竹島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 05:10 UTC 版)
概要
男島(西島)、女島(東島)と周辺の岩礁群からなる総面積約0.20km2の竹島は、17世紀半ばに日本の領土権が確立され、1905年に島根県に編入された。しかし、第二次世界大戦後の1952年、韓国は「李承晩ライン」を設定し、竹島の領有と漁業轄権を主張。その後も、警備隊員の常駐、監視所の設置などを続けている[4]。
名称
日本での名称
日本において竹島と呼んでいる。また、幕末以前は「松島」と呼ばれ、鬱陵島が「竹島」[5]と呼ばれていた。少なくとも1876年には隠岐国の島嶼の一つとして「竹島(現在の鬱陵島)」「松島(現在の竹島)」の記載を見ることができる[6] [7]。
幕末から明治中期にかけて西洋の地図の流入による島名の混乱[8][9][10]があったが、1905年(明治38年)現在の竹島を正式に島根県へ編入した時より「竹島」と呼んでいる。
韓国・北朝鮮での名称
韓国・北朝鮮においては「独島(獨島、トクト[注 1]、독도、Dokdo)」と呼んでいる。韓国では、歴史書『太宗実録』太宗17年(1417年)の条に初出する「于山島」が現在の竹島であるとしており、一時1900年の大韓帝国「勅令第四十一号」にある「石島」という呼称に変わり、1906年までに「独島」という名称に変更したとしている。なお「独島」表記の初出は、日本海軍 防護巡洋艦 新高の1904年9月の日誌にある「韓人これを獨島と書し」という記録があり、この時鬱陵島の朝鮮人が独島と呼んでいたということがわかる[11]。
その他
他の国では、中立的立場から「リアンクール岩礁(Liancourt Rocks)」などと呼ばれている。この名称は、1849年にヨーロッパで初めてこの島を発見したフランスの捕鯨船 Liancourt 号の船名にちなんでいる。
地理・自然
竹島は、北緯37度14分30秒、東経131度52分に位置する[注 2][12]。
女島(東島)、男島(西島)と呼ばれる2つの小島とその周辺の総計37の岩礁からなる。総面積は約0.21平方キロメートルで、東京ドーム5つほどの大きさである。最頂部は男島が海抜168メートル(北緯37度14分30.5秒 東経131度51分54.6秒 / 北緯37.241806度 東経131.865167度)、女島が海抜98メートル(北緯37度14分26.8秒 東経131度52分10.5秒 / 北緯37.240778度 東経131.869583度)。周囲は断崖絶壁で、飲料水に乏しく、人の住みにくい環境である。
なお、日本の国土地理院が2007年12月に発行した竹島の2万5千分の1の地形図では二つの島について「東島」と「西島」と表記しているが[13]、隠岐の島町では資料の調査や聞き取り調査を行い、2つの島について「女島(めじま)(東島(ひがしじま))」と「男島(おじま)(西島(にしじま))」とするとともに岩礁や湾などの名称を定めて2013年6月に国土地理院に申請した[13][14]。
隠岐と竹島の距離は両島の一番近い所で約157キロメートル、鬱陵島と竹島の距離は両島の一番近い所で約87キロメートルである[注 3]。
地史・地質
竹島は、現代からおよそ460万年前から250万年前(新生代第三紀の鮮新世)の海底火山活動により誕生した火山島であり[15]、水深約2,000mの海底から噴出した溶岩が硬化したことにより形成された[16]。朝鮮半島北部の白頭山から金剛山、鬱陵島、隠岐諸島へと連なる白頭火山帯の系列に属する[17]。竹島の火山活動は約250万年前に停止した[18]。当初は1つの島塊であったが、その後の風化と浸食により2つの小島とその周辺の数十の小岩礁の構成となった[19]。
岩石と地質構造の分析結果によると、竹島は単一の火山爆発によって形成されたものではなく、200万年以上の長い期間の断続的爆発と噴火によって形成された[20]。竹島は粗面岩、粗面安山岩、玄武岩質角礫岩、凝灰岩など計8種類の岩石によって構成されている[20]。竹島の下部は主に玄武岩質の集塊岩であり、上部は粗面岩質の集塊岩と凝灰岩が互層を形成している[20]。岩石の年代は、竹島下部を構成する玄武岩が約460万年前、女島にある火口跡を満たす粗面安山岩が約270万年前であり、島の北西部には約250万年前に貫入した粗面岩が分布している[20]。また火山堆積層が厚く積もった地点があり、断層が2箇所発見されている[20]。
