ファミリーコンピュータ 反響

ファミリーコンピュータ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/15 00:36 UTC 版)

反響

ファミリーコンピュータは人気を獲得して以降、ゲームで遊ぶ人々のみならず、出版・音楽・映像・証券業界、教育・医療関係者、果ては国会議員など様々な人々のビジネスや研究・議論に影響を与えていった。

人気

ファミリーコンピュータが発売された1983年は家庭用ゲーム機、並びに低価格帯のコンピュータの市場はまだ黎明期で、複数のメーカーが争っていた[注釈 33]。ファミリーコンピュータは家庭用ゲーム機業界内の後発商品であり、発売時はマスメディアにも大きく取り上げられなかった[30]

単純に定価だけ比較すれば、同日に発売されたSG-1000と同程度、ほぼ同時期に発売のカセットビジョンJr.と比べれば3倍近い価格だった。同年に日本で発売された主な「家庭用テレビゲーム専用機」に限っても(すなわちテレビにつながないCRT一体型機種や、キーボードの付いたゲームパソコン類を除けば)、2万円を超えるものはAtari 2800くらいしかなかった。つまり価格は競合製品と同水準だった。

その中でファミリーコンピュータは当初はアーケードゲームが家庭でできることをセールスポイントにし、ゲーム機本体のスロットに差し込むロムカセットを交換することにより様々なゲームを楽しむことを特徴として、製品パッケージにも「家庭用カセット式ビデオゲーム」と銘打った。発売当初はPPUのバグの発覚による出荷停止があり振るわなかったものの[95][注釈 34]、1984年1月末ごろには出荷停止中にもかかわらず、他のゲーム機を購入せず、ファミリーコンピュータの入荷を待つ客が登場するぐらい人気が出始めた[30]

その後は以下の理由により、徐々に人気を向上させていった。

  • 競合製品と同価格帯にありながら、特化された設計により、ゲームに対しては高い性能を誇った[注釈 35]
  • 任天堂自身の優れたソフト開発力、サードパーティー[注釈 36]による豊富なラインアップを実現した[注釈 37]
  • 1984年8月14日に改正され、1985年2月13日から施行された風適法により、18歳未満は夜間帯のゲームセンターへの入場が規制されたことでファミリーコンピュータで遊ぶようになった[103][注釈 38]
  • それまでのゲーム機は主に玩具流通で販売されていたが、この頃の機種はディスカウントストアでも販売され、価格も値下げされていた。値下げ前の価格でも敬遠していた一般層がこれを機に購入するようになった[106][注釈 39]

1988年までにおける6歳から17歳の男性の家庭用TVゲーム機の所有率は85%であったが、その85%の内、80%をファミリーコンピュータが占めており[108]、他を圧倒していた[注釈 40][注釈 41]。また80年代末の時点で世帯普及率は約4分の1で小中学生の子どもを持つ家庭のほとんどが本機を所有していた[111]。また男性だけでなく特に『スーパーマリオブラザーズ』は女性(少女)も遊ぶ機会があり、『スーパーマリオブラザーズ』のゲーム画面を見て「かわいい」と評する人もいた[30]

結果、リコーの半導体事業はファミリーコンピュータの好調な売れ行きのおかげで好転し、4年で黒字転換した[95]

アメリカで発売されたNESも、アタリショック以来冷え込んでいたアメリカのテレビゲーム産業を復活させた[注釈 42]

一方で1985年の『スーパーマリオブラザーズ』発売による爆発的なファミコンブームのおかげで本体が常に品薄状態になり、小売店によっては売れ残ったソフトをセットにして売る、いわゆる抱き合わせ商法を行う店もあった[注釈 43]。また1988年にエニックスから発売された『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の時には販売店へ長蛇の列ができ、学校を休んで購入する者や購入したものから盗む行為が行われ社会問題となった[113]

こうして、ファミリーコンピュータはその影響力の大きさから早々に「ファミコン」が普通名称化し、テレビゲームの事情に疎い年配層を中心にテレビゲームそのもの(特にゲームハード)を指す代名詞として用いられた。

関連商品・サービス

『スーパーマリオブラザーズ』の人気によって、他業界で関連商品やサービスが展開され、ゲーム業界とともに発展していった。

中古販売
ゲームソフトを買い取り、中古品として販売するリサイクルショップが登場した[114]。このような店は「ファミコンショップ」と呼ばれ、個人商店が多かった[115]が、中にはカメレオンクラブなど、全国にチェーン展開する企業も現れた[114]
出版
ゲーム雑誌は『Beep』や『ログイン』(アスキー)、『コンプティーク』(角川書店)などがあったが、ファミリーコンピュータ専門誌である『ファミリーコンピュータMagazine』の登場によって、他社からも同様の専門誌が登場した。
1985年に徳間書店から出版された『スーパーマリオブラザーズ 完全攻略本』が2年連続で全ての書籍のベストセラー1位になった[30]。以降、各社からゲームの攻略本が出版されるようになった。
一方1987年には英知出版が発売していた月刊誌『ハイスコア』が『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』の攻略情報を掲載しようとしたところ、ゲーム発売元のエニックスが雑誌の販売差し止めを求めて裁判を起こした。東京地方裁判所設樂隆一はエニックスの訴えを認めて、ゲーム制作者の意図に反してゲーム画面を掲載することは著作権侵害に当たる司法判断を示した[116]
また漫画においても「ファミコン」やそれに準ずる言葉をタイトルに用いた作品が『月刊コロコロコミック[注釈 44]や『コミックボンボン[注釈 45]、『月刊少年ジャンプ[注釈 46]などの雑誌で連載されていた。このうち『ファミコンロッキー』は派手な演出を目的として、ウソ技など実在しない要素を描いていた[注釈 47]
音楽
ゲーム音楽自体は1984年4月25日に発売した『ビデオ・ゲーム・ミュージック[119]や『スーパーゼビウス』、『ザ・リターン・オブ・ビデオ・ゲーム・ミュージック』などいずれもナムコのアーケードゲームに関連した作品が発売されていた。
他社のゲーム音楽にも波及し始めたのが1986年であり、任天堂のゲームからは3月30日に『スーパーマリオブラザーズ マリオの大冒険』、『スーパーマリオブラザーズ クッパ一族かぞえ唄』、3月31日に『スーパーマリオブラザーズ オリジナルサウンドトラック』が発売され[120]5月16日には『マリオシンドローム』、『ファミコン・ミュージック』[121]が発売された。
日本物産からは9月中旬に『テラクレスタ』のカセットテープが発売された[122]
コナミのゲームからは9月10日に『コナミ・ゲーム・ミュージックVOL.2』、テクモのゲームからは9月25日に『テクモ・ゲーム・ミュージック』が発売された[123]
このように、1986年以降ファミリーコンピュータの普及に伴って、ゲーム音楽は一つのジャンルとして音楽市場を形成していった。
映像
任天堂のゲームからは1986年7月20日に『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦!』、『スーパーマリオブラザーズ2 完全攻略法』が上映され、ハドソンのゲームからは『RUNNING BOY スター・ソルジャーの秘密』が上映された[124]
ナムコのゲームからは1986年10月5日に『ナムコの伝説』が発売された[125]
以降、ゲームのキャラクタを使用した映画[注釈 48]やゲームの攻略ビデオなどで市場を形成していった。
また、ファミっ子大作戦ファミっ子大集合などのテレビゲーム情報番組も同時期に放送開始された。
イベント
ハドソンは「全国キャラバン」と称したゲーム大会を1985年に開催し、以降1997年まで毎年開催された[注釈 49]。このゲーム大会ではファミコン名人と呼ばれる、ゲームの実演を仕事として行い、当時の子供たちの人気を得たゲーム関係者が活躍した。特に高橋名人毛利名人に関しては『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』が上映されるほどの人気があった[124]
玩具[要出典]
本機の人気が出始めた1984年(昭和59年)頃から早くも本体やキャラクターを立体化した「消しゴム」がカプセルトイ自販機にて街中の玩具店等で売られ始めた。その中には任天堂の許諾商品があったが、文字を一部入れ替えた無許諾商品も存在した。また「ポケットファミコン」と言う任天堂許諾商品のキーホルダー(ケースはカセット用を流用)、そしてロッテからは食玩の「ファミコンチョコ」が、サードパーティーによるゲームソフトのボードゲーム等数多くの関連商品が売られた。
本機の製造が終了した2003年(平成15年)以降も子供時代に親しんだ人々を主な対象とし、懐かしさを喚起する商品として本体やコントローラを模した形のキーホルダー・クッション・時計など様々なものが発売された。懸賞プレゼントやプライズゲーム用景品など、非売品として世に出るものも多かった。
証券
1987年から1988年にかけて、山一・野村・大和・日興証券はファミリーコンピュータを使用した、証券のオンライントレードサービスを開始した。1987年時点ではファミリーコンピュータのように1,000万台を超える双方向通信が可能な端末が普及したことは電話機を除いて他になく、家庭における情報化の一助となった[16]

子どもへの影響

その影響力の大きさと他のゲーム機と比して圧倒的な普及率の高さゆえに当時の子ども達の遊びや話題の主流を占めるに至った。 そのため、これら変化に伴い、1980年代後半には子どもを対象とした研究が行われた。

興味関心面
ファミリーコンピュータを通して、コンピュータに興味を持つようになった[126][127]
健康面
ゲーム後に、頸や肩、腕、手指などの疼痛、眼精疲労など視力に関する諸症状を訴えることが多い[128]
1986年、愛知県眼科医会は愛知県教育委員会教育長に対し、ファミコンで長時間遊んだことが原因と見られる視力低下の子どもが急増しているとして、生徒への指導・規制策を求める要望書を提出した[129]
精神面
達成感やストレス解消になる[130]一方、親の話を聞かない、勉強が手につかないなど反抗・虚脱感・無気力になるものもいる[131]
この理由からファミコンやコンピュータゲーム全般に対し根強い反感や嫌悪感を示す保護者や教育者も存在し、頑として買い与えないケースも見受けられた。
1986年12月、九州大学教育学部は、「ファミコンをやる子は暴力的傾向が目立つ」という研究結果を発表。小学校高学年で週4回以上ゲームをする子としない子では「物を壊したり暴力をふるいたくなるか」の問いに、ゲームをする方がより多く「そう思う」と答えた。さらに「テレビゲームで遊んでいる最中は自分がすべてをコントロールしている」などの優越感、支配感が強くなりがちとなる。結果としては「テレビゲームは子供の中にある攻撃性を短絡的に引き出してしまう。子供が弱者いじめを平気ですることと、テレビゲームの流行は同じ素地にあるのではないか」とまとめられている[132]

国会での論議

1986年2月12日衆議院予算委員会公明党矢追秀彦ブラウン管を使用したOA機器の普及に伴う労働者の健康対策に関する質問に関連して、ファミリーコンピュータを「徹夜しかねないほど、おもしろい」と言及したうえで、厚生省が健康対策を講じていないことを批判、それに対して、文部大臣海部俊樹は「目の疲労だけでなく精神的な影響の考慮も必要」、厚生大臣今井勇も「TVゲームが目に与える影響を検討していく」と答弁した[133]

同年3月7日の同じく衆議院予算委員会で共産党藤田スミはファミコンの広範囲の普及による、子どもたちへの目や精神面に与える影響についておよびコンピュータ支援教育の子どもに与えるデメリットに関して本格的に取り組まない理由を質問し、文部大臣の海部俊樹は今後精神科医も交えて会議していくことに了承した。 また、藤田はゲームの長時間プレイにソフト供給側などの業界に指導をするように求め、通産省は文部省と協力して対策していくと答弁した。[134]


注釈

  1. ^ ファミリーベーシックとデータレコーダー経由
  2. ^ ディスクシステム経由
  3. ^ 一部セーブ機能を持っていながらもバッテリーバックアップを搭載していないソフトがある。
  4. ^ 任天堂の公式表記では、日本産業規格(JIS)の当時の表記ルール(→長音)にのっとり「コンピュータ」と末尾の長音を伸ばしていない
  5. ^ 発表時点では1983年6月下旬発売予定[5][6]
  6. ^ 韓国では任天堂ではなく現代電子産業(現・SKハイニックス)が発売し、コンボイ(Hyundai Comboy)という韓国独自の名前になっている。
  7. ^ ファミリーコンピュータとNintendo Entertainment System(NES)はカセットや周辺機器の接続部分の機械的な仕様の違いでお互いの互換性はない。また、ファミリーコンピュータには搭載されてない「海賊版対策回路」が組み込まれている。
  8. ^ ただし「おもちゃは1万円以下でないと売れない」と本機開発以前から山内が発言していたため、上村たち開発陣は山内から要求される前から9,800円の価格を想定した[33]
  9. ^ 価格以外にも「子供がうっかり踏んづけても壊れにくい」構造にするという理由もあった[35][33]
  10. ^ 他のホームコンピュータ向けに開発されたものや、テレビのチャンネル表示IC等
  11. ^ 少ないとはいえ選択が可能になっている音源の波形、⊿PCMの搭載、パレットによる選択可能な色数など。
  12. ^ この機能を利用した主なゲームには『バンゲリング ベイ』や『スターラスター』、『たけしの挑戦状』、『ゼルダの伝説』、『ドラえもん(ハドソン版)』、『スターソルジャー』、ファミリーベーシックV3のサンプルプログラム『ハート』などがある。
  13. ^ 同世代のハードウェアでは、セガSG-1000IIでこれと同様のボタン改良を行っている。
  14. ^ メーカーのチラシやアンケートはがきが封入される場合もあった
  15. ^ 日本初のロムカセット取り替え式の家庭用ゲーム機はカセットビジョン[58]。日本国外の技術を流用した日本国内機種も含めると、より古い製品も存在する[59]
  16. ^ 星のカービィ 夢の泉の物語』では主にサブメロに用いられていた。
  17. ^ 移植された作品ではオーケストラアレンジなど同曲はパイプオルガンを意識した物となっていない。
  18. ^ ドラゴンクエストIV』の「不思議のほこら」ではメロディーラインにホワイトノイズを薄く重ねることによってパイプオルガンの送風ノイズを表現している[注釈 17]
  19. ^ 1980年代前半は、1984年スティーヴィー・ワンダーレイ・カーツワイルの研究室でPCMシンセサイザー(Kurzweil K250)に初めて触れたような時代である。
  20. ^ 初期の利用例としては、『スパルタンX』の音声がそれにあたる。
  21. ^ サンソフトの『ラフワールド』では、サンプリングされたシンセベースの演奏に使われていた。コナミの『トップガン デュアルファイターズ』『スーパー魂斗羅』では、BGM中のオーケストラヒットに使われた。『スーパーマリオUSA』では、『夢工場ドキドキパニック』で本来ディスクシステム側で鳴らしていた合成音を再現するために使われた。『暴れん坊天狗』のベストスコア表示時のBGMはDPCMのサンプリング音のみで構成されていた。『バトルトード』では、DPCMを鳴らす際、ソフトウエア制御によって、直接7bitのPCMを再生させている。
  22. ^ エミュレータや互換機など、このレジスタ、フラグ、カウンタが正しく実装されていない環境ではこれらを用いた効果音は音が違ったりBGMの演奏が正常に行われないなどの状況が発生する。
  23. ^ これを利用したものは ディスクシステム波形メモリ音源、一部コナミ製ゲームの追加音源 - 『悪魔城伝説』や『魍魎戦記MADARA』などで使われたVRC VI・『ラグランジュポイント』のVRC7に内包した2オペレータFM音源。VRCについては下記MMCの項も参照。『デジタル・デビル物語 女神転生II』など、一部ナムコ製ゲームのNamco 163追加音源、『ジャストブリード』などに使われた、MMC5に搭載されている音源、『ギミック!』に使われた、一部サンソフト製ゲームのSunsoft 5B追加音源、ジャレコの『燃えろ!!プロ野球』の「しゃべる」審判員、 ベネッセコーポレーションの教材スタディボックス
  24. ^ EGG MUSIC RECORDSからリリースされたファミコン用サウンドトラック等
