ジャン=リュック・ゴダール
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映画制作史
- 1954年 - 1967年 『コンクリート作業』 - 『ウイークエンド』
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シネフィルとして数多くの映画に接していた若き日のゴダールは、シネマテーク・フランセーズに集っていた面々(フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、ジャン=マリ・ストローブ等)と親交を深めると共に、彼らの兄貴分的な存在だったアンドレ・バザンの知己を得て彼が主宰する映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』に批評文を投稿するようになっていた。すなわちゴダールは、他のヌーヴェルヴァーグの面々、いわゆる「カイエ派」がそうであったように批評家として映画と関わることから始めた。
数編の短編映画を手掛けた後、先に映画を制作して商業的な成功も収めたクロード・シャブロル(『美しきセルジュ』『いとこ同志』)やフランソワ・トリュフォー(『大人は判ってくれない』)のように、受け取る遺産も、大手配給会社社長の家族もいないゴダールは、プロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールと出会うことで、長編処女作『勝手にしやがれ』(1960)[5]でやっとデビューできた。ジャン=ポール・ベルモンドが演ずる無軌道な若者の刹那的な生き方を描くこの作品は、撮影技法では即興演出、同時録音、自然光を生かすためのロケーション中心の撮影など、ヌーヴェルヴァーグ作品の特徴にくわえて、ジャンプカットを多用する斬新な編集手法でも注目された[19][注 4]。
『勝手にしやがれ』でジーン・セバーグが演じた役柄には、ゴダールは当初は片思い状態で思慕していたアンナ・カリーナを想定していたが、本人の拒絶により実現しなかった。しかし『勝手にしやがれ』の成功を背景としてカリーナとの関係は親密なものとなり、1961年に結婚。以降アンナ・カリーナは前期におけるゴダール作品の多くの主演女優を務めることになる。
1965年には話題作『気狂いピエロ』を発表した[20][21]。1967年の『ウイークエンド』を1つの頂点として商業映画との決別を宣言する中期に至るまで、1年に平均2作程度というペースで作品を制作し続け、ゴダールは名実ともにヌーヴェルヴァーグの旗手としての立場を固めていった。
この時期のゴダール作品の題材は、アルジェリア戦争(『小さな兵隊』)・団地売春の実態(『彼女について私が知っている二、三の事柄』、1966年)・SF仕立てのハードボイルド(『アルファヴィル』、1965年)と広範囲に及んでいる。
- 1967年 - 1979年 『たのしい知識』 - 『うまくいってる?』
1967年8月に、ゴダールはアメリカ映画が世界を席巻し君臨することを強く批判し、自らの商業映画との決別宣言文を発表した。
パリ五月革命を先取りしたとも言われる『中国女』(1967年)において既に政治的な傾向が顕著になっていたが、それが明確になったのは1968年の第21回カンヌ国際映画祭における「カンヌ国際映画祭粉砕事件」だった。
映画祭開催9日目の5月19日、会場にジャン=リュック・ゴダールが現れ、コンペティション部門に出品されていたカルロス・サウラの作品上映を中止させようとした[22]。ヌーベル・バーグ運動の中心的人物だったゴダールとフランソワ・トリュフォーはフランスで行われていた学生と労働者のストライキ運動に連帯し、警察の弾圧、政府、映画業界のあり方への抗議表明としてカンヌ映画祭中止を呼びかけ[22]、クロード・ルルーシュ、クロード・ベリ、ジャン=ピエール・レオ、ジャン=ガブリエル・アルビコッコらと会場に乗り込んだ。
審査員のモニカ・ヴィッティ、テレンス・ヤング、ロマン・ポランスキー、ルイ・マルもこれを支持して審査を放棄し、上映と審査の中止を求めた[22]。コンペティションに出品していたチェコスロヴァキアの監督ミロシュ・フォルマンも出品の取りやめを表明した。その結果、この年のカンヌ映画祭は中止になった。
しかし、この事件をきっかけとして映画作家の政治的主張の違いも鮮明になり、作家同士が蜜月関係にあったヌーヴェルヴァーグ時代も事実上の終わりを告げるに至った。プライベートでも、女優アンナ・カリーナと1965年に破局が決定的になり、『中国女』への出演を機に1967年にアンヌ・ヴィアゼムスキーがゴダールの新たなるパートナーとなった。この後『ウイークエンド』(1967年)を最後に商業映画との決別を宣言し『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画に復帰するまで、政治的メッセージを発信する媒体として作品制作を行うようになる。
また商業映画への決別と同じタイミングで、作品に「ジャン=リュック・ゴダール」の名前を冠することをやめ、「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗って活動を行う(1968年 - 1972年)。ソビエトの映画作家ジガ・ヴェルトフの名を戴いたこのグループは、ゴダールと、マオイストの政治活動家であったジャン=ピエール・ゴランを中心とした映画製作集団で、この時期のパートナーであるアンヌ・ヴィアゼムスキーもメンバーとして活動に加わった。1972年、『ジェーンへの手紙』完成をもって同グループは解散、ゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィルとのパートナーシップ体制に入る。この時期のゴダールは映画を政治的なメッセージ発信の手段として明確に位置づけ、その手段として、膨大な映像の断片と文字、引用(スローガン、台詞、ナレーション)とを大量に列挙してみせた。
ローリング・ストーンズが出演し、アルバム『ベガーズ・バンケット』のレコーディング風景が収録されたことで多くの話題を呼んだ『ワン・プラス・ワン』(1968年)においては、様々な場面や場所で多様な人が政治的なメッセージを読み上げるシーンと、試行錯誤しているストーンズのリハーサルシーンとを交互に重ね合わせることにより、当時の政治的な状況を映画作品として再現する実験を試みている[注 5]。
- 1980年 - 1987年 『勝手に逃げろ/人生』 - 『ゴダールのリア王』
ゴダール曰く「第二の処女作」である『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画への復帰を果たし、1980年代のゴダールは『パッション』『ゴダールのマリア』『カルメンという名の女』などの話題作を次々に発表した。この時期にはトリュフォーをして「彼こそが本物の天才だ」と言わしめた初期の大胆な撮影・編集手法は、しだいに影をひそめるようになった。
- 1988年 - 2000年 『ゴダールの映画史』(『言葉の力』 - 『オールド・プレイス』)
1990年代のゴダールは『映画史』の製作に没頭することになった。これは19世紀末から始まる世界の映画史全体をふりかえる構想で、ビデオ作品として製作・発表された。その構成要素は、1950年代までのハリウッド、ヌーヴェルヴァーグを中心としたフランス、イタリアのネオ・レアリスモ、ドイツ表現主義およびロシア・アヴァンギャルド等、その他ヨーロッパ諸国の作品が圧倒的多数を占め、非欧米圏からは日本から4人の作家(溝口健二、小津安二郎、大島渚、勅使河原宏)とインドのサタジット・レイ、イランのアッバス・キアロスタミ、ブラジルのグラウベル・ローシャ、台湾の侯孝賢が参照されている。
この時期に作られた『新ドイツ零年』(1991年)や『JLG/自画像』(1995年)でも、映画史上のさまざまな作品を引用する手法は踏襲されている。ほかに『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)、『フォーエヴァー・モーツアルト』(1996年)がある。
- 2001年 - 2018年
『映画史』が完成するころからさまざまな短篇群、オムニバス作品に積極的に参加するようになり、ゴダールが監督として、あるいは俳優として参加した映画作品は、140を超える[23]。2014年、3D映画『さらば、愛の言葉よ』で第67回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞している[24]。2018年に公開された『イメージの本』は、『映画史』を彷彿とさせる無数の映画作品のコラージュで構成されている。
注釈
- ^ 父親の父方はシェール県、母方は北フランスノール県カトー=カンブレジの出。
- ^ コリン・マッケイブの『ゴダール伝』には「4月4日から5月初めまで」と記されている[6]。
- ^ 「暗くなるまでこの恋を」など多くの作品を監督した
- ^ アナーキストを題材に取ったフランス以外の映画としては、マーロン・ブランド主演の『蛇皮の服を着た男』(1960年、アメリカ)がある。
- ^ なお、この映画は本来ならレコーディングは完了せずに終る予定であり、未完であることにこそ本質的な意味があるとゴダールは考えていたのであるが、制作者側の商業的な意図により作品の最後で完成した「悪魔を憐れむ歌」が挿入されてしまった。この作品はゴダールが活動資金稼ぎを目的として制作されたもので、中期に位置するものの商業映画(イギリス資本)としてゴダールの署名で制作されている。
