太陽の黙示録の登場人物 北日本(ノースエリア)

太陽の黙示録の登場人物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/02 03:27 UTC 版)

北日本(ノースエリア)

孫市ホールディングス

孫市権作(まごいち けんさく)
北日本の投資企業孫市ホールディングスCEO。海峡同盟の黒幕。
本社のある仙台市を中心に財界を牛耳り、海峡同盟を影で動かしている。統治グループ「七星会」壊滅及び平定のため、宗方にM資源開発の投資確約と引き換えに舷一郎・羽田・勝呂・海峡同盟メンバーの身柄引き渡しをさせた。その後南北停戦交渉の立会人となり身の安全を確保して七星会を告発するゲリラ放送など行動に出るが、勝呂による「七星会」メンバー暗殺に手を焼き公文に阻止するよう命じる。
その最終的な目的はと中国を無数の流通ネットワークで結び巨大経済圏を形成するという亡き父と兄の夢を実現すること。そのためならば民主化や主権回復を先送りしてもかまわないと考えており、当初協力関係にあった舷一郎とは最終的には袂を分かっている。また、かつて二人の同志だった周復興委員長と出会い、共同歩調をとる。
震災当時は「孫市ファンド・アメリカ」の副社長としてアメリカシリコンバレーに滞在していた。震災でダメージを受けた日本の本社のバックアップに尽力したが、その手法を批判されたため父や兄本人に対しては複雑な感情を抱いている。
2021年、と中国の経済網を掌握する一方で、グレイ・エリアにおける舷一郎達の行動に気付き、亮との交渉で「これはレアメタルの確保に必要な行動」と偽の説明されるも、後にレアメタルのサルベージ用機材に偽装した農業機材を積んだ貨物船バイカル号が日本海で座礁事故を起こし、加えて日本人避難民帰還が一斉にヒューイット達によって報道された事で舷一郎や亮の目論見に気付き、これを潰すべく周に帰還民に対する対応を任せ、自らは北日本軍によるグレイ・エリア実効支配を正当化すべく国連安保理開催に先立ち、ニューヨークにてロビー活動を行った。
名前の由来は孫権(字は仲謀)で、亡き父と兄の遺志を継いでいるらしい描写も一致している。
公文讃(くもん たすく)
北日本反政府ゲリラ「海峡同盟」リーダー。
大震災時は陸上自衛隊員として勝呂と共に東京で災害派遣の任務で被災者達の救助活動に当たり、その後は政府指揮下に所属していた。だが、統治グループ「七星会」の存在や彼らの不正(武器輸出三原則ワッセナー・アレンジメント違反)の暴露と活動阻止を部下と共に試みるも勝呂が董藤が事の黒幕であると知らぬまま董藤に知らせてしまったため失敗し、部下は董藤配下の自衛隊によって死亡し自らは脱走。その後は雲隠れし、海峡同盟を結成して密かに孫市らと共に「七星会」壊滅の機会を狙う。
途中で舷一郎、羽田、張、恵理に仲間になるよう強要するも、舷一郎から分断か統一かを確かめる為に北海道に行きたいという彼の願いを聞き入れる。勝呂の七星会メンバー暗殺には孫市の命令で苦渋でありながらも毒を盛った酒を勝呂に飲ませ、殺害する。やがて孫市の命令で彼のやり方に異を唱える舷一郎を捕らえ護送するが、片桐の機転で失敗。雲井によって故意に急所を外されながらも拳銃で数発撃たれる。
それから3年後の2021年では、雲井に撃たれた傷も癒え、孫市の部下として動いている。舷一郎達による日本人避難民の帰還に際しては周より北日本軍の大佐として富士ハイパーランド制圧部隊を任され、坂巻や中山達の身柄を拘束。そして、グレイ・エリアに展開する北日本軍が国連軍として認められた後、舷一郎を逮捕したが何者かの狙撃に倒れ、海峡同盟はそれ以降描写がなくなる。
陸上自衛隊自衛官時代や、脱走後の経験から規律の維持や命令の遵守を第1としており、命令違反や失敗を犯した部下を処罰したり射殺することも辞さない。かつて自衛官時代に対面した柳拓磨やその孫舷一郎の才能や器を評価し、舷一郎に至っては拓磨以上の器であると見出すも、舷一郎と孫市が対立するようになってからは孫市の命令のままに、舷一郎とその仲間を殺すことも辞さなくなる。こうした面を雲井は「勝呂一佐を殺してから、あんたは人間じゃない」と評した。
名前の由来は公孫瓚(字は伯珪)
片桐(かたぎり)
雲井の部下。警察に追われて、ホテルに潜伏していたところを舷一郎らに助けてもらう。宗方の暗殺計画に狙撃役として関わるも、雲井の変心に異を唱えるが最終的には同調し、舷一郎・羽田・張・恵理が海峡同盟と別行動をとることを決めた時は雲井に加勢した。その後、雲井が海峡同盟を脱退した時は公文の配下として舷一郎拘束・護送に関わるも、舷一郎と雲井の心情に心が揺らぎ、故意に自分が運転する護送車を谷底へ落とすという事故を起こす。だが、この事故で頭部を強く打って重傷を負い、その後一切登場していないことから死亡した模様。

