フアン1世_(カスティーリャ王)とは? わかりやすく解説

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フアン1世 (カスティーリャ王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 08:55 UTC 版)

フアン1世
Juan I
カスティーリャ国王
在位 1379年 - 1390年
戴冠式 1379年7月25日ブルゴス郊外のラス・ウエルガス女子修道院
別号 ガリシア国王

出生 (1358-07-20) 1358年7月20日
アラゴン王国、エピラ
死去 (1390-10-09) 1390年10月9日(32歳没)
カスティーリャ王国アルカラ・デ・エナーレス
埋葬 カスティーリャ王国トレド大聖堂
配偶者 レオノール・デ・アラゴン
  ベアトリス・デ・ポルトゥガル
子女 エンリケ3世
フェルナンド1世
ミゲル
家名 トラスタマラ家
王朝 トラスタマラ朝
父親 エンリケ2世
母親 フアナ・マヌエル・デ・カスティーリャ
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フアン1世(Juan I, 1358年7月20日 - 1390年10月9日)は、カスティーリャ王国トラスタマラ朝国王(在位:1379年 - 1390年)。エンリケ2世(恩寵王)と王妃フアナ・マヌエルの子。

生涯

1375年、アラゴン王ペドロ4世の王女レオノールと最初の結婚をした。カスティーリャとレオンの王位を継承したエンリケ3世、母方からアラゴンとシチリアの王位を継承したフェルナンド1世は、レオノールとの間の子である。

1382年にレオノールが死去すると、同年のうちにポルトガル王フェルナンド1世の王女ベアトリスと再婚した。翌1383年、フェルナンド1世が死去すると、その娘婿である所以を理由にしてポルトガルに侵攻し、その領土支配と王位継承を目論んだ。しかし1385年アルジュバロータの戦いでフェルナンド1世の庶弟に当たるジョアン1世(大王)の前に大敗を喫した。

このように連年のポルトガル侵攻を行なった結果、カスティーリャ王国の財政は多大な軍費で破綻し、軍も弱体化して王国の存亡が危ぶまれた上、かつて父エンリケ2世と王位を争ったペドロ1世(残虐王)の残党らによるクーデター計画まで発覚することとなる。これに対してフアン1世は、ペドロ1世の孫娘カタリナランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘キャサリン)を自身の王太子エンリケと結婚させることや、フランスの支援を得ることで持ち直した。

1390年、32歳で落馬事故により死去した。

子女

アラゴン王ペドロ4世の娘レオノールとの間に以下の子女がいる。

  • エンリケ3世(1379年 - 1406年) - カスティーリャ王
  • フェルナンド1世(1380年 - 1416年) - アラゴン王、バレンシア王、バルセロナ伯、およびシチリア王
  • レオノール(1382年生)

ポルトガル王フェルナンド1世の娘ベアトリスとの間に以下の1男をもうけた。

  • ミゲル(1384年 - 1385年)



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