ピエール・バンジェリとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ピエール・バンジェリの意味・解説 

ピエール・バンジェリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 23:32 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
Pierre Binggeli
ピエール・バンジェリ
国籍 スイス
職業 撮影監督
ジャンル 映画テレビ映画ビデオ映画ドキュメンタリー映画
活動期間 1977年 -
活動内容 1977年 グルノーブルで『二人の子どもフランス漫遊記』の撮影に参加
1981年 ローザンヌで『フレディ・ビュアシュへの手紙』に協力
1982年 ロールで『「パッション」のためのシナリオ』撮影
主な作品
ゴダールの映画史
テンプレートを表示

ピエール・バンジェリ(Pierre Binggeli)は、スイスの撮影監督である。ジュネーヴの映画製作会社トランス・ヴィデオ・ピエール・バンジェリ代表。

人物・来歴

1977年 - 1978年、フランスイゼール県グルノーブルに根拠地を持つジャン=リュック・ゴダールアンヌ=マリー・ミエヴィルが、共同監督として製作したテレビ映画シリーズ『二人の子どもフランス漫遊記』の撮影に、ウィリアム・リュプチャンスキードミニク・シャピュイ、フィリップ・ロニとともにクレジットされているのが、映画史上にみるバンジェリの最初の登場である。

1979年、ゴダールとミエヴィルは活動拠点をスイスに移し、ヴォー州ロールに工房を構え、商業映画復帰第1作『勝手に逃げろ/人生』(1979年)を撮るが、1981年、同州のローザンヌ市制500年記念映画『フレディ・ビュアシュへの手紙』にふたたび「協力」クレジットで、バンジェリは登場する。同作の撮影はジュネーヴのテレビ局テレヴィジオン・スイス・ロマンド(TSR)のカメラマンで、『勝手に逃げろ/人生』にも参加した当時27歳のジャン=ベルナール・ムヌーである。ゴダールの次作『パッション』(1982年)では、そのメイキングである『「パッション」のためのシナリオ』(1982年)をムヌーと共同で撮った。以降、ゴダール、あるいはミエヴィルとの共同監督作の短篇のカメラを回した。

1988年から、ゴダールは大作『ゴダールの映画史』(1988年 - 1998年)の製作にとりかかるが、同作の新撮部分のカメラを回している。

バンジェリが経営する「トランス・ヴィデオ・ピエール・バンジェリ」は、ジュネーヴ州グラン=サコネテルー道18番地(chemin terroux 18, le grand-saconnex)に存在する。1979年以来、テレヴィジオン・スイス・ロマンドとは協力関係にある。

おもなフィルモグラフィ

テレビ映画『パリ・ストーリー』 Les Français vus par...の一篇
  • ゴダールの映画史Histoire(s) du cinéma : 監督ジャン=リュック・ゴダール、1988年 - 1998年

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ピエール・バンジェリ」の関連用語

ピエール・バンジェリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ピエール・バンジェリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのピエール・バンジェリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS