サティ (仏教) サティ (仏教)の概要

サティ (仏教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/18 15:28 UTC 版)

仏教用語
サティ
パーリ語 sati (सति)
サンスクリット語 smṛti (स्मृति)
チベット語 དྲན་པ།
(Wylie: dran pa;
THL英語版: trenpa/drenpa
)
中国語 nian, 念
日本語 ネン
(ローマ字: nen)
韓国語
(RR: yeom or yŏm)
英語 mindfulness、awareness、inspection、recollection、retention
シンハラ語 සති
ベトナム語 niệm
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位置づけ

八正道を示した法輪

念は、五根という修行の根本となる5つの能力のひとつであり、心に維持する能力を指す[3]上座部仏教のテキストでは、念以外は、その力が強すぎても、修行の妨げとなるため、それぞれの力が均衡にはたらくことを瞑想修行を通して目指していく[3]。念はそういった妨げとならないので、強ければ強いほどいい[3]大乗仏教においても、信仰と智慧、努力と禅定などは対であり、その力の発達には均衡が必要である[4]

上座部のヴィパッサナー瞑想において、心の状態や、身体の行為など対象を「念じる」という時には、五根という5つの能力をはたらかせているものを指している[3]

また大乗仏教の禅定の実践においても、禅定の完成のためには、不断の注意深さによって対象に集中する状態を確保することで、ゆえに完全な注意深さである正念(sammāsati)となる[4]。失念とは、この注意深さに欠けた状態であり、正念に対立する[4]。『相応部』(サンユッタ・ニカーヤ)においても、念はあらゆるところで役立つものだと説かれる[4]和辻哲郎は、『原始仏教の実践哲学』にて、正念とは「かかる正しき専念集注」だと記している[5]

説明

あらゆるものへ移っていくという心の散漫な動きを自覚することができるようになる、気づき、心にとどめるという訓練は最も基礎的であり、自分の呼吸を観察するのが一番基礎的で最適だとされる[6]。持続的な訓練によって、より小さな努力で行えるようになり、最終的には自動的に行うことができる[6]

その特定のことに執着したり、嫌悪の対象として押し戻すように対峙するのではなく、中立的な状態で価値判断を加えることなく、意識を対象物に止めておくことである。また、常に意識を対象物に止めることで、意識の対象物に対する注意が途切れるということや、他の事に気が迷い別のことに意識が向かうこともなく、経つ時間を忘れるということもないとされる。

念が深まると意識が完全に固定され動かなくなる(じょう、サマーディ)に至り、三昧さんまいの境地に入る。この三昧の境地は光悦感が伴い、釈迦は出家後に当時の数々の聖人の元で修行した時には、この念・定・三昧を非常に短期間で習得している。ただし、釈迦はこの光悦感がどれほど高次であろうとも最終的にはその光悦は一時的なものに過ぎないと知ることにより、釈迦これらの聖人達の下から離れて自ら苦行の道に進む。最後にこの苦行にも見切りをつけて菩提樹の下で瞑想するにあたり、まず最高位の三昧の境地に入った後、定の状態からその意識を森羅万象の変化に向けることによってかんを得て、釈迦は悟りに至っている。

(サマタ)の意識の対象は40程にあたり、息などの生理現象などから、神々、また喜捨することを心に浮かべてそれに集中することも念という。例えば、仏を心に想起してこれに集中することは仏随念あるいは念仏 (buddhānusmṛti) という。これらの6つの念じる対象を特に六念処と呼ぶ。

チベット仏教では、止を先に実践し最高位の状態へと至ってから、観の修行に入る。観を実践するだけであれば、途中の段階の止の能力にて実践することができる。

対して、近年で特に欧米で広く広まったヴィパッサナー(観)では、この念の対象を40程のサマタの伝統的な対象物でなく、最初から物事の変化に向けるため、念を深めて定に至っても三昧の境地に入ることはできない。また、念の対象を常に変化する現象に向けるため、変化に連続的に「気づく」という意味となるが、サマタの場合は対象物が固定されているので「気に留める」あるいは「意識を固定する」という意味で「念ずる」が適切な訳となる。念の途中で「気づく」たびに三昧から抜けてしまうという意味では念の訳として「気づく」は適さない。ヴィパッサナーではサティとは、「今の瞬間に生じる、あらゆる事柄に注意を向けて、中立的によく観察し、今・ここに気づいている」ことであるとされる。この様な観行にいたる境地と止行により至る境地の違いが現れる。

