フェルナンド2世 (アラゴン王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 18:28 UTC 版)
子女
イサベル1世との間に1男4女をもうけた。現在のスペイン王家は次女フアナと三女マリアの子孫にあたる。
- イサベル(1470年 - 1498年) - 1490年、ポルトガル王ジョアン2世の息子アフォンソ王太子と結婚するが、翌年死別し帰国。1497年、ポルトガル王マヌエル1世と再婚し、男児(夭折)を出産後死亡。
- フアン(1478年 - 1497年) - 唯一の男子だったが、フィリップ美公の妹マルグリットと結婚後間もなく夭折。
- フアナ(1479年 - 1555年) - 夫フィリップ美公の死後精神を病み、父により幽閉されるが、形式上カスティーリャ女王の地位についた。
- マリア(1482年 - 1517年) - 姉イサベルの死後マヌエル1世の王妃となる。
- カタリーナ (1485年 - 1536年) - はじめイングランドのアーサー王太子と結婚。その死後、アーサーの弟ヘンリー8世と再婚し、王妃となるが、後に離縁される。メアリー1世の母。
脚注
参考文献
関連項目
- スペイン異端審問
- トルデシリャス条約
- フランシスコ・ボルハ - 庶出の曾孫に当たる。第3代イエズス会総長。
- フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス - 枢機卿、スペイン摂政。
先代: フアン2世 |
アラゴン王 フェランド2世 1479年 - 1516年 |
次代: カルロス1世 |
バルセロナ伯 フェラン2世 1479年 - 1516年 | ||
バレンシア王 マヨルカ王 フェラン2世 1479年 - 1516年 | ||
シチリア王 フェルディナンド2世 1468年 - 1516年 | ||
先代: ルイージ |
ナポリ王 フェルディナンド3世 1504年 - 1516年 | |
先代: エンリケ4世 |
カスティーリャ王 レオン王 フェルナンド5世 1474年 - 1504年 イサベル1世と共治 |
次代: フアナ |
先代: カタリナとフアン3世 |
ナバラ王 フェルナンド 1512年 - 1515年 |
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- ^ Ferdinand II king of Spain Encyclopædia Britannica
- ^ 田澤耕『カタルーニャを知る事典』平凡社、2013年、55頁。ISBN 978-4-582-85674-3。
- ^ スペイン王国の成立時期については諸説ある。フェルナンドがアラゴン王位を継承し、連合王国が誕生した1479年とする説、レコンキスタを完遂した1492年とする説の2説が有力である。
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