メーヌ・ド・ビラン
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著作(邦訳)
- 佐藤博之 訳『人間学新論』開明書院、1981年6月。
- F.C.T.ムーア校訂 編、益邑齊・大崎博・北村晋・阿部文彦 訳『人間の身体と精神の関係 コペンハーゲン論考1811年』掛下栄一郎監訳、早稲田大学出版部、1997年5月。ISBN 9784657975195。
- F.C.T.ムーア校訂 編、益邑齊・大崎博・北村晋・阿部文彦 訳『人間の身体と精神の関係 コペンハーゲン論考1811年』掛下栄一郎監訳(新装版)、早稲田大学出版部、2001年1月。ISBN 9784657011022。
- 増永洋三 訳『人間学新論 内的人間の科学について』晃洋書房、2001年12月。ISBN 9784771012950。
- ^ 『哲学の歴史 6』中央公論新社、2007年。項目≪メーヌ・ド・ビラン≫(執筆者:村松正隆).600-601頁。 (以下、『哲学の歴史6』と略す)
- ^ (1).杉村靖彦『フランス反省哲学における神の問題』哲學研究575号、京都哲學会(2003年)。51頁.
(2).関連外部リンク“フランス反省哲学の分岐点(2.反省哲学とは何か)”. 2015年7月29日閲覧。 - ^ a b fr:Maine de Biran
- ^ a b c d 『哲学の歴史6』602-604頁.
- ^ 「ナポレオン・ボナパルト#帝国崩壊へ」
- ^ 「メーヌ・ド・ビラン」という呼称はこの時から使い始めている。(『哲学の歴史6』.604頁)
- ^ 「魂が粉々に打ち砕かれたとき、哲学は何の役にたとう」と1804年の書簡にビランは記している.(『哲学の歴史6』606頁および訳註3)
- ^ 『哲学の歴史6』605-608頁
- ^ 「フランス革命移行に学士院などを根城としながら諸学問の改革とその教育を目ざした人々の発想を一般に指している。」「経験論にのっとり、生得観念や宗教的観念を否定しつつ、啓蒙の理念を実地に推進しようとした。」イデオロジーの代表的な思想家としてカバニス、デステュット・ド・トラシーなどが挙げられ、広義の観念学派としてはスタンダールまで含まれ、分派的後継者としてオーギュスト・コントを挙げる論者もいる。(『哲学の歴史6』.575、595、613-615頁)
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