足利義満による庇護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 15:21 UTC 版)
石清水神官の娘(紀良子)を母に持つ3代将軍足利義満の時代になると、さらに大山崎と幕府との癒着が促進する。新儀交易の油商売を停止し「油木」を破却させる旨の御教書を得て、大山崎油座は諸国商人の営業権を駆逐しはじめた。摂津や播磨の油商人の中には抵抗して争う者もあったが(後述)、義満はあくまで大山崎を優遇し、嘉慶2年(1388年)には住吉大社の油神人を称する新儀商売の停止を訴える大山崎の訴えを聞き、さらに応永3年(1396年)にも摂津住吉・遠里小野、摂津天王寺・木村の散在土民が行っていた「非分油商買」を停止させるように訴えた大山崎の言い分を丸呑みしている。さらに翌年には大山崎神人の公事と土倉役が幕府から免除されるなど優遇策に恵まれ、南北朝時代から室町時代前期にかけてのこの時期、大山崎油座は絶頂期を迎えた。
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