禅における念

念は基本的に瞑想中にするもので、坐禅経行、立禅の最中に行う。また掃除や皿洗いや裁縫などの日常生活の簡単な動作そのものを念の対象とすることもある。これから最終的には仕事中や会話中などの日々の生活において複雑な作業をしているときでも常に念を行えるようになるとされる[誰によって?]


  1. ^ a b c 末木文美士、豊嶋悠吾 訳「念」 『オックスフォード仏教辞典』朝倉書店、2016年、263頁。ISBN 978-4-254-50019-6 
  2. ^ a b 藤永保監修 『最新心理学事典』平凡社、2013年、894頁。ISBN 9784582106039 
  3. ^ a b c d マハーシ長老 著、ウ・ウィジャナンダー 訳 『ミャンマーの瞑想―ウィパッサナー観法』国際語学社、1996年、80-81、158、164-165頁。ISBN 4-87731-024-X 
  4. ^ a b c d e ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ 著、菅沼晃 訳 『ダライ・ラマ 智慧の眼をひらく』春秋社、2001年、106-108、176-177頁。ISBN 978-4-393-13335-4  全面的な再改訳版。(初版『大乗仏教入門』1980年、改訳『智慧の眼』1988年)The Opening of the Wisdom-Eye: And the History of the Advancement of Buddhadharma in Tibet, 1966, rep, 1977。上座部仏教における注釈も備える。
  5. ^ 和辻哲郎 『原始仏教の実践哲学』(改定版)岩波書店、1932年、416頁。  初版1926年。
  6. ^ a b ダライ・ラマ 著、伊藤真 訳 『科学への旅 原子の中の宇宙』サンガ、2007年、197-208頁。ISBN 978-4901679428 
  7. ^ a b 菅村玄二、(本文著者)Z・V・シーガル、J・M・G・ウィリアムズ、J・D・ティーズデール共著 著、越川房子 訳「補遺 マインドフルネス心理療法と仏教心理学」 『マインドフルネス認知療法 うつを予防する新しいアプローチ』北大路書房、2007年、270-281頁。ISBN 978-4-7628-2574-3 
  8. ^ a b c Veves, Aristidis; Gotink, Rinske A.; Chu, Paula; Busschbach, Jan J. V.; Benson, Herbert; Fricchione, Gregory L.; Hunink, M. G. Myriam (2015). “Standardised Mindfulness-Based Interventions in Healthcare: An Overview of Systematic Reviews and Meta-Analyses of RCTs”. PLOS ONE 10 (4): e0124344. doi:10.1371/journal.pone.0124344. PMC 4400080. PMID 25881019. http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0124344. 
  9. ^ Grossman, Paul; Van Dam, Nicholas T. (2011). “Mindfulness, by any other name…: trials and tribulations ofsatiin western psychology and science” (pdf). Contemporary Buddhism 12 (1): 219–239. doi:10.1080/14639947.2011.564841. http://www.albany.edu/~me888931/Grossman%20&%20Van%20Dam%202011%20Contemporary%20Buddhism.pdf. 
  10. ^ Epel E, Daubenmier J, Moskowitz JT, Folkman S, Blackburn E (2009). “Can meditation slow rate of cellular aging? Cognitive stress, mindfulness, and telomeres”. Ann. N. Y. Acad. Sci. 1172: 34–53. doi:10.1111/j.1749-6632.2009.04414.x. PMC 3057175. PMID 19735238. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3057175/. 
  11. ^ Kate Pickert (2014年1月23日). “The Mindful Revolution”. Time. http://time.com/1556/the-mindful-revolution/ 2015年9月20日閲覧。 
  12. ^ (編著)貝谷久宣、熊野宏昭、越川房子 『マインドフルネス 基礎と実践』日本評論社、2016年、i頁。ISBN 978-4-535-98424-0 


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