北日本統治グループ「七星会(しちじょうかい)」

董藤卓也(とうどう たくや)
「七星会」会長。初登場時は北日本国会衆議院議長1969年11月30日生まれ。東京都出身。東京大学卒。
父は民自党代議士の董藤純也、母は銀行家の娘であるが、実は養子である。大学在学中から父の秘書を努め、26歳で衆議院議員に初当選。秘書時代に出会った柳拓磨に心酔し、政界入りすると父純也の派閥ではなく、ライバルの拓磨派に入る。幼少時の舷一郎と面識があった。派閥では、拓磨の金庫番の役割を担い莫大な政治資金を集めた他、拓磨を支持する若手議員の会「青柳会」を率いて、拓磨の幹事長就任に大きく貢献した。しかし、その金権政治ぶりや政治は力なりとする強引さから、次第に拓磨から嫌われ震災当時は遠ざけられていたが、南北分断後に呼び戻されて復権する。震災直後から人民解放軍と結びついて物資の流通を牛耳り莫大な資金力を手に入れた。この組織を元に防衛庁長官時代に当時軍区司令官の連とともに統治グループ「七星会」を結成。勝呂ら再統一を望む自衛官とも接触し、太いパイプを築いていった。七星会による完全支配のために手始めに華復興委員長を暗殺し、第2代委員長となる。委員長就任後南北境界警備法を成立させ、人民解放軍を札幌近郊から排除。勝呂を初め自らの息のかかった陸上自衛隊の部隊にクーデターを起こさせ、柳拓磨派の有力者を多数殺害させた。この札幌クーデターを調停役として鎮定したことで、国民の支持を得て第3代首相に就く。M資源獲得のための海峡区を侵攻・占領するが、日本人同士が殺し合う内戦に反発した勝呂に殺された。
養父純也から「魔物」と言われるほど、天性の凶暴さと残忍さを持ち、たとえ自分の部下や腹心であっても失敗や反逆を許さず、時には彼等ばかりか見せしめとしてその家族までも平然と殺す。これは、中学生の頃に自分の出生の秘密を知ったことで表出し、大震災時に東京の自宅で被災した折には燃え盛る街を見て「これこそ私がこの国(日本)にしてやりたかった事の全て」と言い放ち、純也の目の前で自宅に灯油を撒き、火をつけて焼き払った。
出自への劣等感の裏返しか古代エジプト王家のといわれるサルーキ(名前はスカーレット、性別は雌、モデルは赤兎馬)を飼ったり、馬渕首相を“謁見”させたり、皇帝を理想と語ったりするなどの絶対的権力への憧れと、戦後の日本や日本人に対する深い憎悪を持つ。
身体能力が高く、華永烈を排除する際には文字通り自らの手で首の骨をへし折って殺し、激昂した時には片手で舷一郎の襟元を掴んで持ち上げたり、金属製のナイフやフォークをテーブルに叩きつけて曲げるなど、恐るべき怪力を発揮する。その怪力と戦闘能力は張と並んで劇中トップクラスであるといえる。勝呂に殺された時も「貴様ごときに、私が殺せるはずがない」と言い放ち、89式小銃による銃撃を至近距離から2度受けながらも平然と閲兵式の壇上に登るが、3度目の銃撃でようやく死亡するに至った。
名前の由来は董卓(字は仲穎)
立花(たちばな)
董藤の秘書。
復興委員長など北日本政府で董藤が新しい役職に就任する度に前任の秘書官を解任してそのポストに就任させてきた側近。首相秘書官就任後は董藤の私兵部隊「黒衣隊」も指揮し、舷一郎暗殺を命じられるも逆に捕らえられる。その後彼の人柄に触れ改心するも、董藤を告発しようとした矢先に先手を打たれ口封じのため黒衣隊に襲撃され、乗っていた車ごと蜂の巣にされ命を落とした。妻と2人の娘がいた。
神林曜蔵(かんばやし ようぞう)
「七星会」のメンバー。初登場時は財務大臣
董藤殺害で生じたの政情不安定化をきっかけに「七星会」メンバーの密会による全会一致で第4代首相に就任し、それを隠蔽するため「七星会」を最高評議会と称して全権委任や国会無期閉会を行う。しかし、孫市のバックアップで動いた舷一郎にそのことを暴露されて更には勝呂の粛清部隊に拉致監禁された。羽田と張に救助されて舷一郎から最高評議会の全権委任中止と解散総選挙の実行して「七星会」のこれまでの悪行の告白を具申され、生き残ったメンバーと共に実行を試みるが、新たに復興委員長に就いた周にそのことを告発されて失脚する。
ちなみに、かつて周が復興の責任者の座を降ろされた際には、周への敗北宣告とばかりに日本人でありながら、中国人民解放軍の命令書を手渡している。
境玄吾(さかい げんご)
北日本陸上幕僚長(海自・空自が存在しないため事実上武官のトップと言える)。
「七星会」のメンバーで海峡紛争時、董藤の閲兵式で北日本自衛隊将兵を前に演説を行い、壇上に登る董藤を迎えた。そして、董藤が勝呂によって射殺される場面を間近で目撃する。董藤の死後、後継者の地位を狙い神林が首相に就任するのには反対であったが、密約を結んでいた原西が先手を打たれて神林に懐柔されていたため、止むを得ず容認。その後はテロから身を守るべくなりを潜めていたが勝呂の私兵部隊に襲われ、愛人もろとも殺される。
原西次郎(はらにし じろう)
北日本警察局長官。
「七星会」のメンバーで、警察組織のトップであると同時にの司法を掌握している。との戦時下において境幕僚長とともに七星会を掌握する密約を交わしていたが、懐柔されて神林を支持。勝呂による暗殺テロ後、の再建に出るが、神林と同じく周復興委員長の手で「七星会」の悪行を告発され、失脚する。
咲村庸三(さきむら ようぞう)
北日本情報庁長官。
「七星会」のメンバーで、札幌クーデターや南日本との交渉における情報収集やスケジュール管理などを担当。自宅で勝呂の暗殺部隊に襲われ、董藤に脅されていただけと泣き落としを図るも、容赦なく殺される。
白朱喜(ペイ チューシー)
中国系企業「北海道計算机公司」社長。
「七星会」のメンバーで、彼も勝呂の暗殺部隊によって殺される。
三田村栄一(みたむら えいいち)
北日本大学総長。
「七星会」のメンバー。勝呂による暗殺テロから生き残り、政情不安定になったの再建に出るが、こちらも周復興委員長に「七星会」の悪行を告発され、失脚する。

