王室
帝室
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オーラハン タルシュ帝国皇帝で、ハザールとラウルの父。僅か一代で他国を征服し、帝国を超大国へと育て上げた名君。現在は重病の床にある。40代になるまで子宝に恵まれず、六人の子を得たが2人を事故と病で亡くした。後述の太陽宰相・アイオルとは旧知の仲。物語の終盤に、後継者の名指しをアイオルに任せて没する。一般的に大柄な体躯で知られるタルシュ人にしては小柄であった。 ハザール タルシュ帝国の第一王子で、次代皇帝の座を弟のラウルと争っている。南方の遠征を行う〈南翼軍〉の総司令官。読書を好む、物静かな男で、母である皇后に似て細面で長身。弟・ラウルに先を越され、北の大陸遠征軍の指揮権を奪われるが、名誉回復の為にロタ王国にヨゴ人の〈ターク〉を送り込み、かねてより調略を行っていた、現王制に不満を持つ南部諸侯に決起を呼びかけ、またカンバル王国にも南部諸侯側として、ロタの内戦に介入する約束を取り付ける。 ラウル 演 - 高良健吾 タルシュ帝国の第二王子で、次の皇帝の座を兄ハザールと争っている。ヒュウゴにチャグム誘拐を命じた本人。サンガル攻略における功とチャグムの捕縛を評価されて、北の大陸侵攻での指揮権を皇帝より与えられた。捕虜となったチャグムにタルシュ帝国の国力を見せつけ、服従を迫る。 ユラル タルシュ帝国の第三王子で、皇帝の三男。初登場時二十三歳。 カサリナ タルシュ帝国の皇女で、皇帝の末娘。初登場時二十歳で、昨年結婚したばかりである。
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帝室
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詳しくは古国時代の人物一覧も参照 これらは全て伝説上のものである事に留意。 神農 (1) 51年間在位。 帝臨魁(2) 60年間在位。 帝承 (3) 3年間在位。 帝明 (4) 54年間在位。 帝直 (5) 23年間在位。 帝来 (6) 54年間在位。 帝哀 (7) 51年間在位。節莖 帝哀の子。 克 節莖の子、帝楡罔の父。 帝楡罔(8) 55年間在位。阪泉で敗れ滅亡。 また、飛龍氏、潜龍氏、居龍氏、降龍氏、土龍氏、水龍氏、青龍氏、赤龍氏、白龍氏、黒龍氏(黄龍氏)の氏族が太陽神・神農の子孫として支配したとされるが、当時の「氏」を太古時代のように個人として扱う場合は、10代8帝の帝室と符合する。
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帝室
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満洲国では日本の皇室との混同を避けるため、「帝室」と呼んで区別した。 溥儀とその遺臣たちは、この国家は清朝の復活であり、後世「後清」「北清」と称されるべき王朝という認識であった。しかし、1937年(康徳4年)に公布された帝位継承法第1條は「滿洲帝國帝位ハ康徳皇帝ノ男系子孫タル男子永世之ヲ繼承ス」とされ、溥儀を始祖とする新王朝であることが明記された。 そのため、満洲国帝室とされた者は、 溥儀(皇帝) 婉容(皇后) 譚玉齢(側室・祥貴人、明賢貴妃) 李玉琴(側室・福貴人) の4人だけで、父の醇親王載灃や実弟の溥傑を始めとする愛新覚羅一族は帝族ではなかった。もっとも、もともと溥儀は清朝第11代皇帝光緒帝の養子として帝位を継承しており、その時点で正式な醇親王家の人間ではなくなっていることも考慮しなければならない。また、満洲国建国と溥儀の即位に反対した醇親王を帝室から排除する政治的圧力がはたらくのはごく自然な流れでもあった。 皇后の称号について、溥儀の第二次訪日の際、日本の皇后との混同を避けるために「帝后」という呼称を使用してから、正式には常に帝后と呼びならされていたが、内廷(満洲国皇宮)内では依然として皇后と呼んでいた。
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