フランシス・ロイセールとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 製作者 > 映画製作者 > スイスの映画監督 > フランシス・ロイセールの意味・解説 

フランシス・ロイセール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 05:10 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

フランシス・ロイセールFrancis Reusser1942年1月1日 ヴヴェ - 2020年4月10日[1])は、スイス写真家映画監督である。

来歴・人物

1942年1月1日、スイス・ヴォー州ヴヴェに生まれる。ヴヴェ写真学校(École supérieure d'arts appliqués de Vevey)に学ぶ。同時期に同い年でのちの映画監督イヴ・イェルサンが在学していた。

卒業後、テレヴィジオン・スイス・ロマンドTSR)でテレビ番組の製作にたずさわる。当時同社には、のちに製作会社「グループ5」を設立する「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の中心人物である、アラン・タネールクロード・ゴレッタミシェル・ステーらが演出部にぞろぞろといた。ロイセールは、その後もマガジン番組(magazine、レポート番組、インタビュー番組)も多く演出している。

1968年、26歳のとき、イヴ・イェルサンら新人ばかり4人の監督によるオムニバス映画『Quatre d'entre elles』に参加、その一篇『22 ans - Patricia』で映画監督となる。主演はパトリシア・モラーズ。また、ジャック・サンドス監督の一篇『31 ans - Erika』にロイセールは出演している。

つづいて1969年、劇映画『Vive la mort』で長編映画の監督としてデビュー。前作のオムニバスの一篇に主演した女優パトリシア・モラーズと共同で脚本を書いた。撮影監督は新人のレナート・ベルタを抜擢。同年ベルタは、アラン・タネール監督の長篇デビュー作『どうなってもシャルル』の撮影監督をつとめるが、ロイセールは同作に重要な役で俳優として出演する。

1975年ジュネーヴのジュネーヴ高等視覚芸術学校(ESAV、École Supérieure de l'Art Visuel、現ESBA)にフランソワ・アルベラ(現ローザンヌ大学映画史映画美学科教授)とともに、音響視覚学科を設立した。同年、その新学科に入学するのが、のちのジャン=リュック・ゴダールの音響を支えることとなる録音技師フランソワ・ミュジーであった。

1976年、長篇第二作『Le Grand soir』を撮り、ロカルノ国際映画祭でグランプリにあたる金豹賞を受賞。本作の録音にはそれまで助手であったリュック・イェルサンを抜擢する。ベルタが撮影監督をつとめたダニエル・シュミット監督の『ラ・パロマ』(1974年)や、フレディ・ムーラー監督の『われら山人』(1975年)などドイツ語圏での他流試合の実績を買ってのことである。同年、ロイセールはタネール監督の『ジョナスは2000年に25才になる』に出演した。

二作目の成功したがしばらく間があって、1980年に前作に主演したニエル・アレストラップを主演に『Seuls』を撮ることになる。同作の撮影ベルタ、録音イェルサンは、前年の1979年にフランスのグルノーブルからおなじレマン湖畔の小村ロールに移住してきたばかりのゴダール監督による、商業映画復帰第一作『勝手に逃げろ/人生』の現場から帰ってきたところだった。その後次の長編映画『パッション』(1982年)を撮ろうとしているゴダールに、ロイセールは学校の教え子ミュジーを推薦[2]、これが25歳のミュジーにとっての録音技師デビューとなる。

1970年代の映画界を彩る「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の一角にいるロイセールは、1999年ピエール・エテックスルイス・ブニュエルを支えた脚本家ジャン=クロード・カリエールとコラボレートした『La Guerre dans le Haut Pays』を始め、現在ももちろん新作を発表し続けている。にもかかわらず、現時点で、日本では一作たりとも商業公開されていない。公開が待たれる作家である。

フィルモグラフィー

  • Quatre d'entre elles オムニバス 1968年 
参加監督クロード・シャンピオン、フランシス・ロイセール、ジャック・サンドス、イヴ・イェルサン
監督・脚本・製作アラン・タネール、撮影レナート・ベルタ、録音助手リュック・イェルサン
監督アラン・タネール
参加監督ジャン=フランソワ・アミゲ、ナディア・ファレス、ピエール・マニャン、フランシス・ロイセール、レイモン・ヴイヤモス
製作CABプロデュクション、アルテArte)、テレヴィジオン・スイス・ロマンド(TSR)
  • La fille à la caméra 監督

  1. ^ “Le cinéaste Francis Reusser est décédé” (フランス語). Tribune de Genéve. (2020年4月11日). https://www.tdg.ch/culture/cineaste-francis-reusser-decede/story/30968476 2020年4月14日閲覧。 
  2. ^ フランソワ・ミュジー インタヴューの記述より。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランシス・ロイセール」の関連用語

フランシス・ロイセールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランシス・ロイセールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランシス・ロイセール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS