フェデリーコ3世_(シチリア王)とは? わかりやすく解説

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フェデリーコ3世 (シチリア王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 10:20 UTC 版)

フェデリーコ3世
Federico III
シチリア国王
フェデリーコ3世のレアル銀貨
在位 1355年 - 1377年

出生 (1341-09-01) 1341年9月1日
シチリア王国カターニア
死去 (1377-01-27) 1377年1月27日(35歳没)
シチリア王国メッシーナ
埋葬 シチリア王国カターニア大聖堂
配偶者 コンスタンサ・デ・アラゴン
  アントーニア・デル・バルツォ
子女 マリア
家名 バルセロナ家
王朝 アラゴン朝
父親 ピエトロ2世
母親 エリザベッタ・ディ・カリンツィア
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フェデリーコ3世(Federico III, 1341年9月1日 - 1377年1月27日)は、シチリア王(在位:1355年 - 1377年)。シチリア王ピエトロ2世の息子。単純王(il Semplice)とよばれる。

生涯

ルドヴィーコの夭逝により、1355年に13歳で王位を継承した。即位後はナポリ王国の侵攻に苦しめられ、1373年にはナポリ女王ジョヴァンナ1世ローマ教皇グレゴリウス11世に対して服属するという屈辱的な和睦を結ぶこととなった。1361年にアラゴンペドロ4世の娘コンスタンサと結婚し、間に一人娘のマリア王女をもうけた。1372年にアントーニア・デル・バルツォと再婚するが、子供のないまま死別した。

フェデリーコ3世には男子がなかったため、1377年の死後、王位は最初の王妃との間の一人娘マリアが継承した。しかしその後、王位をめぐる内紛が発生し、その末にシチリア王国はコンスタンサの異母弟でフェデリーコの妹エレオノーラの息子であるマルティン1世によってアラゴンに再併合された。

フェデリーコ3世/4世

シチリア王フェデリーコ1世が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(イタリア名を用いるとフェデリーコ2世)として有名なため、フェデリーコ2世(1272年 - 1337年、本項人物の祖父)を「フェデリーコ3世」、本項人物を「フェデリーコ4世」と記す文献もある。

先代
ルドヴィーコ
シチリア王
1355年 - 1377年
次代
マリア



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