生田緑地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 01:48 UTC 版)
生田緑地 | |
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![]() 生田緑地正面口 | |
分類 | 都市公園(総合公園) |
所在地 | |
座標 | 北緯35度36分34秒 東経139度33分29秒 / 北緯35.60944度 東経139.55806度座標: 北緯35度36分34秒 東経139度33分29秒 / 北緯35.60944度 東経139.55806度 |
面積 | 95.5ha(計画179.3ha) |
運営者 | 川崎市 |
事務所 | 生田緑地東口ビジターセンター |
事務所所在地 | 神奈川県川崎市多摩区枡形7丁目1-4 |
公式サイト | 生田緑地 |
なお、桝形山(ますがたやま)及び飯室山(いいむろやま)の大部分は生田緑地内に含まれている。
概要
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F0%2F00%2FModel_D51_408_of_JNR.jpg%2F220px-Model_D51_408_of_JNR.jpg)
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2Fb%2Fbf%2FModel_42_2047_of_JNR.jpg%2F220px-Model_42_2047_of_JNR.jpg)
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F9%2F95%2FKawasaki_Nihon_Minkaen-3.jpg%2F220px-Kawasaki_Nihon_Minkaen-3.jpg)
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F0%2F02%2FTaro_Okamoto_Museum3a.jpg%2F220px-Taro_Okamoto_Museum3a.jpg)
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fja%2Fthumb%2Fe%2Fe4%2FHahanotou_okamoto_tarou.jpg%2F220px-Hahanotou_okamoto_tarou.jpg)
多摩丘陵が多摩川に接する東端の一角に位置しており、現在は計画面積 179.3ha(うち供用面積 95.5ha)の、川崎市内最大の都市公園である。入場は無料だが、一部施設では観覧料等が必要となる。当緑地の維持管理に際しては多くの市民団体が参加している。
津久井道沿いの賑わいが間近に控え、江戸から神奈川(現在の横浜市)方面までの眺望が開ける桝形山一帯には、かつて鎌倉時代に稲毛地方(概ね現在の川崎市北部地域)を支配していた源頼朝の重臣 稲毛三郎重成が本拠を構え、同山頂に枡形城を築いたとされている。
近代以降は急速に都市化が進み、当地周辺のかつて豊かな森林が広がっていた風景は劇的に変化することとなるが、ここ生田緑地の一角は本格的な都市化が始まる前に川崎市が緑地として都市計画決定したこと、およびその一角に構えていた向ヶ丘遊園が一定の森林を保全しつつ営業していたことから、周辺で宅地開発が進む中にあっても豊かな森が比較的多く残されることとなった。
向ヶ丘遊園、専修大学生田キャンパス、東高根森林公園、緑ヶ丘霊園が当地と概ね東西方向に尾根続きになっている。
沿革
- 1927年(昭和2年)- 小田急電鉄(当時の小田原急行)が向ヶ丘遊園を開園。
- 1930年(昭和5年)- 戸隠不動本堂が建立され(当時は私有地)、本尊不動明王などを招来。
- 1941年(昭和16年)- 川崎市が、桝形山や向ヶ丘遊園およびその周辺の森林 165.5ha について緑地として都市計画決定する。
- なお、都市計画決定以前は「生田緑地」ではないが、参考のため付記している。
- 1954年(昭和29年)- 緑地計画区域内にて民間企業がゴルフ場(川崎国際カントリークラブ)の営業を開始。
- 1961年(昭和36年)- 生田緑地管理事務所(現在の北部公園事務所)を設置。
- 1964年(昭和39年)- 整備着手。
- 1967年(昭和42年)- 日本民家園が開園。
- 1968年(昭和43年)- 長者穴横穴墓群の一部墳墓で発掘調査される。
- 1971年(昭和46年)
- 青少年科学館プラネタリウムが開館。
- D51形蒸気機関車408号機が静態保存される。
- 川崎ローム斜面崩壊実験事故が発生。死者15名、負傷者9名。
- 1985年(昭和60年)- スハ42形客車(2047号)が静態保存される。
- 1992年(平成4年)- ゴルフ場の営業が川崎市に移管される。
- 1993年(平成5年)- 戸隠不動焼失。以降、跡地は生田緑地の一部として整備される。
- 1999年(平成11年)- 岡本太郎美術館が開館。
- 2002年(平成14年)- 向ヶ丘遊園が閉園。ばら苑が暫定的に生田緑地内に組み入れられる。
- 2004年(平成16年)- 向ヶ丘遊園跡地の整備計画について、川崎市と小田急電鉄が基本合意。同地の緑地指定区域の変更(森林部分を追加し、更地部分を解除)などの方向性が決定する。
- 2006年(平成18年)- 藤子・F・不二雄ミュージアム(仮称)の設置が決定。
- 2011年(平成23年)9月3日 - 藤子・F・不二雄ミュージアムがオープンした[2]。
- 2012年(平成24年)- 川崎市青少年科学館が「かわさき宙と緑の科学館」としてリニューアルオープン。
- ^ 川崎市都市公園条例
- ^ a b “遊び心たっぷりのSFワールド『藤子・F・不二雄ミュージアム』が9月3日オープン”. 週刊アスキー. 2012年2月10日閲覧。
- ^ “【ここいこ】最新鋭プラネタリウムが登場 川崎・生田緑地”. MSN産経ニュース (2012年5月5日). 2012年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月11日閲覧。
- ^ a b 川崎市 (2014年9月22日). “これまでのあゆみ”. 藤子・F・不二雄ミュージアム. 川崎市. 2015年6月26日閲覧。
- ^ 川崎市 (2013年11月19日). “2011年 川崎市藤子・F・不二雄ミュージアムの開館に向けて”. 藤子・F・不二雄ミュージアム. 川崎市. 2015年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e f “良くある質問”. 生田緑地. 2012年2月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g アクセス - 生田緑地ばら苑、2018年5月11日閲覧。
- ^ “コース4 今が見ごろ!春の生田緑地ばら苑”. 川崎市交通局 (2013年6月3日). 2018年5月14日閲覧。
- ^ “停留所名称の変更について”. 川崎市. 2011年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月13日閲覧。
固有名詞の分類
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