北条氏直 墓所

北条氏直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/20 13:21 UTC 版)

墓所

早雲寺の北条五代の墓。左端が氏直の墓。

神奈川県箱根町の金湯山早雲寺

現在の早雲寺境内に残る氏直を含めた北条5代の墓所は、江戸時代寛文12年(1672年)に、北条氏規の子孫で狭山藩北条家5代当主の北条氏治が、北条早雲の命日に当たる8月15日に建立した供養塔である。

氏直の本来の墓所として、広島市西区田方の海蔵寺に墓が現存しているが、真偽の程は定かでない[19]

脚注

参考文献

  • 下山治久 編『後北条氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2006年。ISBN 4490106963 
  • 横浜市歴史博物館『特別展 秀吉襲来-近世関東の幕開け』横浜市歴史博物館、1999年。 
  • 黒田基樹 編著『北条氏直』戒光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第二九巻〉、2020年。ISBN 978-4-86403-349-7 
    • 黒田基樹「総論 北条氏直の研究」、6-45頁。 
  • 平塚市博物館市史編さん係 編『北条家過去帳・北条家系図』平塚市、1985年4月1日。NDLJP:9522911 (要登録)

外部リンク


注釈

  1. ^ 異説として、『石山本願寺日記』では永禄7年、『堀尾古記』では永禄6年、『異本小田原記』では永禄4年生まれということになっている(いずれも、特定時期に記された氏直の年齢から逆算した生年)。しかし、黒田基樹は、後北条氏自身(河内狭山藩)が作成した系図と信頼性の高い『石川忠総留書』の内容が合致していること、加えて後者が氏直を「戌年(=永禄5年)」生まれと明記していることを踏まえ、永禄5年(壬戌)生まれで間違いはないとしている[3]
  2. ^ 氏直の幼名を国王丸とした初見は江戸時代後期に編纂された『寛政重修諸家譜』で、江戸時代初期の系図や記録には氏直の幼名は全く出てこないことから創作の可能性もある。しかし、今川氏真の某年5月23日付の書状(『三浦文書』)には「国王(丸)殿を養子に迎えること」などを氏政と話し合ったことが記されており[4]、また他の文書に氏政の次男と記された国増丸(後の太田源五郎)よりも国王丸の方が兄と考えられること、この当時既に誕生していたもう1人の男子(後の氏房)の幼名は「菊王丸」であったことが確認出来る史料もあるため、氏直の幼名は国王丸であったと考えて差し支えないとみられている[5]
  3. ^ 同年5月に氏真夫妻によって小田原郊外の久翁寺で今川義元の13回忌が行われており、この時には氏直に当主を譲った筈の氏真が今川氏当主に復帰していることが判明するため。
  4. ^ 督姫の母の西郡局は今川氏親の娘(義元の妹)を母に持ち、氏直から見て督姫は再従妹(はとこ)にあたる。ただし、黒田基樹は今川氏親の娘と鵜殿長持(西郡局の父)との婚姻は江戸時代の創作の可能性が高いとしている[10]
  5. ^ 賛に北条英孫(北条氏治か?)が寄進した旨が記されている。後世の制作のためか尺の持ち方が異なるだけで、容貌・風姿共に父氏政と殆ど瓜二つに描かれている[13]
  6. ^ 遠山康英の子。徳川氏に引き止められるが随伴。のち徳川家臣。
  7. ^ 内藤綱秀の子。松田直秀の甥。氏直死後は松田と共に加賀前田家に仕えている。
  8. ^ 宮城政業の孫。
  9. ^ 氏直の没後、氏盛が継承した4,000石が小田原合戦後に徳川領とされた下野足利領であることを裏付ける史料があり、氏直の復権に家康が何らかの関与をしていた可能性がある。黒田は後の6,000石は河内国にあったのではないかと推測する[15]
  10. ^ 新井白石の『藩翰譜』は氏直が秀吉に毒殺されたとするが、根拠は無い。

出典

  1. ^ 実名は『因府年表』や鳥取市の正栄山妙要寺所蔵の肖像画による。
  2. ^ 同じ『因府年表』では池田利隆の許嫁であるとしているが、他の史料ではみられない。
  3. ^ 黒田 2020, pp. 8–9.
  4. ^ a b c d 浅倉直美「北条氏政正室黄梅院殿と北条氏直」『武田氏研究』第59号、武田史研究会、2019年1月、1-13頁。 
  5. ^ 黒田 2020, pp. 10–11.
  6. ^ a b c 黒田 2020, pp. 9–12.
  7. ^ a b 黒田 2020, p. 13.
  8. ^ 『戦国遺文』後北条氏編 - 2197号
  9. ^ 黒田 2020, p. 14.
  10. ^ 黒田基樹『北条氏康の妻 瑞渓院』平凡社〈中世から近世へ〉、2017年、34頁。 
  11. ^ 黒田 2020, p. 15.
  12. ^ 黒田 2020, pp. 18–19.
  13. ^ 『特別展 後北条氏と東国文化』図録 神奈川県立歴史博物館、1989年、151頁。
  14. ^ 豊臣秀吉朱印状(神奈川県立歴史博物館蔵)(横浜市歴史博物館 1999, p. 30(写真掲載))
  15. ^ 黒田 2020, pp. 32–34.
  16. ^ a b c 平塚市 1985, p. 12.
  17. ^ 平塚市 1985.
  18. ^ a b 平塚市 1985, p. 13.
  19. ^ 西国街道を行く 己斐~草津(墓所の画像あり)


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