高速道路 概要

高速道路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 17:36 UTC 版)

概要

高速道路は、自動車が高速に走行でき、しかも高速走行時にも安全に走行できるように設計・整備された道路のことであり、 安全のために自動車専用道路としてあり、事故の多い平面交差を廃し、代わりに立体交差を使う。通常、高速道路に関して法規を制定し、走行してよい車両を(高速走行が可能な、一定以上の排気量の車などに)限定し、また何らかのゲートを設置したり入口に道路標識で表示することで、一般道路から歩行者や自転車や、低速でしか走行できない小排気量の車両などが進入することを防ぐ。

国や地域によって名称や規格などは異なっている。高速道は国や地域の道路網の基幹・中核を担う役割を担っている。また、平行して走る一般道路渋滞緩和の効果ももたらす。

高速道路の名称は、世界各国で異なっている。ドイツ・オーストリアは「アウトバーン」、アメリカ・オーストラリアは「フリーウェイ」、カナダは「トランスカナダハイウェイ」、フランスは「オートルート」、イギリスは「モーターウェイ」、イタリアは「アウトストラーダ」と呼んでおり、日本では俗に「ハイウェイ」と呼ばれることもある[1]。→#世界の高速道路

世界で最初に高速道路が建設された国は1924年のイタリアで、次いでアメリカと続き、その後世界各国で高速道路が建設された[1]。→#歴史#各国の高速道路の概要

歴史

高速道路の前段階

(まだ高速道路というわけではなく、高速道路の前段階の話にあたるが)1908年アメリカにおいて「世界初の自動車専用道路」とされるロング・アイランド・モーター・パークウェイ(Long Island Motor Parkway)がニューヨークで開通した。) 1920年代に入ると、ニューヨークのパークウェイはニューヨークのマスタービルダーと呼ばれるロバート・モーゼスによって広い範囲へと拡大が進められた。モーゼスはパークウェイを、アメリカ合衆国を自動車指向社会へと発展させるための道具であり、混雑の激しい都市地域からロング・アイランドの開発途上地域へと人口を分散させるための手段であると位置づけ、積極的な拡大方策を採った。

高速道路の始まり
「世界初の高速道路」である、1924年に開通したイタリアの「湖の高速道路」。現在のA8及びA9に当たる区間。その路線図。

ここからが高速道路の話だが、1924年イタリアミラノコモ湖マッジョーレ湖を結ぶ「湖の高速道路」(Autostrada dei Laghi)が1924年に開通した。これが「一般車両[注釈 1]が高速走行できる自動車専用道路として世界で最初のもの」とされる。

一方ドイツでは、まず軍事目的も意識して高速道路が構想され(アウトバーンは「軍用機滑走路としても使える道路」として構想され)、1932年にアウトバーンのボン - ケルン線が初開通し、1933年アドルフ・ヒトラーが政権につくと、(それ以前の第一次世界大戦で自動車が活躍したことを念頭に)アウトバーンの建設計画が推し進められ、第二次世界大戦前までに3859キロメートル (km) の高速道路網を完成させていった[2]

アメリカでは、1940年ペンシルベニア州のペンシルベニア・ターンパイク開通を皮切りに高速道路時代に入り、目覚ましい発展をみせていくこととなった[2]

(一方、イギリスはそもそも蒸気機関産業革命を成し遂げた国であり、「鉄道発祥」の国とされ、1804年に同国のリチャード・トレビシックが蒸気機関車を発明し、1825年には同国が鉄道を開通させるなど、世界で最も古くから鉄道を使っている国で、鉄道が同国の誇りであり、陸上交通は(道路ではなく)むしろ鉄道を中心に発達させた国であることが仇となり、高速道路の建設は遅れることになった。)イギリスは(道路先進国でもありながら)高速道路では一歩後れを取り、本格的な高速道路建設が始められたのは1957年以降のことであった[2]

(日本でも、明治政府は陸上運送の強化は鉄道建設を中心に行ったので)日本の道路事情は欧米諸国に大きく遅れをとっていたが、戦後の高度経済成長期にあたる1963年昭和38年)7月16日に、日本初となる高速自動車国道として、名神高速道路栗東IC - 尼崎ICが開通した[2]

アメリカの州間高速道路網は長らく世界最長の高速道路であったが、急速にインフラ整備を推し進める中国の高速道路の総延長が2011年に世界最長になった[3]

幾何構造

カナダオンタリオ州Highway 401. トロントに通じる4重高速道路が特徴のコレクター・エクスプレス・フリーウェイ構造の例。

高速道路は高速走行を容易にするため、設計上カーブの曲率や勾配(アップダウン)を緩和した線形としている。また、対向車線の自動車との衝突をさけるために中央分離帯が設けられることもある。故障した場合に停車できるために路肩のスペースも広く設けられている場合が多い。

高速道路は原則として信号機交差点を極力設けないなど他の道路とは独立しており、他の道路や鉄道とは立体交差されている。高速道路への流入は交差点を用いず、インターチェンジ(IC)を用いる。また信号機も使用しない。特に高速道路同士での交差は、ジャンクション(JCT)と呼ばれる。

そのため高架盛土などの構造物を建設して、その上に作られる場合もある。山間部のような地形では、トンネルも多用される。


  1. ^ 軍事目的でない、一般の車両。
  2. ^ これは簡潔に説明することは困難である。日本では与党議員らが国会で国民に対して「最初は有料でも、しばらくしたら(アメリカのように)無料化し(利用者にとって、まるで夢のような状態になるから)、ともかく今は建設のための大規模予算を組ませてくれ。建設に使った税金は、あとで「無料の高速道路」という形で国民に返すから」という主旨の約束を堂々として、高速道路を建設したものの、何十年たってもその約束を守らず(アメリカと違って、日本政府の財政状況では守れず、「前の内閣が約束したことだから」と言い訳を言い始め)、有料のままになり、そのかわりに、最近ではTVCMを流して高速道路の保守に多額の費用がかかることを説明しつつ料金徴収することへの理解を国民に求めたり、運送業界の顔色を伺ったり一般国民の顔色をうかがって料金を変更したり、近年では時間帯などにより料金を変化させる変動料金制を試みたりしている。
  3. ^ 大陸にある国とは異なり、日本の国土は数千の島々から成っており(島々を結ぶ交通は、必然的に船を用いた水運になり)、比較的大きな島ですら山がちで、平地が(大陸と比べて)明らかに少なく、長い道が作りづらかったが、その代わり、海に囲まれ雨量が多くて河川の数やそこに流れる水量が豊富という利点を活用し、(古代から、江戸時代や明治期まで)陸上交通よりも水運が、中心的な役割を果たしており[2]、明治になり明治政府がようやく(水運と並行して)陸運にも力を入れ始めたものの、それは主に鉄道を開発することで行われていたので、日本では、大正時代や昭和時代前半でも、そもそも一般道や舗装道路の建設すら遅れていた。1956年(昭和31年)に提出されたワトキンス・レポートでも、日本の道路事情の悪さは痛烈に指摘された。






高速道路と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高速道路」の関連用語

高速道路のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高速道路のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高速道路 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS