フアン1世 (アラゴン王)とは? わかりやすく解説

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フアン1世 (アラゴン王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 09:24 UTC 版)

フアン1世 / ジュアン1世
Juan I / Joan I
アラゴン国王
在位 1387年 - 1396年
別号 マヨルカ国王

出生 (1350-12-27) 1350年12月27日
カタルーニャ君主国ペルピニャン
死去 (1396-05-19) 1396年5月19日(45歳没)
カタルーニャ君主国ジローナ、トレリャ・デ・モングリ
埋葬 カタルーニャ君主国ポブレー修道院
配偶者 マルタ
  ビオランテ
子女 一覧参照
家名 バルセロナ家
王朝 バルセロナ朝
父親 ペドロ4世
母親 レオノール・デ・シシリア
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フアン1世西:Juan I, 1350年12月27日 - 1396年5月19日)は、アラゴンバレンシア王、およびバルセロナ伯(在位:1387年 - 1396年)。カタルーニャ語名ではジュアン1世(Joan I)。ペドロ4世と3番目の王妃レオノール・デ・シシリアシチリアピエトロ2世の娘)の間の長男。狩人王不真面目王と呼ばれる[1]

生涯

父ペドロ4世と仲が悪く、自身の結婚および父の再婚で対立した[2]。芸能を愛好し、文化の振興に貢献したが、政治面では妃ビオランテとその寵臣らが牛耳るのにまかせ、結果として家臣らの不満が増大し、浪費により王室は財政難に陥った[3]。1396年、狩りの最中に死去したが、財政難のため王にふさわしい棺をつくることができなかったという[4]。2人の妻との間にもうけた男子は全て夭逝していたため、王位は弟マルティン1世が継承した。

子女

最初の妃、アルマニャックジャン1世の娘マルタ(1347年 - 1378年)との間には5人の子女をもうけた。

  • ハイメ(1374年)
  • フアナ(1375年 - 1407年) - 1392年、フォワ伯マチューと結婚
  • フアン(1376年)
  • アルフォンソ(1377年)
  • レオノール(1378年)

2番目の妃、バル公ロベール1世の娘ビオランテ(1365年 - 1431年)との間には7人の子女をもうけた。

  • ハイメ(1382年 - 1388年)
  • ビオランテ(1384年 - 1442年) - 1400年、アンジュー公ルイ2世と結婚
  • フェルナンド(1389年)
  • アントニア(1391年 - 1392年)
  • レオノール(1393年)
  • ペドロ(1394年)
  • フアナ(1396年)

脚注

  1. ^ 田澤、pp. 172 - 173
  2. ^ 田澤、p. 173
  3. ^ 田澤、pp. 173 - 174
  4. ^ 田澤、p. 174

参考文献

  • 田澤耕 『物語 カタルーニャの歴史』 中央公論新社、2000年

関連項目

先代
ペドロ4世
アラゴン王
バルセロナ伯
バレンシア王
マヨルカ王
1387年 - 1396年
次代
マルティン1世
先代
創設
ジローナ公
1351年 - 1387年
次代
ハイメ(フアン1世の長男)



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