  25. ^ 競合製品の搭載した、AY-3-8910やSN76489等では、デューティ比の固定された矩形波が三音とホワイトノイズのみが出力可能であり、デューティ比が変更できること、⊿PCMを搭載していることは表現の幅において大きな差となった。
  26. ^ 当時の多くの競合製品、ならびに低価格帯のコンピュータは、スプライトがあっても一キャラクタで指定できるのは単色のみであったり、スムーズスクロールなどはできないものであり、高価格帯の高解像度な機種は、スプライトなどはなく、グラフィックス処理は当時のCPUにとって非常に重たい処理であり、色数も8色から16色が主流の時代であった。
  27. ^ これはLCDテレビやPCのTVキャプチャなどで画面の端まで表示可能な環境の場合である。一般的なブラウン管テレビでは全ての走査線が表示されるわけではないので、表示範囲がさらに狭くなる可能性もある。
  28. ^ ファイナルファンタジー 任天堂 このページ内の動画で上下端8ラインが表示されていないことが見て取れる。
  29. ^ アフターバーナーII』等
  30. ^ 例えば当時の月刊コロコロコミックでは当時のライバル機を含む家庭用ゲームソフト全般の評価として、『マリオブラザーズ』が1位、『ポパイ』が2位など、4本すべてが9位以内の好評価だった。なお3位はSG-1000の『スター・ジャッカー』であるなど、他機種を含めアーケードからの移植作が多くランクインしていた[87]
  31. ^ 1987年末までにはゲーム業界大手から異業種の企業まで60社近くがサードパーティーに名を連ねた)[88]
  32. ^ アクションRPGを除く
  33. ^ ファミリーコンピュータ登場以前に一歩抜けだしていたのはエポック社カセットビジョンで累計40万台を販売している[94]
  34. ^ 初期の製品には多くの不具合があり、多くのクレームが寄せられていたと言う[28]。例えば、上村は1983年12月発売の野球ゲームである『ベースボール』で、ダイヤモンドが表示されなくなる問題[30]や本体の温度がすぐに上がってしまい、素早く絵を表示するためのスプライトが消失する「消える魔球」現象[96] で正月休みを返上して回収に当たった[97]
  35. ^ 岩崎啓眞は「当時家庭用ゲームハードでは不可能だった全方向スムーススクロール・多色スプライト・当時としては悪くない音源を備えたマシンで、もうゲームをやるために必要な機能はパーフェクトに備えている」と評価している。[98]
  36. ^ サードパーティーの概念は1977年(昭和52年)にアタリが発売したVideo Computer Systemが作り上げたもので、当時の日本ではゲームソフトのサードパーティーの概念は普及しておらず、発売当初からサードパーティーの参入が想定されていたわけではない[99]
  37. ^ ファミリーコンピュータへのサードパーティーの参入はファミリーコンピュータが発売されて約1年後の1984年7月28日に『ナッツ&ミルク』を発売したハドソンが初めてであり、それによって日本で初めて家庭用ゲーム機のサードパーティービジネスが切り開かれるとともに、ソフト媒体の委託生産システムが生まれた[63][100]。ハドソンが参入した約1か月後にナムコが『ギャラクシアン』で2番目のサードパーティーとなったが、ファミリーベーシックの開発を受託したことからハードウェアに関する知識を得られたハドソン[101][102]と異なり、ナムコはハードウェアを独自に解析してソフト開発を行っていた。
  38. ^ 高橋名人が2016年にIT Mediaに寄せた記事によると、80年代当時はアーケードゲームが人気を博していたものの、利用料に絡んだ恐喝事件も起きており、PTAが小中学生にゲームセンターの利用を禁じていた[104]ため、当時の子どもたちにとっては「(親から禁じられている)ゲームセンターのゲームが家で遊べる」ということでヒットにつながったと推測している[105]
  39. ^ ただし値下げ販売を快く思わなかった任天堂は、値下げ店への対策として一時出荷を停止している[107]
  40. ^ カセットビジョンの開発に携わったエポック社の堀江正幸によれば、ファミコンとは「技術的にはたいした違いはなかった」とする一方でファミコンの勝因に関して、カセットビジョンはソフトを全て自社開発する方針だったのに対し、ファミコンはサードパーティーを引き込んだことでソフトラインアップが豊富だったことを挙げている[109]
  41. ^ ソード電算機システムM5はゲームソフトは自社では作らず全て他社からの移植という方針だったが、ソード創業者の椎名堯慶は「任天堂さんはゲーム作りが優れていた。ゲームの世界で育ってきた会社ですから、お客さんを喜ばせる方法を知っていた」[110]とファミコンの勝因を分析している。
  42. ^ 当時、米国任天堂社長だった荒川實は、ビデオゲームに対する拒絶反応があまりに強いので、最初はほとんど商売にならなかったと述べている[112]
  43. ^ これは1981年のガンプラブームの時にも見られた傾向である。
  44. ^ ファミコンCAP』、『熱血!ファミコン少年団』、『ファミコンロッキー
  45. ^ ファミ拳リュウ』、『ファミコン風雲児
  46. ^ われらホビーズ ファミコンゼミナール
  47. ^ 「ヒロインであるはずのシルビアが主人公に牙をむく」(『スパルタンX』)[117]や、「特定のエリアにて、バンゲリング帝国の最終兵器が出てくる」(バンゲリングベイ』)などが該当する[118]。作者のあさいもとゆきは担当編集者の提案により導入したと書籍『超ファミ漫』の中で説明している[118]
  48. ^ スーパーマリオ 魔界帝国の女神』など
  49. ^ ファミコンソフトを用いた大会は1987年まで。

出典

  1. ^ a b c d 任天堂株式会社 連結販売実績数量推移表” (PDF). 任天堂. 2021年5月1日閲覧。
  2. ^ a b http://www.vgchartz.com/platform/12/nintendo-entertainment-system/
  3. ^ a b はむら・あそぶ「テレホビーゲームの歴史」『Beep』1986年1月号、日本ソフトバンク、1985年12月7日、50-52頁。 
  4. ^ a b 鎌田慧「「ファミコン」で「大儲け」した男たち」『プレジデント』第24巻第4号、プレジデント社、1986年4月、328-341頁、doi:10.11501/2802646 
  5. ^ 「任天堂、家庭用ビデオゲームを最低価格で参入──8ビットで1万5000円。」『日経産業新聞』1983年6月3日、12面。
  6. ^ a b 大西康博「任天堂 おもしろいものを出せば…」『トイズマガジン』1983年8月号、トイズマガジン社、102頁。 
  7. ^ a b c 任天堂、家庭用に参入」『ゲームマシン』第216号、赤木真澄(アミューズメント通信社)、1983年7月15日、7面。
  8. ^ 「ファミリーコンピュータ('83ビデオゲーム全紹介)」『トイズマガジン』1983年8月号、トイズマガジン社、105頁。 
  9. ^ 早川清一朗 (2019年9月2日). “かつて子供たちが駆け込んだ夢の場所。「ファミコンショップ」の思い出”. マグミクス. mediavague. 2021年11月23日閲覧。
  10. ^ 任天堂「ファミコン」日経産業省 セガ社「ハングオン」日経流通賞 日経新聞社による年間優秀作品に選ばれる」『ゲームマシン』第277号(アミューズメント通信社)1986年2月1日、2面。
  11. ^ 第5回初心会展で新FC披露 山内社長が講演 ゲーム場には興味ない、断言」『ゲームマシン』第459号(アミューズメント通信社)1993年10月15日、3面。
  12. ^ 高橋名人 (2016年7月14日). “ファミコンブームの終息と、日本ゲーム業界への提言”. ITmedia ビジネスオンライン. アイティメディア. 2022年8月21日閲覧。
  13. ^ 修理のご案内:修理の受付が終了した商品 - ウェイバックマシン(2012年6月27日アーカイブ分)
  14. ^ 修理のご案内:修理の受付が終了した商品 - ウェイバックマシン(2012年7月6日アーカイブ分)
  15. ^ 「日本ゲーム大賞2023」年間作品部門の大賞は『モンスターハンターライズ:サンブレイク』に決定!」『Game*Spark』2023年9月21日。2023年9月21日閲覧。
  16. ^ a b c d e f g 情報化白書1989 80年代情報化を巡る歩みと今後の展望日本情報経済社会推進協会、1989年、105頁https://www.jipdec.or.jp/archives/publications/J0005023 
  17. ^ 任天堂の家庭用TV機に BASIC追加 キャラクターつきで6月発売に」『ゲームマシン』第238号(アミューズメント通信社)1984年6月15日、4面。
  18. ^ 任天堂「ファミコン」出荷 1千万台を突破 なお生産中で新記録を更新中」『ゲームマシン』第307号(アミューズメント通信社)1987年5月1日、5面。
  19. ^ 任天堂がファミコンの上位互換機「スーパーFC」計画 「スーパーマリオ・3」カートリッジは10月23日発売」『ゲームマシン』第340号(アミューズメント通信社)1988年9月15日、1面。
  20. ^ NESがFC上回る 米国市場では空前のブーム続きさらに普及」『ゲームマシン』第355号(アミューズメント通信社)1989年5月1日、17面。
  21. ^ 初の「FC/GB用ソフト展で」山内社長 "タイトル数よりも面白いソフト開発" CES任天堂ゾーンをモデルした展示構成 講演に引き続きパネルディスカッションも」『ゲームマシン』第371号(アミューズメント通信社)1990年1月1日、13面。
  22. ^ 情報化白書1990 90年代情報化の展望』日本情報経済社会推進協会、1990年、104頁https://www.jipdec.or.jp/archives/publications/J0005024 
  23. ^ ゲーム場市場次第に回復 家庭用安定、遊園地好調」『ゲームマシン』第381号(アミューズメント通信社)1990年6月1日、12面。
  24. ^ FC/GBソフトの評価情報を提供 「スーパーマリオクラブ」で」『ゲームマシン』第385号(アミューズメント通信社)1990年8月1日、3面。
  25. ^ 「スーパーファミコン」発売間近で 関心高めるソフト 初心会のSFC/FC/GB展」『ゲームマシン』第389号(アミューズメント通信社)1990年10月1日、3面。
  26. ^ ゲーム場市場順調に回復 家庭用安定、遊園地堅調」『ゲームマシン』第404号(アミューズメント通信社)1991年6月1日、12面。
  27. ^ 藤田 1999, p. 72.
  28. ^ a b c “成功の鍵「ドンキーコング」 ファミコン30歳 開発責任者に聞く”. 毎日新聞 朝刊 (東京): p. 7. (2013年7月17日) 
  29. ^ 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第7回:業務用機の仕様を家庭用に、LSIの開発から着手 - ウェイバックマシン(2008年10月12日アーカイブ分)
  30. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 上村雅之(インタビュアー:山森尚)「上村雅之さん 大いに語る。 ファミリーコンピュータ インタビュー(後編)(2013年10月号より)」『Nintendo DREAM WEB』、アンビット、2018年7月21日https://www.ndw.jp/post-714/2022年9月27日閲覧 
