青函連絡船 旅客輸送と利用状況

青函連絡船

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旅客輸送と利用状況

最盛期

青函航路は、本州・北海道間の一般的な移動手段が鉄道だった1960年代までは、メインルートの一部を担っていた。青森発着の「はつかり」「みちのく」「白鳥」などの特別急行列車や特急「はくつる」、「ゆうづる」、急行「八甲田」、「十和田」などの夜行列車、函館発着の特急「おおぞら」、「北斗」、「北海」、「おおとり」、急行「宗谷」、「ニセコ」、「すずらん」などの優等列車や夜行普通列車は、青函連絡船との接続を重視したダイヤを組んでいた。青森と函館では深夜・早朝に発着する例(下記の1・2便接続)も見られたが、札幌での時間を有効に使えることから、利用率はかなり高かった。

なお、上野駅 - 青森駅を結ぶ寝台特急「ゆうづる」は、最盛期には7往復が設定され、岩手県内や青森県内での有効時間帯を重視したダイヤ以外に、電車寝台を使用した列車を中心として青函連絡船接続(3・4便)を意図したダイヤも組まれていた。列車番号に関しても、電車寝台を使用した1往復を除き2本ずつの続行運転を行っていたため、下り列車は先発列車が5000番台、続行列車が一桁もしくは二桁の列車番号が与えられていた(上り列車は逆となる)。各列車の列車番号と、接続する青函連絡船の便名は揃えられており、下りの1便接続を例にとると、本州側が「はつかり」の「1M」や白鳥の「4001M」など、北海道側が「おおぞら」の「1D」や「北海」の「11D」などとなっていた(同時間帯の上りはそれぞれが「2」となる)。

青函航路と接続列車との間には最短でも20分程度の乗り換え時間が取られていたが、列車が青森駅や函館駅に到着した際、あるいは連絡船がそれぞれの桟橋に着岸した際には、目指す船や列車の席(自由席)を確保しようとする乗客でプラットホーム跨線橋がごった返す様子もみられ、荷物を抱えた乗客が競って駆け出すことから「桟橋マラソン」と呼ばれる光景を見せていた。ときには接続する連絡船が定員を超えて乗船できない「積み残し」が起こることもあった。

なお、鉄道の座席指定券の発売は乗車1か月前(1980年(昭和55年)9月までは7日前)からが原則であるが、青函連絡の乗客の座席を最優先に確保するため、本州・北海道の指定券を乗継割引で購入する場合は、指定券は1980年(昭和55年)9月までは8日前から、同年10月以降は1か月1日前からそれぞれ発売された。1か月1日前発売(1980年(昭和55年)9月までは8日前)となる列車は指定されており、函館発は全ての列車が対象になっていたのに対し、青森発の列車は「はつかり」(1980年(昭和55年)9月までは全列車、同年10月以降は2号のみ)、「みちのく」、「白鳥」、「しらゆき」、「いなほ4号」(8日前発売は1980年(昭和55年)9月まで、同年10月以降は1か月前発売)のみが対象となった。国鉄・JRの規則では、航路の乗船券の名称も「乗車券」だった。

多数の乗客を安定的に輸送するため、本航路では、青森駅・函館駅での接続列車の指定券を持つ乗客を最優先に乗船させる施策をとった。航路廃止時(1988年(昭和63年)3月13日)には、函館と札幌方面を結ぶ函館本線の特急「北斗」には、青函航路連絡の乗客の乗車を確実なものとするために全車指定席の便が1往復設定されていた。次に優先されたのは優等列車の乗客で、青森、函館着の特急列車急行列車の車内では、優等列車からの乗継を区別するため、「特」の文字や赤い線が印刷された乗船名簿を配布する方法が用いられた。

末期の状況

本州・北海道を結ぶ動脈の役割を担った青函連絡船は、貨物が1971年(昭和46年)に855万3033トン、旅客が1973年(昭和48年)に利用者498万5695人を数え[59]、それぞれピークを迎えたが、航空機フェリーの利用の増加、国鉄の鉄道利用客(旅客と荷主)の減少などの要因により、1974年(昭和49年)以後は利用が減少傾向に転じた。

1976年(昭和51年)には利用者数が400万人台を割り、1977年(昭和52年)は314万人と急減したため、1978年(昭和53年)にはグリーン自由席(124席)の約1/3のスペースを転用して「サロン海峡」という名の喫茶室、麻雀ができる娯楽室を設置。接客設備の改善とイメージアップを図ったが減少に歯止めはかからなかった[60]

「国鉄離れ」の加速で末期には閑散としていた。末期でも、青森ねぶた函館港まつりの行われる旧盆、弘前・函館の観桜と時期が一致するゴールデンウィーク年末年始などの最多客期には超満員となり、臨時便(臨時客扱)の運航や、乗船名簿に便名、または出航時刻をスタンプで押印した乗船名簿を配布する措置がとられることがあったが、通常期の利用状況は悪かった。

利用客数は最末期で年間に約200万人だった。しかし廃止が決定されてからの1年間は260万人に利用客が増えた。その多くが青函連絡船に別れを惜しんでやってきた者たちであり、それまで一度も連絡船に乗ったことのない者までが、「お別れ乗船」のために全国から訪れた。普段であれば冬季間は閑散としていたが、1988年(昭和63年)1月から3月の土日には、臨時客扱(臨時便)を行うほどの活況を呈した[61]

青函トンネル開通・青函連絡船の終焉とその後

1988年(昭和63年)3月13日の青函トンネルの開通に伴い、同日をもって青函航路の通常運航が終了し、青森 - 函館間の連絡は青函トンネルにゆだねられた。

その後、青函トンネル開通記念博覧会世界・食の祭典に合わせて同年6月3日から9月18日まで「羊蹄丸」「十和田丸」を用い昼間1日2往復の暫定運航(復活運航)を行うとともに、夜間には函館港に羊蹄丸と青森港に十和田丸を停泊させホテルシップ営業を行った[62]。この期間には通常営業時は入ることができなかった操舵室や車両甲板が公開された。また、船尾扉を航海中に開いて見せることも行ったが、監督官庁の指導により中止された[要出典]。暫定運航が終了した翌9月19日付で青函連絡船は正式に廃止となり、津軽海峡から完全に姿を消した。

廃止後30年以上が経過した現在でも、青森駅には連絡船の案内表示や桟橋の可動橋へ向かう線路など、青函連絡船の痕跡が数多く残っており、函館駅や有川桟橋周辺にも着岸の際に目標として用いていた標識などが今でもわずかに残存している。


注釈

  1. ^ 津軽丸(2代)引退後は「八甲田丸型」と呼称された。
  2. ^ 檜山丸(2代)・石狩丸(3代)が客貨船に改造された後は、「石狩丸型」と呼称された。

出典

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