オーストリア料理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 08:32 UTC 版)
洗練された調理法がオーストリア料理の特色である[1]。かつてのオーストリア帝国には独自の文化と料理を持つ多様な民族が住んでいたため、彼らの料理を全て一括りにしてオーストリア料理と呼ぶのは難しい[2]。このため、オーストリアの歴史を反映した料理を指す時には、帝国の首都であるウィーンの名前を用いた「ウィーン料理」の名前で呼ぶこともある[2]。
概要
オーストリア料理はハンガリー、チェコなどかつてのオーストリア帝国の支配領域や、イタリア、ドイツ、バルカン半島の食文化の影響を受けている。オーストリアはそれぞれの国から食材と料理を取り入れたがグーラシュやシュトロイゼル、リゾットなど、味付けや食材が発祥となった料理から大きく変化したものも多い[3]。逆に名称が異なっていても、完成品はオリジナルの料理の味と姿をとどめているものもある[4]。また、ボヘミア出身の料理人がウィーンの上流階級の家で雇われていた経緯から、料理の名前にはチェコ語が多く使われている[5]。長い期間にわたって他の地域の食文化を取り入れて洗練し、独自の料理に昇華させたオーストリア料理は各国の食文化のるつぼとも言える[3][6]。料理の内容はドイツ料理と重複しているが、ドイツ料理よりも東ヨーロッパの食文化の影響が濃いのが特徴である。
一般的な正餐では、ズッペ(Suppe スープ)、フォアシュパイゼ(Vorspeise 前菜)、ハウプトゲリヒト(Hauptgericht 主菜)とバイラーゲ(Beilage 副菜、付け合せ)、ザラート(Salat サラダ)、メールシュパイゼン(Mehlspeisen もしくはナッハシュパイゼン Nachspeisen、デザート)の順番で料理が供される[5]。
歴史
オーストリア料理の多様な調理法は、オーストリアに現れた様々な民族・言語に由来する[7]。
オーストリアの首都ウィーンは文化の十字路とも言える場所に位置し、10世紀にバーベンベルク家の伯領が成立するまでにウィーンにはローマ人、フン族、アヴァール人などの様々な民族が現れ、ウィーンに文化的痕跡を残して去って行った[8]。オーストリア料理の菓子クーゲルフップフ(Guglhupf)、ファシングスクラプフェン(Faschingskrapfen)は、古代ローマ時代から食べられていたといわれる[9]。
バーベンベルク家の統治下でウィーンは商業都市として発展し、食文化にも変化が起きる。11世紀から行われた十字軍が中東から母国への帰国の途でウィーンを通過した際、ウィーンにコショウやショウガなどの東洋由来の香辛料がもたらされた[10]。これらの香辛料はウィーン市民に親しまれ、ウィーンで甘味が特に好まれるようになったのは十字軍の到来まで遡られると述べた者もいた[10]。また、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の皇女がバーベンベルク家に嫁いだ時、ビザンツの食文化がオーストリアにもたらされた[10]。
オーストリア=ハンガリー帝国の時代に、ウィーンの料理はハンガリー、チェコ、バルカン半島からの影響を受けて発達した[1]。逆にオーストリア料理もバルカン半島の食文化に影響を与え、セルビアなどでもオーストリア料理を食べることができる[11]。
バロック時代のウィーンの食文化は華やかなもので、ウィーン貴族の宴席はベルサイユ宮殿で開かれるものと並ぶほどのものだった[10]。宴会の料理はスープに始まり砂糖菓子に終わる八部のコースから成り、多様な食材がふんだんに用いられた。19世紀に入ると簡素な料理が好まれるようになり、ウィーン風の鶏のフライバックヘンデルが人気を博した[12]。1817年から宮廷の食卓が倹約のために簡素化されたときには、「シャウ・トルテ」「装飾ケーキ」といった観賞用のケーキが晩餐会を飾った[13]。
19世紀末の世紀末ウィーンにおいては、ウィーンの上流階級は芸術を楽しみ、美味な料理を堪能した[14]。ホテル・ザッハー、デメル、グランドホテルのバーが上流階級の行きつけの店であり、中でもホテル・ザッハーの料理がハプスブルク家の大公や親衛隊の貴族に好まれた[14]。ハプスブルク家の宮殿には広い調理場が備え付けられており、2,000人の来客のためにオーリオ・ズッペ(スペイン風の雑炊)だけを作る調理場が存在していた[15]。
現在のオーストリアの食事は、ハプスブルク帝国時代ほど華美ではない[3]。だが、現在でもハプスブルク帝国時代の料理の製法は継承されており[15]、かつてのオーストリア帝国の領土だった国々の料理もオーストリア料理の影響を伝えている[16]。
肉類
ウィーンで特に好まれている牛肉料理として、牛肉の煮込み料理であるターフェルシュピッツが挙げられる[17]。ターフェルシュピッツは皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の好物として知られており[18]、当時のウィーン市民も皇帝にあやかって昼食にターフェルシュピッツをよく食べていた[19]。ターフェルシュピッツはウィーンの高級料理の代表格である[20]。仔牛肉を使ったヴィーナー・シュニッツェルも、オーストリアを代表する肉料理として外国での知名度が高い[21]。
鶏肉のフライ料理バックヘンデルは14世紀まで歴史を遡ることができ、19世紀前半にはウィーンの上流階級の間で流行した[22]。
牛肉と鶏肉がオーストリア料理の中心と言われているが、実際は豚肉が最も多く消費されている[19][23]。豚肉は安価であることに加え、加工法が豊富であるため、一般家庭で好まれている[23]。一般家庭に冷蔵庫が普及する前は豚肉を屠殺する日は限られており、捌いた豚の全ての部位が調理・加工された[23]。現在でも、豚に限らず食用とされる動物は全ての部位が有効に利用されている[23]。
ファシアーター・ブラーテン(Faschierter Braten ミートローフ)などの経済的な挽肉料理も、オーストリアの家庭ではよく作られる料理である。ウィーンでは、「インナライエン」(Innereien)と呼ばれる内臓料理も好まれている[24]。チロル州とケルンテン州、シュタイアーマルク州の一部といった山岳地帯では、肉を保存するための燻製技術が発達している[25]。保存食としてシュペック(Speck ベーコン)、サラミ(Salami)、シンケン(Schinken 豚の腿肉の燻製、ハム)、ズーアフライシュ(Surfleisch 肉の塩漬け)を燻製にしたゲゼルヒテ(Geselchtes)などが挙げられる。
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