吉祥寺 歴史

吉祥寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 01:16 UTC 版)

歴史

明暦3年(1657年)、明暦の大火で江戸本郷元町(現在の文京区本郷一丁目東京都立工芸高等学校付近)に存在した諏訪山吉祥寺門前町が焼失した際、江戸幕府は都市計画に基づき同地を大名屋敷として再建することにした。そのため、吉祥寺門前の住人を始めとする居住地・農地を大幅に失った者達に対し、「札野」「牟礼野」と呼ばれた幕府御用の場を代地とし、5年期限で扶持米を与えて家屋の建築費用も貸与するという条件で希望者を募った。吉祥寺の浪士の佐藤定右衛門と宮崎甚右衛門が土着の百姓・松井十郎左衛門と協力してこれに応じ、現在の武蔵野市東部を開墾して住人達を移住させた。

折しも玉川上水の開通に伴い、かつては水利が悪く人跡が少なかった武蔵野台地新田開発によって広大な農地へと変わっていく過程で、五日市街道(現在の東京都道7号杉並あきる野線)沿いに整然と区画された短冊状の土地が形成された。移住者によっては、五日市街道から玉川上水の分水である千川上水に至るまでの区画、600余(1,000m以上)にも及ぶ長大な土地を与えられた者もいた。しかし関東ローム層である土壌は肥沃とは言えず、農地は全て畑地であり、水田はなかった。吉祥寺に愛着を持っていた住人たちにより、新田は吉祥寺村と名付けられた。

1923年大正12年)の関東大震災を契機に被災した市街地から多くの人たちがまたもや吉祥寺に移り住むことになり、人口が急増。美しいケヤキ並木でも知られる成蹊学園池袋から移転したこともあって、農村から住宅街、そして多くの商店や学生で賑わう街へと変貌を遂げることになった。

1971年(昭和46年)の吉祥寺大通り完成を機に、商業地として本格的に発展するようになり、ファッション・文化、居住でも人気が高い街となった。その反面として、吉祥寺駅北東の近鉄百貨店裏に「近鉄裏」と俗称される風俗街が1970年代に形成された。市による環境浄化条例や客引き規制条例の制定、土地買い上げと風俗営業法の規定を利用した吉祥寺図書館建設による牽制などで、風俗店はピークの1970年代末の約90軒から十数軒へ激減した[3]

地名の由来

吉祥寺門前の住人が五日市街道沿いを開発・移住したことによる。当地に吉祥寺という名の寺院が所在したことはない。

沿革

  • 1653年承応2年)11月 - 玉川上水が開通。
  • 1657年明暦3年)1月18日 - 明暦の大火。
  • 1658年(明暦4年)1月 - 再度の大火(吉祥寺大火)で吉祥寺も焼失し、現在地(駒込、現在の東京都文京区本駒込)へ移転する。
  • 1659年万治2年)11月 - 佐藤定右衛門、宮崎甚右衛門、松井十郎左衛門が武蔵野原野の開拓を開始。
  • 1664年寛文4年)7月 - 幕府代官・野村彦太夫による検地が行われ、吉祥寺村が成立する。
  • 1703年元禄16年)11月 - 西側に吉祥寺新田村が成立する(後に吉祥寺村へ編入)。
  • 1868年明治元年)6月 - 吉祥寺村が武蔵県に編入される。
  • 1869年(明治2年)2月 - 品川県六番組に編入される。
  • 1871年(明治4年)12月 - 東京府に編入される。
  • 1872年(明治5年)5月 - 神奈川県に編入される。
  • 1873年(明治6年)5月 - 大区小区制施行に伴い、神奈川県第11大区4小区に属する。
  • 1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法施行に伴い多摩郡が分割され、神奈川県北多摩郡吉祥寺村となる。
  • 1889年(明治22年)
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 北多摩郡・南多摩郡西多摩郡が神奈川県から東京府へ移管され、東京府北多摩郡武蔵野村大字吉祥寺となる。
  • 1899年(明治32年)12月30日 - 吉祥寺駅が開業する。
  • 1928年昭和3年)11月10日 - 武蔵野村が町制施行し、東京府北多摩郡武蔵野町大字吉祥寺となる。
  • 1929年(昭和4年)9月1日 - 三鷹信号場が設置される。
  • 1930年(昭和5年)6月25日 - 三鷹信号場が三鷹駅に昇格する。
  • 1934年(昭和9年)4月1日 - 帝都電鉄井の頭線の吉祥寺駅が開業する。
  • 1937年(昭和12年) - 前進座は、演劇映画研究所と集団住宅を吉祥寺に建設。創造(稽古)と生活(住居と食糧(田畑・養鶏))を統合した理想の場を得る。吉祥寺に演劇の香りを持ち込んだ創世期となる。
  • 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制が施行され、東京都北多摩郡武蔵野町大字吉祥寺となる。
  • 1947年(昭和22年)11月3日 - 武蔵野町が市制施行し、東京都武蔵野市大字吉祥寺となる。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 武蔵野市内の町名整理が行われ、吉祥寺本町、吉祥寺東町、吉祥寺南町、吉祥寺北町、御殿山、中町に分割される[4]

  1. ^ 武蔵野市 - 市の面積変更に伴う町丁目別面積の変更について - 各町丁目の面積及び各町の面積の構成比 (PDF)
  2. ^ https://www.asahi.com/and/article/20180330/150443/
  3. ^ 【ぶらりふらり】吉祥寺(1)住民が団結 風俗街に歯止め朝日新聞』朝刊2018年12月6日(第2東京面)2019年9月19日閲覧
  4. ^ 『角川日本地名大辞典』1149頁。
  5. ^ 『吉祥寺今昔写真集』64-65頁
  6. ^ アップリンク吉祥寺
  7. ^ 『吉祥寺今昔写真集』138-139頁で、1970年当時の吉祥寺駅南口に「井の頭ボーリングセンター」があるのが確認できる。
  8. ^ 「吉祥寺今昔写真集」149頁掲載の写真において、ミドリヤの看板の下に「サンデーボウル B2レーン」の看板があるのが確認できる。
  9. ^ マチベンの事務所が吉祥寺にある設定.
  10. ^ a b c d ムサシノ吉祥寺で映画を撮ろう!
  11. ^ あんてるさんの花 公式サイト
  12. ^ さよならケーキとふしぎなランプ
  13. ^ 「臨場 劇場版」ヒットの裏に死体役の“無言の熱演” - スポニチアネックス
  14. ^ ウォーカームック 吉祥寺Walker 61806-55 株式会社KADOKAWA





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