  31. ^ a b 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第8回:ファミコン誕生、家庭用ゲーム機の代名詞に p. 5 日経トレンディネット 2008年10月6日 - ウェイバックマシン(2011年7月26日アーカイブ分)
  32. ^ 上村 1990, p. 555-556.
  33. ^ a b c d 上村雅之(インタビュアー:山森尚)「上村雅之さん 大いに語る。 ファミリーコンピュータ インタビュー(前編)(2013年10月号より)」『Nintendo DREAM WEB』、アンビット、2018年7月21日https://www.ndw.jp/post-672/2022年9月27日閲覧 
  34. ^ a b 相田 & 大墻 1997, pp. 274–280.
  35. ^ 上村、細井、中村 2013, p. 104.
  36. ^ 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第8回:ファミコン誕生、家庭用ゲーム機の代名詞に p. 4 日経トレンディネット 2008年10月6日 - ウェイバックマシン(2011年7月26日アーカイブ分)
  37. ^ 畠山 & 久保 2000, p. 64.
  38. ^ a b c 上村、細井、中村 2013, p. 98.
  39. ^ a b 上村、細井、中村 2013, p. 101.
  40. ^ a b 上村、細井、中村 2013, p. 102.
  41. ^ 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第7回:業務用機の仕様を家庭用に、LSIの開発から着手 p. 3 日経トレンディネット 2008年10月3日 - ウェイバックマシン(2012年1月11日アーカイブ分)
  42. ^ 相田 & 大墻 1997, pp. 283–287.
  43. ^ a b 畠山 & 久保 2000, p. 65.
  44. ^ 300万台保障は伝説!?[出典無効]
  45. ^ テレビゲーム・ミュージアム・プロジェクト 1988, p. [要ページ番号].
  46. ^ 週刊ファミ通」2013年7月25日増刊号、別冊
  47. ^ a b ファミコンの創造神・上村雅之「ゲーム&ウオッチには勝てないと思っていました」週プレNEWS 2013年4月27日 - ウェイバックマシン(2013年5月1日アーカイブ分)
    『週刊プレイボーイ』第48巻第18,19号、集英社、2013年5月13日、111頁。 
  48. ^ a b c QBQ 2016, p. 102.
  49. ^ 上村、細井、中村 2013, p. 109.
  50. ^ 上村、細井、中村 2013, p. 119.
  51. ^ 月刊コンプティーク1986年9月号P164,角川書店
  52. ^ 上村、細井、中村 2013, p. 120.
  53. ^ 日々是遊戯 ファミコンカラーが「アズキ色」だった理由とは――? 任天堂ハードにまつわる豆知識あれこれ”. ねとらぼ. ITmedia (2010年10月7日). 2021年3月9日閲覧。
  54. ^ a b c ファミコンのカートリッジに見る,草創期ならではの活気と混沌。ゲームソフトのメディアの形が,パブリッシャごとに違う時代があった”. 4Gamer.net (2023年7月15日). 2024年2月9日閲覧。
  55. ^ Otomaru (2023年1月29日). “「データ容量」で読み解くビデオゲーム史:40年間で530万倍にも増加したデータ容量、その時代ごとの特徴を整理する”. IGN Japan. 2023年1月30日閲覧。
  56. ^ 「メタルスレイダーグローリー」とは”. 任天堂. 2023年1月30日閲覧。
  57. ^ シティコネクション. “ファミコン用ソフト「メタルスレイダーグローリー」のサントラが5月28日に発売”. 4Gamer.net. 2023年1月30日閲覧。
  58. ^ 滝田 2000, pp. 87–89.
  59. ^ 先駆者に聞く創世の時代 Game Frontiers 株式会社エポック社 堀江正幸氏 p7”. CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY. 2015年3月3日閲覧。
  60. ^ 『月刊ファミコン必勝本 通巻4号』JICC、1986年7月10日、88頁。 
  61. ^ a b ファミコンの“波線”が突然の商標出願、発売40周年の節目に何が起きている? 弁護士の見解と任天堂に問い合わせた結果”. 週刊女性PRIME (2023年1月11日). 2023年1月11日閲覧。
  62. ^ a b 月刊コロコロコミックNo.68(1983年12月号)、「2大テレビゲーム徹底チェック」、pp.327-331
  63. ^ a b 岩崎啓眞 (2012年2月7日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(3)”. 2014年7月8日閲覧。
  64. ^ NES info, programs, and demos リンク先はアーカイブ。[出典無効]
  65. ^ NESRGBの要注意ポイント 三月兎日報 2014年8月22日[出典無効]
  66. ^ a b AV仕様ファミリーコンピュータ取扱説明書4頁。
  67. ^ 「ASCII EXPRESS : 任天堂が業務用ファミコンを開発」『ASCII』第10巻第10号、アスキー、1986年、ISSN 0386-5428 
  68. ^ ホテル客室用の任天堂ファミコン 業務用で初めて 独特のシステムもつ日本版NES」『ゲームマシン』第292号(アミューズメント通信社)1986年9月15日、5面。
  69. ^ 福島市飯坂温泉・橋本舘(2014年、『ゲームセンターCX』第18シーズン(ゲームセンターCXの放送内容を参照))
  70. ^ その7/ファミコンゲーム”. どうぶつの森. 任天堂 (2001年). 2018年9月25日閲覧。
