家老
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 07:33 UTC 版)
陪臣の叙爵
尾張家・紀伊家・水戸家の御三家、並びに加賀前田家の家老は、それぞれ決められた定数内で従五位下諸大夫へ叙爵された。
前任者が死没・隠居し、欠員が発生した後に、主家より幕府へ推挙され、叙爵した者は死没・隠居するまでその官位を保持していた。
通常の諸大夫成の場合、幕府より朝廷への年賀使として高家が上京する際に口宣頂戴奉書をまとめて持参し、その高家が口宣案をまとめて江戸へ持ち帰るが、四品以上に叙爵される場合同様、幕府の許可後、各主家で独自に使者を派遣し、叙爵の手続きをとっていた。
一覧
- 尾張家 - 6名:御附家老竹腰氏・成瀬氏を優遇し、常時の諸大夫を許される。その他渡辺氏・石河氏などが叙任。
- 紀伊家 - 6名:御附家老安藤氏・水野氏を優遇し、常時の諸大夫を許される。その他三浦氏・岡野氏などが叙任。
- 水戸家 - 5名:御附家老中山氏を優遇し、常時の諸大夫を許される。その他鈴木氏・山野辺氏などが叙任。
- 前田家 - 4名:加賀八家より本多氏・前田土佐守家を優遇し、常時の諸大夫を許される。
その他、駿河家・甲府家・館林家・福井松平家・津山松平家の陪臣叙爵があった。
勤務
基本的には病気や老齢で隠居を許可されたり、免職にならない限り、一度就任したら死ぬまで家老の職にあり続けた。
通常は月単位で当番者を決めて、当番者が決裁を行う。当番者は藩によって用番あるいは月番と呼ばれる。重要事項については定例日に評定所などに集合して合議の上で決裁する。
著名な家老
- 直江兼続(米沢藩家老。戦国時代の上杉家の武将)
- 大石良雄(赤穂藩筆頭家老。赤穂事件で名をあげ、『忠臣蔵』の主人公となった)
- 多胡真蔭(津和野藩家老。吉良義央のイジメから藩主を守ったと伝わる)
- 原田宗輔(仙台藩奉行首席。伊達騒動の中心人物)
- 栗山利章(福岡藩家老。黒田騒動の中心人物)
- 小栗正矩(高田藩筆頭家老。越後騒動の中心人物)
- 恋川春町(本名、倉橋格。戯作者で著名だが、実は駿河国小島藩年寄本役)
- 恩田民親(松代藩家老。藩財政再建に尽力)
- 河合道臣(姫路藩家老。姫路藩政を改革し、負債完済に成功)
- 渡辺崋山(田原藩家老。天保期の藩政改革で幕府より唯一表彰に与る。画家、蘭学者として有名)
- 調所広郷(薩摩藩家老。薩摩藩政の改革をおこなう)
- 安島帯刀(水戸藩家老。安政の大獄の際に井伊直弼に切腹させられた。のち勅命により名誉回復)
- 小松清廉(薩摩藩家老。明治維新の功労者の一人)
- 後藤象二郎(土佐藩参政。大政奉還の功労者の一人)
- 西郷頼母(会津藩家老。戊辰戦争の際の会津藩首脳)
- 河井継之助(越後長岡藩家老。戊辰戦争の際の長岡藩首脳)
- 渡辺在綱(尾張藩家老。明治初期の尾張藩の御家騒動青松葉事件で処刑)
- 戸田忠至(宇都宮藩家老。のち高徳藩主。山稜修補の功労者)
- 水野元宣 (山形藩城代家老。藩主水野家の分家として代々城代家老の家柄。戊辰戦争の責を一身に背負い、山形市を戦火から守るために斬首された。)
- 戸村義效(久保田藩家老。横手城代。白石会議に出席し、後に破棄することになる奥羽越列藩同盟に藩主の命により調印。)
著名な老中(徳川将軍家の"家老"に相当する)格の人物
- 植村家長 (江戸時代中期の旗本、高取藩9代目藩主。初代藩主は関ヶ原の戦いで家康側に付き、抜群の活躍をした植村家政。)
- 田沼意次 (江戸時代中期の旗本、のち大名、江戸幕府老中。遠江相良藩の初代藩主である。相良藩田沼家初代。)
- ^ 上田萬年、松井簡治 1915, p. 964.
- ^ 塙保己一, pp. 136-142 (0015.jp2-0018.jp2), 「第十四冊職名部六下」.
- ^ 藤原長房 (雀庵) 1910, pp. 58-.
- ^ 塙保己一, p. 126-, 「第十三冊職名部六中」.
- ^ 国立国会図書館 2007, p. 129.
- ^ 塙保己一, pp. 136-, 「第十四冊職名部六下」.
- ^ JapanKnowledge. “【家宰】かさい (新選漢和辞典Web版)”. 国立国会図書館. 2021年5月21日閲覧。
- ^ ウィキソース s:藩制
- ^ 男爵#男爵家の一覧の「旧大藩の藩主一門および家老家」「叙爵されなかった旧万石以上陪臣家(注釈)」に、明治維新時点で知行1万石以上の家老が列挙されている。
- ^ 近世の地方制度熊本市
家老と同じ種類の言葉
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