足利義満の幕府中央集権化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 09:33 UTC 版)
「南北朝時代 (日本)」の記事における「足利義満の幕府中央集権化」の解説
康暦の政変によって烏帽子親の細川頼之を失脚させた室町幕府第三代将軍足利義満は、足利将軍家への中央集権化を進め、幕府の体制をますます強固なものとしていった。 元中8年/明徳2年(1391年)には、日本の六分の一を領有し将軍家に迫る勢力を持ちつつあった山名氏を明徳の乱で討ち、その勢いを削減した。
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