クリトモ一休・三休とは? わかりやすく解説

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クリトモ一休・三休

(第一球 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/05/20 09:57 UTC 版)

クリトモ 一休・三休 (いっきゅう・さんきゅう)
クリトモ 一休(左)、クリトモ 三休(右)
『芸能画報』1959年2月号(サン出版社)より
メンバー クリトモ 一休
クリトモ 三休
結成年 1958年
解散年 1962年(一休の死にともなうもの)
活動時期 1957年 - 1962年(一休)
1957年 - 2023年(三休)
師匠 リーガル万吉
芸種 漫才
受賞歴
第8回 NHK漫才コンクール(1960年)3位
第9回 NHK漫才コンクール(1961年)3位
第10回 NHK漫才コンクール(1962年)優勝
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第 一球・三球 (だい いっきゅう・さんきゅう)
メンバー 第 一球
第 三球
結成年 1962年
解散年 1964年
活動時期 1962年 - 1964年頃
師匠 リーガル万吉(三球)
芸種 漫才
受賞歴
第12回 NHK漫才コンクール(1964年)2位
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クリトモ 一休・三休(くりとも いっきゅう・さんきゅう)は、日本の漫才コンビ。後身の第 一球・三球(だい いっきゅう・さんきゅう)についてもこの項で記述する。リーガル千太・万吉門下。

コンビ来歴

1958年4月、リーガル万吉門下の一休と三休がコンビ結成。亭号「クリトモ」は寄席『栗友亭』にちなむ。

師匠譲りの上品でテンポのいい芸風を身につけ、若手のホープとして期待された。1960年10月の第8回NHK漫才コンクール、1961年3月の第9回NHK漫才コンクールでともに3位となった[1]。1962年3月、第10回NHK漫才コンクールで優勝。一躍実力派として認められ、師匠からも近々「リーガル」の亭号を許される話が出た[1]。

東京漫才の一角をになう若手として活躍し始めた矢先の1962年5月、一休が三河島事故に巻き込まれ急死。三休は漫談や司会などを行っていたが、1962年末、大空平路の斡旋で、畦元直彦(2代目クリトモ一休→第一球)とコンビを結成。のち、「第一球・三球」と改名する。

第一球・三球は奇抜な味わいのある漫才で注目を集め、1964年3月、第12回NHK漫才コンクールに出場し、『発明発見物語』というネタで2位。一球曰く自信作だったとのこと[1]。コンビ仲も悪くなかったが、張り合いがなくなりつつあり、有耶無耶のうちに1964年頃コンビを解消することとなった[1]。

メンバー

出典

  1. 1 2 3 4 5 喜利彦山人 (2020年2月1日). “クリトモ一休・三休と第一球”. tokyomanzai0408.com. 2020年2月14日閲覧。
  2. ↑ “春日三球・照代の三球さん死去 地下鉄漫才「地下鉄の電車はどこから入れたんでしょう」ブーム”. 日刊スポーツNEWS. 日刊スポーツ新聞社. 2023年6月18日. 2023年6月18日閲覧.
  3. 1 2 喜利彦山人 (2020年2月1日). “クリトモ一休・三休と第一球”. 東京漫才のすべて The tokyo manzai collections. 2025年7月16日閲覧。



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