政府

柳拓磨(りゅう たくま)
声 - 稲垣隆史
北日本初代首相。旧日本政府与党・民自党幹事長。舷一郎の祖父。親中派。享年86。東京都渋谷区出身。
大地震で息子夫婦を亡くし、孫の舷一郎とも生別。その後復興支援をめぐって石倉率いるアメリカ組と対立。政治家としては己の利害や面子よりも国民を第一に考える誠実さと信念を持つ反面政争においては手段を選ばないやり手でもあり、「爆弾」の異名を持つ。何よりもアメリカ支配を恐れ、震災直後の軍による復興支援にはアメリカ政府への派遣要請ではなく中国政府への派遣要請を主張したことが結果的には後の日本分裂を招き、市民の恨みを買う(ただし彼自身は国連主導での復興政策をめざしていた)。その一方で、戦後続いた対米従属政治脱却の立役者や、中国に対して互角に渡り合える政治家として、官民問わず彼を慕う者も多い。石倉の南日本政府樹立以降、中国の支援による札幌を首都とした政府を樹立して首相に就任。その後は病に倒れながら(拓磨によると地道が日本を離れた後に心臓病を患ったという)舷一郎と15年振りに再会するのだが、董藤に謀殺される。孫の舷一郎に「道を切り開く」政治家としての強い資質を見出しており、死の間際にそれを伝えた。
死後、遺体は舷一郎や海峡同盟の手で火葬され、北海道虻田郡に墓を建てられた。第95話にて舷一郎が羽田・雲井・片桐の警護付きで墓参りに訪れた。
馬渕啓太郎(まぶち けいたろう)
北日本第2代首相。
復興委員会を中国影響下から脱却させようとするが、董藤の本心を見抜けず彼の委員長就任を手助けしてしまう。その後内閣改造で七星会関係者の排除を目論むも、首都・札幌で起きた董藤による自衛隊の狂言クーデターにはまり、失脚させられた挙句董藤の手で、北日本自衛隊最高指揮官としてのクーデターに対する引責自決を理由にした自殺に見せかけて、額を拳銃で撃ち抜かれて殺される。
死後、北日本自衛隊のトップの死によって、クーデター声明中で名指しで批判された中国は連の根回しもあって態度を軟化させ、また董藤と勝呂の密約であるクーデターに関与した自衛官への免罪も合法化された。また、董藤と手を結んだスタントンの意向により、CIAによって彼が自ら拳銃の銃口を額に当てて自殺する場面の合成映像が作られ、董藤が海峡紛争の果てに海峡区に乗り込むのと前後して南日本行政府へと送られた。後に周真瑜が七星会を告発した際に暗殺の事実が公表されたが、「自殺」を追認した米中政府が批判されることもなく、死が政争に利用されている。

復興委員会

華永烈(ホア ヨンリェ)
初代北日本復興委員会委員長。
復興委員会をの最高機関と自負し、震災後のの軍事面及び政経面を中国型の政策を手がけて支配してきた。南北連絡協議の側代表でもあり、代表のロックウェルや宗方と駆け引きを繰り広げたが、七星会の勢力を拡大しようとする董藤の策略を察知し、失脚させようと試みるも逆に董藤に首をへし折られ殺され、彼の秘書である藤永は立花と交代させられる形で解任された。公式には過労による心筋梗塞で急逝と発表されている。折り紙が趣味らしく、公務中にも折っている描写がある。
周真瑜(ヂョウ ジェンユイ)
第3代北日本復興委員会委員長。
かつて人民解放軍中佐(実際にはこの階級は中国語では「中校」と呼ばれる)時代に復興政策の責任者として連軍区に配属される。中国本土からに渡る経済物資の横流しによる連軍区司令官の陰謀を親交のあった孫市賢一郎、策太郎親子と共に突き止めたが、二人は謀殺され、自らも大陸の地方軍区に左遷された。そして札幌クーデター/日本海峡紛争/政府要人暗殺で政情不安定化したの再建を名目に総参謀副総長となった連の計らいで復興委員長に就任し、その直後自分の立場を利用して連を失脚させる。それから札幌全土に大量の中国軍を増派又は進駐させ、孫市と連携して統治グループ「七星会」メンバーの物資横流し・世論操作・暗殺等の告発やそれに伴う最高評議会の解散や全権委任法の撤廃、政治犯釈放を推し進め、宗教団体「既望の会」の摘発まで行った。舷一郎を復興委員に指名し、協力するよう呼び掛ける。また、形の上での民主化と、その背後での実質的な属国化をもくろんでいる。
後に、舷一郎らの活動阻止に失敗した事で、党から糾弾され、拷問の末に死亡したが、最後まで孫市を庇い続けていた。その最期を知った孫市は中国に恭順し中国企業側に株式を譲る一方で、霊廟を爆破しかつての野望を自ら葬った。
の最高権力者でありながら、自身の命の恩人の遺族である孫市を主君のごとく尊重し勤勉に付き従う。
名前の由来は周瑜(字は公瑾)

ポン淵明(ポン・ユエン・ミン)