竹島と鬱陵島の間の海底は、深く沈降する凹地(対馬海盆)となっている。
気候
暖流の影響を多く受ける典型的な海洋性気候[21]。平均降水量は年間1,240mm程度であり、冬場の降水量が多い[21]。年平均気温は約12°C[21]。1月の平均気温は1°C、8月の平均気温は23°Cであり、世界平均と比較して温暖である[21]。年平均風速は4.3m/s[21]。冬と春は北西風、夏と秋は南西風の傾向があり、季節に応じた風向きがはっきりしている[21]。霧が多く、晴れの日は年45日程度、曇りの日は年160日程度、雨や雪の日は年150日程度である[22][23]。
鬱陵島と竹島(2003年〜2007年平均、鬱陵島気象台観測)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 4.88 (40.78) |
6.12 (43.02) |
9.06 (48.31) |
14.70 (58.46) |
18.62 (65.52) |
23.00 (73.4) |
24.52 (76.14) |
27.14 (80.85) |
22.84 (73.11) |
19.12 (66.42) |
14.16 (57.49) |
7.44 (45.39) |
15.967 (60.741) |
日平均気温 °C (°F) | 1.82 (35.28) |
2.94 (37.29) |
5.20 (41.36) |
10.62 (51.12) |
14.88 (58.78) |
19.36 (66.85) |
21.60 (70.88) |
23.88 (74.98) |
19.82 (67.68) |
15.66 (60.19) |
10.82 (51.48) |
4.52 (40.14) |
12.593 (54.669) |
平均最低気温 °C (°F) | −0.40 (31.28) |
0.44 (32.79) |
2.30 (36.14) |
7.30 (45.14) |
11.68 (53.02) |
16.64 (61.95) |
19.44 (66.99) |
21.58 (70.84) |
17.62 (63.72) |
13.24 (55.83) |
8.38 (47.08) |
2.26 (36.07) |
10.04 (50.071) |
降水量 mm (inch) | 94.72 (3.7291) |
66.00 (2.5984) |
86.30 (3.3976) |
136.54 (5.3756) |
181.88 (7.1606) |
148.82 (5.8591) |
259.06 (10.1992) |
200.14 (7.8795) |
277.82 (10.9378) |
100.06 (3.9394) |
124.44 (4.8992) |
155.34 (6.1157) |
1,831.12 (72.0912) |
出典:大韓民国気象庁、2003年〜2007年 |
生態系
陸地は、わずかに草が生えるだけの岩石島であり、樹木の生育は少ない[24]。ただ、独島のマサキなどわずかに樹木の生育も確認できる。
竹島周辺の海域は対馬暖流と北からのリマン海流の接点であり、付近の海域はアジ・サバ・ワカメなど魚介類・藻類が豊富な好漁場である[24]。哺乳類ではシャチなどの鯨類も近海を通過している[25]。
竹島は伊豆諸島と並んでニホンアシカ (Zalophus californianus japonicus) の主要な繁殖地の一つであった。竹島では海蝕洞に生息していたが、明治大正年間に大量捕獲が行われ[26]、戦後の1950年代には50〜60頭と少数の目撃例があり、韓国が竹島を実効支配して警備隊が常駐するようになり、1975年の目撃を最後に確証のある目撃例がなく、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストでは「絶滅」と記載されている[27][注 4]。気候変動や環境汚染などの理由のほか、韓国によって竹島が要塞化されたことなども絶滅要因の一つとして指摘されている[28]。具体的には、1970年代の韓国紙は竹島駐在の「警備隊員たちの銃撃で絶種」と報道しており、世界自然保護基金(WWF)の1977年度報告書では韓国人研究者さえ「最上の保護策は警備隊の島からの撤収だ」と主張しているという[27]。1976年には、東亜日報が、アシカの生殖器が韓国で人気の精力剤の材料だったため、乱獲によってアシカが絶滅の危機に瀕していることを報道している[29]。
