足利義満 足利義満の概要

足利義満

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/17 06:58 UTC 版)

 
足利 義満
足利義満像(鹿苑寺蔵)
時代 室町時代前期
生誕 延文3年8月22日1358年9月25日
死没 応永15年5月6日1408年5月31日
改名 春王(幼名)、義満、道有(法名)、道義(法名)
別名 日本国王室町殿
諡号 恭献王[1][2][3][4]
戒名 鹿苑院天山道義
墓所 相国寺塔頭鹿苑院
官位 従五位下正五位下左馬頭征夷大将軍従四位下参議左近衛中将従三位権大納言右近衛大将従二位右馬寮御監従一位内大臣左大臣蔵人別当後円融院別当源氏長者准三宮淳和奨学両院別当太政大臣
幕府 室町幕府第3代征夷大将軍
在職:応安元年12月30日1369年2月7日) - 応永元年12月17日1395年1月8日
氏族 足利将軍家
父母 父:足利義詮、母:紀良子
兄弟 千寿王義満柏庭清祖満詮廷用宗器宝鏡寺殿
正室日野業子
継室日野康子
側室藤原慶子春日局ほか
尊満義持義嗣義教法尊虎山永隆大覚寺義昭梶井義承ほか
特記
事項
金閣寺建立
花押
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南北朝合一を果たし、有力守護大名の勢力を抑えて幕府権力を確立させ、鹿苑寺金閣)を建立して北山文化を開花させるなど、室町時代の政治・経済・文化の最盛期を築いた。

邸宅を北小路室町へ移したことにより義満は「室町殿」とも呼ばれた。後代には「室町殿」は足利将軍家当主の呼称となった。歴史用語の「室町幕府」や「室町時代」もこれに由来する。


  1. ^ 史書はこれを気宇壮大を表す事績として伝えるが、作家の海音寺潮五郎は「単なるわがまま」としている。
  2. ^ これを吉例として足利義教(義満の子、第6代将軍)の元服では管領畠山持国一門、その子・足利義政(義満の孫、第8代将軍)の元服では管領細川勝元一門が四役全てを占めて、幼少もしくは還俗直後の新将軍を管領一門が支えることをアピールする場としている。
  3. ^ なお、康暦の強訴の幕府の対応について、結果的には室町幕府の対権門寺院政策の転換点になったものの、本来は義満が参加する朝儀の無事に行われることのみを目的としたもので、幕府は積極的に強訴を解決しようとした訳ではなく興福寺をなだめて問題を先送りにする方針であったとする指摘もある[17]
  4. ^ この時最終案に残った「洪」のつく案は「洪徳」であったが、これまで永徳至徳明徳と「徳」の字がつく元号が連続しており、3回連続「治」のつく元号を用いた崇徳天皇や、4回連続「元」のつく元号を用いた後醍醐天皇の例と同じになり不吉とされた。ちなみにこの時案として後に用いられる寛永宝暦が提案されている。
  5. ^ この際に反対論を唱えたのは、一条経嗣らであったという[20]
  6. ^ 服部敏良は流行の風邪にかかり、それが悪化し急性肺炎のような症状で死去したであろうと推測している[30]
  7. ^ 現在では後小松天皇が100代目とされている。しかし当時は天皇の代数の数え方は必ずしも一致していなかった。現代では天皇とみなされる弘文天皇仲恭天皇の即位は一般には認められておらず(明治時代に同時に諡号を贈られた淳仁天皇は、即位に関しては不備はなく「47代 廃帝」として代数には含まれていた)、一方で神功皇后は即位したとされていた。当時は北朝が正統とされていたため、この数え方によると100代目は後円融天皇にあたる。






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