フェルナンド・デ・ラ・セルダとは? わかりやすく解説

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フェルナンド・デ・ラ・セルダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 07:58 UTC 版)

フェルナンド・デ・ラ・セルダ
Fernando de la Cerda
フェルナンドの墓石

出生 (1255-10-23) 1255年10月23日
死去 (1275-07-25) 1275年7月25日(19歳没)
カスティーリャ王国シウダー・レアル
埋葬 カスティーリャ王国、サンタ・マリア・デ・ラス・ウエルガス王立修道院
配偶者 ブランシュ・ド・フランス
子女 アルフォンソスペイン語版
フェルナンドスペイン語版
父親 カスティーリャアルフォンソ10世
母親 ビオランテ・デ・アラゴン
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フェルナンド・デ・ラ・セルダ(Fernando de la Cerda, 1255年10月23日 - 1275年7月25日)は、カスティーリャ王国の王太子。ラ・セルダ家の祖。父はカスティーリャ王アルフォンソ10世、母はアラゴンハイメ1世の娘ビオランテサンチョ4世の兄。生年は1253年説もある。

生涯

1269年フランスルイ9世と王妃マルグリットの娘ブランシュと結婚、2人の男子を儲けたが、1275年、父に先立ってシウダー・レアルで死去した。フェルナンドの早世などが原因となり、弟サンチョが父に対して反乱を起こし、1282年に王位を奪ってサンチョ4世として即位した。

子女

  1. アルフォンソスペイン語版(1270年 - 1324年)
  2. フェルナンドスペイン語版(1275年 - 1322年) - 長女ブランカ・ヌニェス・デ・ララはカスティーリャ王族フアン・マヌエルと結婚、三女マリア・デ・ララ(1375年没)は、1336年アランソン伯シャルル2世と結婚した。

孫娘ブランカとフアン・マヌエルとの間の娘フアナ・マヌエルがサンチョ4世の曾孫エンリケ2世の王妃となり、フアン1世を生んだことから、トラスタマラ家はフェルナンドの血も引いている。





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