出典
- ^ “映画監督ゴダール氏死去、ヌーベルバーグ「勝手にしやがれ」 仏報道”. Yahoo!ニュース (2022年9月13日). 2022年9月13日閲覧。
- ^ Brody, R. , Everything Is Cinema: The Working Life of Jean-Luc Godard (2008); Boslaugh, Sarah, and Boslaugh. "Godard, Jean–Luc (1930–)." Encyclopedia of the Sixties: A Decade of Culture and Counterculture, edited by James S. Baugess, and Abbe Allen DeBolt, Greenwood, 1st edition, 2011.
- ^ Morrey, Douglas. Jean-Luc Godard. Manchester University Press Manchester, 2005.
- ^ ジャン・リュック・ゴダール 2023年2月4日閲覧
- ^ a b 勝手にしやがれ - IMDb(英語)
- ^ マッケイブ 2007.
- ^ ベルガラ 2012, pp. 678–679.
- ^ Thomson, David (2019年12月16日). “Journey to the end of the beach: Godard, Karina and Pierrot le fou” (英語). Sight & Sound. 2023年8月19日閲覧。
- ^ Hudson, David (2019年12月17日). “Unforgettable Anna Karina” (英語). The Criterion Collection. 2023年1月12日閲覧。
- ^ a b c 柴田駿、白井佳夫「ゴダール監督の日本の10日間」 『キネマ旬報』1966年6月上旬号、50-54頁。
- ^ 『映画評論』1966年7月号、7頁、「日本にやってきたゴダール」。
- ^ 『映画評論』1966年7月号、68-72頁、「ゴダールへの質問状」。
- ^ “ジャン=リュック・ゴダール監督、アカデミー賞名誉賞授賞式の欠席を正式表明!”. シネマトゥデイ (2010年10月26日). 2017年10月1日閲覧。
- ^ “ゴダールの授賞式欠席が決定 米アカデミーの説得むなしく”. 映画.com (2010年10月27日). 2017年10月1日閲覧。
- ^ ““スペシャル・パルムドール”受賞のゴダールがビデオ通話で会見!カンヌ受賞結果一覧”. Movie Walker. (2018年5月20日) 2018年11月2日閲覧。
- ^ “映画監督のゴダール氏死去 「勝手にしやがれ」など手がける 仏報道”. 朝日新聞デジタル. 2022年9月13日閲覧。
- ^ “Disparition Mort de Jean-Luc Godard, histoire du cinéma”. リベラシオン. 2022年9月13日閲覧。
- ^ ゴダール監督、自殺ほう助での死選ぶ - AFPBB News 2022年9月13日
- ^ The film employed various techniques such as the innovative use of jump cuts ,//Brody, p. 69.
- ^ “Pierrot le fou (1965) – JPBox-Office”. jpbox-office.com. 2023年1月30日閲覧。
- ^ Margaret Herrick Library, Academy of Motion Picture Arts and Sciences
- ^ a b c 史上初めて会期途中で映画祭が中止、カンヌを震撼させた「1968年」AFP, 2008年5月13日
- ^ Jean-Luc Godard: Documents, éditeur : Centre Georges Pompidou, Paris, 2006.
- ^ Shoard, Catherine (2014年5月24日). “Cannes 2014: Winter Sleep takes Palme d'Or in ceremony of upsets”. The Guardian. 2014年10月20日閲覧。
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