- ^ ハングル・ローマ字表記の綴り上は「ドクド」(ドㇰド)であるが、朝鮮語の発音規則(語頭平音の無声音化、パッチム後平音の濃音化)により実際の発音は「トクト」(トㇰト)となる。「朝鮮語の音韻」も参照。
- ^ かつて日本政府外務省は北緯37度9分、東経131度55分と記していた。2005年(平成17年)7月に毎日新聞によって誤りが指摘されると、正しい記述に訂正された。
- ^ 日本政府外務省のパンフレット「竹島 竹島問題を理解するための10のポイント(2008年2月発行)」では、隠岐と竹島の距離を約157キロメートル、鬱陵島と竹島の距離を約92キロメートルと記載している。
- ^ 韓国誠信女子大学校の客員教授でニューヨークタイムズに慰安婦全面広告を掲載したことでも知られるソ・ギョンドク(徐坰徳)が、竹島からアシカが消えた理由を説明する動画を2015年2月21日にYouTubeに公開し、「独島のニホンアシカは、戦前の日本の乱獲によって絶滅した」と主張して日本を断罪した[27]。これに対し、産経新聞の黒田勝弘記者が竹島の韓国占拠の後もしばらくは、ニホンアシカの生体が確認された資料は多いとして、これに反論した[27]。
- ^ 1928年のパルマス島事件や1931年のクリッパートン島事件の仲裁裁判においても、「外国への通告は必要ない」との判決が出ている[33]。
- ^ 近年の主な活動を参照
- ^ '竹島:「韓国領土」と免許取得HPに 米国オレゴン州' 毎日新聞, 2007-12-28. "米国オレゴン州が公式に開設している車の運転免許取得方法を記載したホームページの朝鮮語版に「独島(竹島)は韓国領土」などとハングルで記された車のイラストなどが掲載されていたことが分かった。日本の外務省は「竹島に関する不適切な表記」として州に遺憾の意を伝え、州は閲覧中止の措置にした。"
- ^ 韓国山岳会の前身[120]
- ^ 反論内容要約:1.現に島根県穏地郡五箇村の一部である。2.SCAPIN-677 それ自身が、諸小島の最終的決定に関する連合国の政策と解してはならないと断っているため根拠無効。3.マツカーサー・ラインそれ自身が、国際的境界に関する連合国の政策を表明するものではないと断っており、なおかつすでに撤廃されているため議論の意味がない。4.竹島が「独島」として数世紀の間韓国領だったとする事実はない。
- ^ 報道によると、背景には、韓国の国民の民族感情に訴えることで、失いつつある求心力を回復しようという狙いがあるものとみられ、残り半年余りの任期である李明博大統領の周辺では、国会議員だった兄や側近たちの不祥事が続いていて、政権の求心力の低下に歯止めが掛からなくなっている。李明博政権の日本への対応は、12月に控える大統領選挙での与党候補の戦いに影響を及ぼしかねない情勢となっており、光復節で国民の民族感情が一段と高まる時期を迎えて、李明博大統領としては、こうした時期に、歴代の大統領が避けてきた竹島訪問に踏み切ることで、国民感情に訴え求心力を回復するとともに、大統領選挙で野党が勢いづくのを抑えたいという狙いがあったとみられる。
- ^ 一戸の上陸行為について、所属する宗派教団は「本宗は一切関与しておらず、またその支援、支持等を一切行って」いない旨の告知を公表している[162]
- ^ 李栄薫は、韓国政府が1530年の『新増東国輿地照覧』に記載された于山島こそ現在の独島であると主張していることについて、「韓国の外務省はこの地図を提示しながら、于山は独島だ、と主張してきました。中・高校の韓国史の教科書も、そのように教えています。しかし私は、それに同意できません。独島は鬱陵島の東南87kmの海の中に位置しているからです。この地図を根拠に独島固有領土説を主張するのは、学生たちに東西南北を混同するよう教える暴挙と同じです。たとえ独島を放棄することになったとしても、そのような教育はすべきではないと思います。国際的にも恥です」と述べ、韓国政府の見解を批判している。
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