第4代北日本復興委員会委員長。
周と対立していた。
服部博之(はっとり ひろゆき)
北日本復興委員。元最高裁判事。
周委員長の下で選出された一人で舷一郎の提案したICチップによる管理社会の撤廃には反対したが、やがて彼の提案(反中思想の政治犯釈放・公職選挙法改正を名目にした選挙誘導への反対・総選挙後の復興委員会解散)に賛同するようになったことで周の謀略により、高校教諭である息子の淫行事件をでっち上げられ、これを理由に委員会を追放される。
瀬川昇一(せがわ しょういち)
北日本復興委員。前駐中国北日本大使
周委員長の下で選出された一人で彼もまた舷一郎の提案に賛同するようになり、周の謀略で交通事故を起こし、罷免される。
石橋守直(いしばし もりなお)
北日本復興委員。経団連会長。
真鍋智彦(まなべ ともひこ)
北日本復興委員。毎読新聞社社長。
周委員長の下で選出された一人で、周の施策が民主化の名を騙った欺瞞であることを内心では冷笑的に見つつも異を唱えることはしなかったが、服部や瀬川が舷一郎に賛成する意を変えず、松崎も舷一郎の提案に賛成したのを見て自らも賛成する。周の謀略に気付き、舷一郎に感化された委員たちの糾合を諮るも、彼もまた董藤政権下に犯した贈賄・背任・横領の罪で逮捕され、委員会から追放される。だが、その直前に会社のウェブサイトに周と孫市による復興の陰謀を告発する内容を書き込み、その情報は羽田を経由して舷一郎の元へ届くことに。モデルは渡邉恒雄で、劇中では葉巻を愛飲している。柳琢磨とは古くからの親交があった。
松崎将一(まつざき しょういち)
北日本復興委員。ノンフィクション作家
周委員長の下で選出された一人で、自らが董藤政権下で董藤を絶賛し武力統一を支持する本執筆したことと、それをバイブルにしたまま海峡紛争で死亡した自衛官とその姉のホステスの言葉を聞いて、舷一郎の提案に賛成の意を示す。その結果、周の謀略によって委員を自己都合退職する。元は毎読新聞社の政治部記者で、柳琢磨の番記者だったことがある。
向谷雄一郎(むこうたに ゆういちろう)
北日本復興委員。仙台市長
周委員長の下で選出された一人。
林商隠(リン シャンイン)
北日本復興委員。全球投資公司北日本経理。
周委員長の下で選出された一人。

北日本自衛隊

勝呂奉一(すぐろ ぶいち)
北日本陸上自衛隊北部方面隊第11師団第10普通科連隊長一等陸佐
公文とは同期で彼の脱走後は中国の属国と化しているの現状打破の目的達成のため、董藤に賛同。自衛隊による札幌でのマッチポンプのクーデターの指揮を執り北日本国営放送局長の井川を殺害する。(自身は表向き鎮圧部隊を装った)これにより一躍成功を収めるものの、後に武力で強硬に日本再統一を目論む董藤を理解できず、宗方の勧めもあって彼を殺害する。それがもとで一時期精神を病む。療養してそれを克服したかに見えたが、自分に賛同する部下たちと共に統治グループ「七星会」メンバーの暗殺テロを行うが、公文により毒を盛られる。舷一郎からは毒があると教えられるが公文を信じて自ら毒を飲み死亡。死に際に舷一郎にの未来を託した。その手腕を評価している公文とは対照的に柳拓磨に対しては批判的であり、後に公文と接触した際には拓磨の派閥を「日本と自衛隊を中国に売った売国奴」と言い放っている。
董藤以外でスカーレットが懐いている唯一の人物(董藤いわく「恋する娘」)。
名前の由来は呂布(字は奉先)
三島(みしま)
北日本陸上自衛隊自衛官。勝呂の部下の1人。
海峡区侵攻に際してアメリカから日本を取り戻すと意気込むが、勝呂の敵側の人命重視命令に反発、山陽道庁ビルでの勝呂と舷一郎との董藤告発に関する会話を盗み聞きし、勝呂がビルから出たところを狙撃する。その後、南日本国防軍のヘリからの銃撃で死亡するが、死後も精神を病んだ勝呂の前に幻影として姿を現した。

既望の会

夏木恵理(なつき えり)
宗方のかつての恋人。1985年生まれ。震災当時は健常者だったが、現在は全盲。宗方と同じ高校に在学していた。因みに宗方とは性行為の描写もある。
宗方と共に東京で大地震に遭い、兄・惇史の止めも聞かず南日本に向かう。福岡のNPOで宗方と共に貧困者たちの生活支援のボランティアをするも、ボランティアの限界を感じて国費留学生となる道を選んだ宗方と被災者一人一人の心の救済が必要と考える自分との間の溝に悩み、結果彼からの渡米の誘い(恵理は国費留学生ではないが、宗方曰く「カップルで行くのは賛成」との理由で誘われた)を断って北日本の北海道、旭川に渡る(因みに恵理も宗方に一緒に旭川に行こうと誘うが断られている)。その後より現地の人々を救いたいという想いから、北海道に比べてより苛酷な環境の本州へ渡り、とある難民キャンプにて火事に遭遇。火事の中から子供を救い出すも、自らは熱と光を両目に浴び、医師と医薬品が不足していたため満足な治療が受けられずに盲目になる。その後は宗教的な救済に目覚め、剃髪して難民キャンプを回って説法を行い、ついには難民キャンプさえも飛び出して行方不明になっていたが、政府が影で支援する新興宗教団体「既望の会」の教祖・十六夜となり海峡区で宗方と再会。その後、董藤に操られている教団の実態に気づき脱会して舷一郎らと出会い共に行動する。周による「既望の会」摘発に際し、雲井から身を隠すよう言われるが、信者を見捨てることは出来ないと警察局へ出頭。その後は孫市により、舷一郎への切り札(およびサウスエリア=宗方との外交カード)として奥尻沖の島にある和風家屋に監禁されていたが、その後宗方の自身が体を張り、海軍をも動員した救出作戦により側に身柄を保護される。しかし上陸直前、孫市の差し向けた追っ手の凶弾から宗方を守る為にその身を挺する。女性としての面と宗教家としての面の間で苦しむ様をなぞらえるように、志を同じくする舷一郎に「既望の会」を託し、最後に視力が回復したことで一人の女性として宗方の側にいられた事を喜びながら、倒れた。
宗方については愛している反面、彼の作る国が「人々が悲しむ」という思いからそこを自分のいる場所ではないと考えている。一方舷一郎については「他人の苦しみを自分の事として考える」という点で共感し、惹かれるものを感じているが、その反面彼の作る国を「人々が戸惑う」と評し、認めていない。そして孫市については「黄金の衣をまとった哀れな子供」と評し、「荒野に立つ2人の王」である宗方・舷一郎より格下に見ている。
死後、宗方の情報戦略によって一部で生存説も流れたが、当の宗方が確認しているので死亡は確実である。また、公式上は混乱を防ぐ為、南日本への亡命中に船から転落事故死したと南日本当局によって発表された。ただし、星川ら「既望の会」信者は恵理が信者を置いて亡命するはずがないとその発表を信じていない。
名前の由来は夏侯恵(字は稚権)。
星川宿海(ほしかわ すくみ)
新興宗教団体「既望の会」教祖理事。
教祖・十六夜こと恵理と共に北日本の支援を受けて布教活動を行っている。恵理の脱会後も偽の十六夜を立てて布教活動を行い、董藤支持の方針を打ち出すも彼の死後は行方をくらます。その後、留萌の閉店したコンビニで独自に布教活動を行う中、その情報を入手した竹内とコンタクトを取り、結果として舷一郎達と接触する。その際、舷一郎から恵理を宗教家・十六夜に祭り上げたことを見抜かれる。
震災前は兄とともに架空投資詐欺を行っていた。震災で負傷し死んだ兄を看取った恵理を「聖女」と確信し、自身の再起に利用しようとした。しかし恵理からその逮捕直前に接触してきた時、そうした行動が無二の存在であった兄を喪った事への内罰行為であった事を指摘され、自分を許すようさとされる事で、真に己を改める事となる。舷一郎への伝言を恵理から託された事により、その意を汲んで教団の人間を集め、志を同じくする決意を彼に告げる。そして南日本へ脱出する舷一郎達を見送った。
竹内(たけうち)
「既望の会」幹部。星川と違い、純粋に恵理の定めた救済を旨とする教義に殉じる人間。そのため、星川による教団掌握後は密かに教団を離れ恵理、張と行動を共にすることに。その後、留萌にて星川と再会し、和解に至る。
児島(こじま)
竹内と同じく恵理を支持する人間、というのは表の顔。正体は宗方が恵理の護衛兼監視役として送り込んだ工作員。恵理の出頭後は消息捕捉のため公文を拘束するよう宗方から命令を受けるが成り行き上、張や竹内と共に舷一郎奪回に協力する。

その他(北日本)

上村春樹(うえむら はるき)
フリーのルポライター。
かつては東京の麻布北中学に通う、羽田の同級生だったが、大震災の末生き残った都民と共に北海道へと避難し、政府分裂を経て北日本国民となった。学生時代より文芸部に属するジャーナリスト志望者で、その道に入るも北日本政府・復興委員会によって報道の自由が制限され、ジャーナリズムが地に落ちた現状に不満を抱く。そのため、密かに北日本の暗部を調べ、北日本統治グループ「七星会」とそのトップである董藤の存在に気付き、さらには董藤が純粋な日本人ではなく中国残留孤児2世という出生の秘密にまで迫った。その結果、これに感付いた董藤にマークされる中、札幌市内で北日本に密入国した羽田と再会、北日本の現状と董藤に関する情報を話す。その直後、自分を尾行していた中国兵に気付き翌日の夜8時に円山公園で会おうと約束して別れるが、羽田が円山公園に到着した時には既に殺されていた。なお彼の死は、公式には暴漢による殺人事件ということになっている。名前の由来は村上春樹
董藤純也(とうどう じゅんや)
董藤卓也の父。新潟県出身。
昔は旧日本政府・民自党のNo.3で柳拓磨を窮地に追込む程の政治家であったが、現在は北日本の入国管理センターの政治犯収容所に収監されている。卓也の父であるが実は彼とは直接の血の繋がりが無く、卓也は中国残留孤児で離れ離れになった純也の腹違いの妹の子で養子にしたことから、後に自らの出生の秘密を知った彼を残忍化させるきっかけを創ってしまう(ただし、卓也に出生の秘密を知らせる以前に、彼が生まれついての残忍な精神の持ち主である兆候はあった)。
彼が父親不明の卓也を養子にしたのは、卓也が血の繋がった甥であることもあるが、最大の理由は彼自身が生まれつき無精子症を抱えており、妻静子との間に子宝に恵まれなかった為。
孫市堅一郎(まごいち けんいちろう)
孫市権作の父。
マゴイチ・ホールディングス創業者。
震災後の北日本復興を周と共に全力を挙げ、その途中で連による支援物資等の横流しの事実を知る。それを暴きだそうとするが、裏をかかれて拷問を受けた末に交通事故死に見せかけて謀殺された。死後、札幌のマゴイチ・コーポレーション社屋内にある権作のオフィスに、彼と策太郎の遺影が飾られ、その遺影を目にした周は思わず涙した。
名前の由来は孫堅(字は文台)
孫市策太郎(まごいち さくたろう)
孫市権作の兄。
マゴイチ・ホールディングス二代目CEO。
父の堅一郎や周と共に北日本の復興を手掛け、連の物資横流しの事実を暴き出そうとするも、同じく父と共に拷問の末に謀殺された。震災後に権作が行った企業買収を「死肉に群がるハゲタカ」と批判していた。
名前の由来は孫策(字は伯符)
栗本(くりもと)
旧柳拓磨派の元民自党政調会長
札幌クーデター後に政府を追われるが、舷一郎が北日本に再入国後密かに連絡を取り合っていた。勝呂一派の蜂起後、舷一郎や同じく旧柳拓磨派の副島・今井と共に神林と対面。北日本再建のために共闘することを誓う。その後、孫市や周の行動に不審を抱いていた矢先、舷一郎拘束・抹殺を狙う警察局の家宅捜査が入るが何とか自身は拘束を逃れ、舷一郎達と合流した。
副島(そえじま)
旧柳拓磨派の元民自党国会議員。
舷一郎と共に北日本再建に向けて動くが、孫市と周による警察局の家宅捜査に遭い、身柄を拘束される。息子慎一郎(しんいちろう)と孫娘がいるが、慎一郎は彼とは対照的に警察局の家宅捜査が来るまで北日本民主化を信じ、楽観視していた。
今井(いまい)
旧柳拓磨派の元民自党員。
孫市と周による警察局の家宅捜査に際し、副島に直ちに逃げるよう電話した。







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