レオノール・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃)とは? わかりやすく解説

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レオノール・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/30 15:20 UTC 版)

レオノール・デ・アラゴン
Leonor de Aragón
カスティーリャ王妃
在位 1379年 - 1382年

出生 (1358-02-20) 1358年2月20日
アラゴン王国、エル・プイグ
死去 (1382-08-13) 1382年8月13日(24歳没)
カスティーリャ王国クエリャル
埋葬 カスティーリャ王国トレド大聖堂
結婚 1375年6月18日 ソリア
配偶者 カスティーリャフアン1世
子女 カスティーリャ王エンリケ3世
アラゴン王フェルナンド1世
家名 バルセロナ家
父親 アラゴンペドロ4世
母親 レオノール・デ・シシリア
宗教 ローマ・カトリック
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レオノール・デ・アラゴン(Leonor de Aragón, 1358年2月20日 - 1382年8月13日)は、カスティーリャフアン1世の最初の王妃。父はアラゴンペドロ4世、母はその3番目の王妃レオノール・デ・シシリア。アラゴン王フアン1世マルティン1世の同母妹である。

生涯

トラスタマラ家の祖であるカスティーリャ王エンリケ2世の王子フアンと1375年に結婚し、1379年に夫の即位により王妃となった。2人の間には2男が生まれた。

1382年にレオノールが24歳で早世した後、フアン1世はポルトガルフェルナンド1世の王女ベアトリスと再婚し、フェルナンド1世死後の王位継承争いに介入するが、これは国力の浪費に終わった。フアン1世は1390年に32歳で早世し、長男エンリケがエンリケ3世として即位した。

1410年にレオノールの兄マルティン1世が正嫡の後継者を残さずに死去した際、次男フェルナンドがその最近親かつ正嫡の男子であることから(エンリケ3世はすでに死去していた)、カスペの妥協により1412年にアラゴン王位を継承した。




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