフスキー傑作西欧へ紹介したいという思い抱いていたことから、上演運びとなった振付手掛けたのは、ニコライ・セルゲエフ(英語版)とブロニスラヴァ・ニジンスカである。セルゲエフはマリインスキー劇場の元舞台監督で、ロシアから亡命した際に、プティパ版眠れる森の美女』の舞踊譜持ち出していた。ニジンスカはその舞踊譜元にマイム演じられていた場面ダンス置き換えたり、新たな振付追加したりといった改変加えたまた、レオン・バクスト豪華な舞台美術デザインし出演者一流ダンサー揃えられた。 にもかかわらず本作は、バレエ・リュスに前衛的な作品期待していた人々支持を得ることができず、観客からも批評家からも不評であった公演当初予定していた上演期間の終了前に打ち切られディアギレフ多額借金背負い衣装舞台美術もすべて差し押さえられた。しかしこの公演は、イギリスに『眠れる森の美女』を紹介し、後のロイヤル・バレエ団による全幕上演きっかけ作った点や、ニジンスカが振付家として本格的に活動する契機となった点で、後のバレエ史に影響与えている。なお、バレエ・リュスは1922年5月に『眠れる森の美女』の抜粋版である『オーロラ姫結婚』を制作してパリ・オペラ座初演し、その後はこの抜粋版をレパートリーとして上演し続けた

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バレエ・リュス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 23:07 UTC 版)

タマーラ・カルサヴィナ」の記事における「バレエ・リュス」の解説

1906年以来パリロシア絵画音楽紹介し続けたセルゲイ・ディアギレフは、1909年シャトレ座舞台とするバレエ公演企画した。この、事実上のバレエ・リュスの旗揚げ公演は、夏季休暇中のマリインスキー劇場ダンサー借りる形で行われパヴロワフォーキンニジンスキーとともにカルサヴィナもこれに参加した。この時にパリ町中に貼られたポスターには、セーロフ画によるパヴロワの姿が描かれており、帝室バレエ団プリマ・バレリーナであったパヴロワ公演目玉とされていた。しかし、彼女はアドルフ・ボルムやニコライ・レガートらと小さな一座率いて東欧巡演であったため、1ヶ月わたったバレエ・リュス公演のうち、参加できたのは後半のみであったパヴロワ欠いた状態で始まったバレエ・リュスの公演最初作品アルミードの館』において、カルサヴィナは「主人公アルミード友人」という脇役演じたが、バルディナ、ニジンスキーとともに踊った本筋と関係のない途中パ・ド・トロワパリ聴衆高く評価され翌日の『ル・フィガロ』紙の第1面にはニジンスキーとカルサヴィナを描いたデッサン大きく掲載された。また、公演期間途中に『アルミードの館』の主演バレリーナであったヴェーラ・カラーリが団員駆け落ちするという事件が起こったため、カルサヴィナは急遽代役としてアルミード演じることとなり、このことでますます名声高まったパヴロワパリ到着した頃には、すでにカルサヴィナは定冠詞付きの「ラ・カルサヴィナ」としてパリ人気独占しており、公演終了後にはカルサヴィナのもとにイギリスアメリカオーストラリアなど、各国劇場からオファー殺到した。 翌1910年パリ・オペラ座行われた公演では、パヴロワ主役とする『ジゼル』と『火の鳥』プログラム中心に据えられる予定であったが、パヴロワロンドンパレス劇場との契約優先させたため、いずれの演目もカルサヴィナがタイトルロール演じることになった一説にはパヴロワ『火の鳥』音楽理解できず、嫌悪したからであるとされる)。『ジゼル』がフランスで上演されるのは実に1868年以来のことであった観客の反応芳しくなく、注目されたのはむしろ新作『火の鳥』音楽イーゴリ・ストラヴィンスキー振付フォーキン)の方であった作曲者ストラヴィンスキーキャストについてパヴロワ「火の鳥」役にふさわしく、カルサヴィナには王女の役が適していると考えていたが、実演でのカルサヴィナの完璧な踊り満足した。カルサヴィナの「火の鳥」は、パヴロワの「瀕死の白鳥」に匹敵する当たり役だとされている。 この2年間の成功により、ディアギレフはバレエ・リュスを常設バレエ団とすることを決意し団員集めた帝室バレエ団退団してバレエ・リュス専属踊り手となる者も多かったが、カルサヴィナは1910年帝室バレエ団プリマ・バレリーナ昇格しており、この身分保持したままでバレエ・リュスに参加した2つバレエ団掛け持ちすることが可能だったのは、勤続年数が短いカルサヴィナの収入保証する目的で、帝室バレエ団プリマ・バレリーナありながら身分ゲスト扱いとし、自由に休暇を取ることを認めたためである。 バレエ・リュスでのカルサヴィナは第一次世界大戦までに、『薔薇の精』(1911年)の乙女役、『ペトルーシュカ』(同年)の踊り子役、『タマーラ』(1912年)のタイトルロール、『ダフニスとクロエ』(同年)のクロエ役、『遊戯』(1913年)の少女役、『サロメの悲劇』(同年)のタイトルロールなど、多く作品出演したニジンスキーはこの時期のよきパートナーであり、『薔薇の精』、『ペトルーシュカ』などで息のあった演技披露した

※この「バレエ・リュス」の解説は、「タマーラ・カルサヴィナ」の解説の一部です。
「バレエ・リュス」を含む「タマーラ・カルサヴィナ」の記事については、「タマーラ・カルサヴィナ」の概要を参照ください。

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