日本堤 地理

日本堤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/11 01:33 UTC 版)

地理

台東区の北部に位置する。町域東部は台東区清川に接する。町域南部は日の出会通りに接し、これを境に台東区東浅草に接する。町域西部は土手通りに接しこれを境に台東区千束・台東区竜泉・台東区三ノ輪一丁目にそれぞれ接する。町域北部は、明治通りに接しこれを境に荒川区南千住・台東区三ノ輪二丁目に接する。

町域内は商店や各種事業所、住居等が混在しているほか、東部には大阪市釜ヶ崎横浜市寿町と並んで称される日本の三大人足寄場の一つとして日雇い労働者が集まる[5]山谷」の一画を含んでおり簡易宿泊所(通称「ドヤ」)が多く見られ、2008年12月末現在の簡易宿泊所は53軒を数える[6]。北東端には泪橋交差点がある。いろは会商店街が日本堤一丁目のほぼ中央を東西に伸びている。この商店街は漫画あしたのジョー』の舞台が商店街の近くの泪橋であることから、同作品を利用した街おこしを行っている。かつては皮革業の工場が多く見られたが、現在は多くが移転・廃業している。

歴史

歌川広重名所江戸百景」に描かれた日本堤。やや誇張されてはいるが、土手状に作られていた地形がよく分かる

日本堤の地理と地名の由来

かつてこの一帯は入間川(現:隅田川)の氾濫原に当たり、石浜(現:石浜神社付近)から真土山(現:待乳山本龍院)、浅草(現:浅草寺付近)、鳥越岡(現:鳥越神社付近)の高台からなる自然堤防の背後の広大な後背湿地だった。この湿地帯は忍ケ岡(上野山の古名)のふもとにまで及び、度重なる洪水によってなかなか陸化せず、当時の図絵に千束池や姫の池などとして見える。

江戸市街も常に氾濫の危険があったが、江戸幕府による荒川をはじめとする治水事業により[7]元和6年(1621年)待乳山を崩した客土で、浅草聖天町[注釈 1]の今戸橋(待乳山聖天付近)から北西方向へ箕輪浄閑寺にかけて堤防が築かれた[注釈 2]

全国の諸大名により60余日で完成したため日本堤だともいうが記録がなく確証が薄い[11]。また土手が二本あったから「二本堤」という説もあるが、これも場所が特定できていない。山谷堀はこの土手の北側にあり、石神井用水から分かれた音無川など上流部からの排水路として機能していた。

土手上は周囲を見渡せる見通しのよい街道(6町余りの長さがあったことから土手八丁と呼ばれた)として利用された。明暦の大火の後に土手南側に人形町から遊郭が移転し吉原となってからは「吉原土手」「かよい馴れたる土手八丁」などとも呼ばれ、遊びに通う江戸っ子たちで賑わった。

関東大震災から4年後の1927年(昭和2年)、日本堤は取り崩された。現在は土手通りとして痕跡を留めている。

町域名としての沿革

  • 1936年(昭和11年):浅草区地方今戸町、浅草田町一・二丁目、千束町三丁目、新吉原五十間町の各一部、浅草東町の全域が合併して浅草区日本堤一・二丁目が成立。
  • 1941年(昭和16年):さらに地方今戸町、新吉原五十間町、田中町の各一部が合併して日本堤三・四丁目が成立。
  • 1943年(昭和18年):下谷区龍泉寺町の一部が三丁目、下谷区三ノ輪町の一部が四丁目に編入される。
  • 1947年(昭和22年):台東区に所属、浅草を冠称して浅草日本堤一丁目から四丁目となる。
  • 1966年(昭和41年)10月1日:東浅草一・二丁目、浅草五丁目、千束四丁目を分離、また同時に残る浅草日本堤三丁目の全部および四丁目の一部と浅草田中町二・三丁目の全部、浅草山谷三・四丁目および三ノ輪町の各一部を併せて冠称を外し、日本堤一・二丁目となる。住居表示を実施。

世帯数と人口

2020年(令和2年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
日本堤一丁目 2,078世帯 2,842人
日本堤二丁目 2,245世帯 3,348人
4,323世帯 6,190人

注釈

  1. ^ 現在の浅草七丁目[8]
  2. ^ この治水は、洪水対策ではなく、川越との水運確保のため、荒川本流を入間川に瀬替えして水流を増やすためであったとする説[9]がある一方、対岸の隅田堤と併せて河口に向かって漏斗状に堤防を作り、洪水時にはその上流部の荒川をわざと溢れさせる調整池の役割があったとする説がある[10]
  3. ^ 上野公共職業安定所の労働課業務はすべて玉姫労働出張所の所掌となっている。

出典

  1. ^ a b 町丁名別世帯・人口数”. 台東区 (2020年12月8日). 2021年1月2日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月29日閲覧。
  4. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年9月再版、pp.560-561, p.922。
  5. ^ a b 鈴木富之、「東京山谷地域における宿泊施設の変容 ― 外国人旅行客およびビジネス客向け低廉宿泊施設を対象に―」『地学雑誌』 2011年 120巻 3号 pp.466-485, doi:10.5026/jgeography.120.466
  6. ^ a b 平成15年度玉姫労働出張所施設概要、上野公共職業安定所
  7. ^ 大辞林第3版『日本堤』
  8. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年9月再版、p.561。
  9. ^ 鈴木理生『江戸・東京の地理と地名』p.44
  10. ^ 国土交通省 『荒川水系流域及び河川の概要』 「4)水害と治水事業の沿革 (PDF) 、p.44
  11. ^ 日本大百科全書『日本堤』
  12. ^ 区立小学校・中学校の通学区域”. 台東区 (2016年9月5日). 2017年12月29日閲覧。
  13. ^ 北緯35度43分33.64秒 東経139度48分2.33秒 / 北緯35.7260111度 東経139.8006472度 / 35.7260111; 139.8006472
  14. ^ a b 目的/沿革/組織図-公益財団法人城北労働・福祉センター[リンク切れ]、2012年12月22日閲覧。






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