  71. ^ Nintendo Switchに「ファミコンコントローラー」発売 Onlineのレトロゲーム向け”. ねとらぼ. ITmedia (2018年9月14日). 2018年9月25日閲覧。
  72. ^ 『ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータMagazine』徳間書店、2016年11月14日、2-7頁。ISBN 978-4197104789 
  73. ^ ファミコンが、手のひらサイズで"再"登場!”. 任天堂 (2016年9月30日). 2021年3月9日閲覧。
  74. ^ 小型ファミコン“Nintendo Classic Mini”が発表!! ファミコンタイトル30種類を内蔵し、11月11日に発売”. ファミ通.com. KADOKAWA Game Linkage (2016年7月15日). 2021年3月9日閲覧。
  75. ^ 任天堂の新ハードは手乗りファミコン、マリオなど30本入りの『NES Classic Edition』を60ドルで11月発売”. engadget 日本版. ベライゾンメディア・ジャパン (2016年7月15日). 2019年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月9日閲覧。
  76. ^ ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ日本版と海外版の違いまとめ”. ファミ通.com. KADOKAWA Game Linkage (2016年9月30日). 2021年3月9日閲覧。
  77. ^ 勝田哲也 (2018年5月14日). “「ファミコンミニ」に「週間ジャンプ50周年記念バージョン」が!”. GAME Watch. インプレス. 2018年5月14日閲覧。
  78. ^ a b QBQ 2016, p. 103.
  79. ^ 【レアソフト紹介】特殊:DATESHIP1200(データシップ)[出典無効]
  80. ^ QBQ 2016, p. 60.
  81. ^ 「ファミコイン」百万個 タイトー、アイデア商品でヒット、さらに増産へ」『ゲームマシン』第282号(アミューズメント通信社)1986年4月15日、5面。
  82. ^ 沿革”. ブリヂストンサイクル. 2021年3月9日閲覧。
  83. ^ ゲームだけではない FCで健康作り ブリヂストンサイクルが開発」『ゲームマシン』第340号(アミューズメント通信社)1988年9月15日、4面。
  84. ^ 山一証券がまずサンラインFで 野村証券は今秋スタート予定」『ゲームマシン』第315号(アミューズメント通信社)1987年9月1日、1面。
  85. ^ a b c ファミコンを使った証券取引 FCトレード本格開始 野村、大和、日興が昨年の山一に続き7月から」『ゲームマシン』第337号(アミューズメント通信社)1988年8月1日、1面。
  86. ^ 【レアソフト紹介】特殊:MCP-24(ファミコン用プリンター) [出典無効]
  87. ^ 月刊コロコロコミックNo.67(1983年11月号)、「おもしろテレビゲームベスト20」、pp.287-291
  88. ^ 滝田 2000.
  89. ^ ファミコン、13年ぶりの最新作ソフト!?”. ギズモード・ジャパン. メディアジーン (2007年4月25日). 2016年2月3日閲覧。
  90. ^ ファミコン、13年ぶりの新作ソフトを手に入れる方法(読プレあり)”. ギズモード・ジャパン. メディアジーン (2008年1月28日). 2016年2月3日閲覧。
  91. ^ Windows 10でファミコン用ゲームを開発する手順を解説した同人誌「ファミコンゲーム製作入門(SPECIAL版)」が入荷”. AKIBA PC Hotline!. インプレス (2018年12月8日). 2018年12月14日閲覧。
  92. ^ 自作のファミコンゲームを書き込めるカートリッジ「MAPPER 4 CARTRIDGE」が入荷”. AKIBA PC Hotline!. インプレス (2019年1月26日). 2023年1月30日閲覧。
  93. ^ FC用80ゲーム偽造版 販売業者を摘発 神奈川県警が著作権侵害で」『ゲームマシン』第415号(アミューズメント通信社)1991年11月15日、4面。
  94. ^ 滝田 2000, p. 84.
  95. ^ a b 藤田 1999, p. 76.
  96. ^ 上村雅之; 今西紘史『社長が訊く「スーパーマリオ25周年」 (3ページ目)』(インタビュアー:岩田聡)、任天堂、2010年https://www.nintendo.co.jp/n10/interview/mario25th/vol2/index3.html2022年6月30日閲覧 
  97. ^ “苦戦の任天堂 巻き返し元年 他の時間つぶしてでも遊びを追求 ファミコン開発者 上村雅之氏”. 京都新聞 朝刊 (京都). (2013年7月13日) 
  98. ^ 岩崎啓眞 (2012年2月7日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(3)”. 2015年2月20日閲覧。
  99. ^ 岩崎啓眞 (2012年2月11日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(4)”. 2014年7月8日閲覧。
  100. ^ 岩崎啓眞 (2012年2月15日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(5)”. 2014年7月8日閲覧。
  101. ^ 岩崎啓眞 (2012年1月25日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(1)”. 2014年7月8日閲覧。
  102. ^ 岩崎啓眞 (2012年1月28日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(2)”. 2014年7月8日閲覧。
  103. ^ スーパーファミコンを開発 「自分の能力知り、一生懸命が肝心」と 活躍する校友”. 千葉工業大学 (2005年2月15日). 2021年3月5日閲覧。
  104. ^ 高橋名人 (2016年4月14日). “ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由 1ページ目”. ITmedia ビジネスオンライン. アイティメディア. 2022年8月20日閲覧。
  105. ^ ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由”. ITmedia ビジネスオンライン (2016年4月14日). 2022年8月20日閲覧。
  106. ^ 土屋 1995, p. [要ページ番号].
  107. ^ “高橋名人”という社会現象――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編)(5/5)”. ITmedia ビジネスオンライン. ITmedia (2009年3月12日). 2021年3月5日閲覧。 “そこで(任天堂の)社長さんがちょっと怒ったようで、「安く売るなら(出荷を)やめよう」となって、3カ月くらい出荷を止めたみたいです。”
  108. ^ 「メガドライブ」発表 セガ社が任天堂より先に16ビット家庭用を」『ゲームマシン』第343号(アミューズメント通信社)1988年11月1日、4面。
  109. ^ 滝田 2000, p. 90.
  110. ^ 滝田 2000, p. 91.
  111. ^ 情報化白書1990 90年代情報化の展望』日本情報経済社会推進協会、1990年、103頁https://www.jipdec.or.jp/archives/publications/J0005024 
  112. ^ 滝田 2000, pp. 142–143.
  113. ^ 第6章 ファミコンバブルから衰退まで ファミコンブーム最高潮に”. 任天堂アーカイブプロジェクト. 2021年8月4日閲覧。
  114. ^ a b 上村, 細井 & 中村 2013, p. 157.
  115. ^ 早川清一朗 (2019年9月2日). “かつて子供たちが駆け込んだ夢の場所。「ファミコンショップ」の思い出”. マグミクス. mediavague. 2023年6月16日閲覧。
  116. ^ 謎解き本発行差止め ファミコンゲーム「ドラクエII」で初の司法判断」『ゲームマシン』第305号(アミューズメント通信社)1987年4月1日、5面。
  117. ^ 「シルビアがおそってきたー!」名作マンガが残した『スパルタンX』シルビアの鮮烈なイメージ”. インサイド (2022年2月6日). 2023年2月23日閲覧。
  118. ^ a b OHTABOOKSTAND編集部 (2019年7月17日). “『ファミコンロッキー』作者 「一番反響があったウソ技はバンゲリングベイ」”. OHTABOOKSTAND. 2023年2月23日閲覧。
  119. ^ TVゲーム機の音楽を編曲して レコード化 細野氏編曲、ナムコのゲームで」『ゲームマシン』第235号(アミューズメント通信社)1984年5月1日、6面。
  120. ^ "大胆に遊ぶLP盤" ナムコのTVゲームもとに製作。別に任天堂のEP」『ゲームマシン』第283号(アミューズメント通信社)1986年5月1日、5面。
  121. ^ ファミコンからのレコード化 新レーベル誕生 業務用から家庭用、そして音楽へ」『ゲームマシン』第287号(アミューズメント通信社)1986年7月1日、5面。
  122. ^ 日本物産がカセットテープ製作 「テラクレスタ」 本格的ゲームミュージックとして」『ゲームマシン』第291号(アミューズメント通信社)1986年9月1日、4面。
  123. ^ ビデオゲーム・ミュージック コナミ、テクモも アルファレコードから次々発売」『ゲームマシン』第297号(アミューズメント通信社)1986年12月1日、4面。
  124. ^ a b 「ファミコン」から映画も 夏休み向け2社 TVゲームは家庭用だけブーム?」『ゲームマシン』第288号(アミューズメント通信社)1986年7月15日、4面。
  125. ^ ナムコのTVゲームでビデオ 「ナムコの伝説」 ファミコン音楽のレコードも発売」『ゲームマシン』第295号(アミューズメント通信社)1986年11月1日、4面。
  126. ^ 森下 1986, p. 13.
  127. ^ 山本, 光藤 & 須藤 1988, pp. 291–292.
  128. ^ 山本, 光藤 & 須藤 1988, pp. 292–295.
  129. ^ 「ASCII EXPRESS : ファミコンで児童の視力が低下」『ASCII』第10巻第5号、アスキー、1986年、ISSN 0386-5428 
  130. ^ 吉井 1987, p. 50.
  131. ^ 山本, 光藤 & 須藤 1988, pp. 292.
  132. ^ QBQ 2016, p. 120.
  133. ^ 2月12日の衆院予算委 国会でファミコン論議 矢追氏の質問で首相も家庭用TVゲーム体験談」『ゲームマシン』第280号(アミューズメント通信社)1986年3月15日、1面。
  134. ^ また国会で「ファミコン」論議 通産、業界指導に 3月7日衆院予算委で藤田氏質問」『ゲームマシン』第282号(アミューズメント通信社)1986年4月15日、1面。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ファミリーコンピュータ」の関連用語

ファミリーコンピュータのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ファミリーコンピュータのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのファミリーコンピュータ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS