生田緑地 名所・旧跡

生田緑地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 01:48 UTC 版)

名所・旧跡

枡形山山頂(2006-06-01撮影)
飯室山の頂上にある標識(2008-02-03撮影)
枡形山展望台から江戸(東京)方面を望む(2006-06-01撮影)
長者穴横穴墳群の一部
  • 桝形山(ますがたやま)
    山頂が桝のように四角形の平地になっていることから、こう呼ばれるようになったと言われている。
    • 枡形城
      稲毛三郎重成により築城されたといわれ、現在は遺構は残っていないが碑が建てられている。
    • 枡形山展望台
      春には山頂に植えられたが彩りを添え、夏には一帯が緑で覆われ多摩丘陵のかつての姿を彷彿とさせる。そして木々が葉を落とす冬には横浜市街や遠く富士山までを見渡すことができる。手すりの柱は十二支の動物達を象り、これで方角を示している。
      なお、当展望台は夜間は閉鎖される。スロープおよびエレベータが整備されている。
  • 飯室山(広場)
古くから横穴古墳として知られているが、古代人の生活の場であるとする説もある。うち一部が昭和43年に調査され、鉄鏃や勾玉などが発見されている。
現在は、見学できるよう遊歩道が設置されている。
  • 戸隠不動堂跡
1930年真言宗豊山派の仏堂として創建された。戸隠神社の実道院の仏像であった不動明王を招来して祀っており、周辺住民の信仰を集め、武相不動尊霊二十八札所の第二十六番札所として、毎酉年には、多くの参詣者を集めていた。しかし、1993年(平成5年)に本堂が焼失し、以降所有者らによる再建が検討されたものの断念、跡地は市に譲渡された。現在は、生田緑地の一部として整備されており、火災後廃寺となり本堂などは破却されたが、本堂の柱や燈籠などを模したモニュメントが今も残り、川崎歴史ガイドのガイドパネルが建っている(公共施設内への宗教施設の建造は、政教分離のため法的に難しく、復元は実現されていない)。
なお、かつての参道は、ヤマザクラの並木道になっており、春には鮮やかに彩られる。

  1. ^ 川崎市都市公園条例
  2. ^ a b 遊び心たっぷりのSFワールド『藤子・F・不二雄ミュージアム』が9月3日オープン”. 週刊アスキー. 2012年2月10日閲覧。
  3. ^ 【ここいこ】最新鋭プラネタリウムが登場 川崎・生田緑地”. MSN産経ニュース (2012年5月5日). 2012年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月11日閲覧。
  4. ^ a b 川崎市 (2014年9月22日). “これまでのあゆみ”. 藤子・F・不二雄ミュージアム. 川崎市. 2015年6月26日閲覧。
  5. ^ 川崎市 (2013年11月19日). “2011年 川崎市藤子・F・不二雄ミュージアムの開館に向けて”. 藤子・F・不二雄ミュージアム. 川崎市. 2015年6月26日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 良くある質問”. 生田緑地. 2012年2月10日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g アクセス - 生田緑地ばら苑、2018年5月11日閲覧。
  8. ^ コース4 今が見ごろ!春の生田緑地ばら苑”. 川崎市交通局 (2013年6月3日). 2018年5月14日閲覧。
  9. ^ 停留所名称の変更について”. 川崎市. 2011年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月13日閲覧。






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