教理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/08/17 05:29 UTC 版)
キリスト教において、ドクトリン(ラテン語: doctrina、英語: doctrine)とは、教派・時代によって様々な定義がなされるが、一般に「教え」を意味する言葉[1]。「ドグマ」(英語: dogma)と同義の場合もあれば、異なる意義を持つ場合もある。
近年(少なくとも21世紀)のプロテスタント(及びエキュメニカル)の権威ある著作物ではドクトリンを「教理」(きょうり)、ドグマを「教義」(きょうぎ)とする整理がみられる[2][3]。キリスト教専門でない辞典では、そもそも「ドクトリン」と「ドグマ」を区別しない場合もある(例えば、各種の和英辞典[4][5])。
本項では、訳語「教理」「教義」が、doctrineやdogma に対応して使い分けられている用例を中心に概念整理をした上で、各教派における理解について詳述する。
訳例
聖書の訳例
ラテン語のdoctrina(ドクトリーナ)は、動詞docere「教える」に由来し、その語義は「教え」「教育」「学習」「科学」である[6]。歴代のヴルガタでは、ギリシア語のδιδασκαλία(ディダスカリア[7]。チモテオ前書4:13[8], 5:17[9]において)をdoctrinaと、διδαχή(ディダケー[10]。チモテオ後書4:2[11])をdocereと訳している[12][13]。
各種の日本語訳聖書は、διδασκαλία/doctrinaを以下のように訳している。
- プロテスタントの『明治元訳』と『大正改訳』は「教(をしへ)」と訳している。
- カトリック教会の『我主イエズスキリストの新約聖書』(『ラゲ訳』)「教訓(けうくん、をしへ[14])」、「教(をしへ)」と訳している。なお、διδαχή/docereは「教ふる(をしふる)」としている。
- 日本ハリストス正教会の『我主イイススハリストスの新約』(日本正教会訳聖書)は『教(をしへ)』としている。マトフェイに因る聖福音7:28、聖使徒行実 2:42も参照。
- 日本聖書協会の『口語訳聖書』(プロテスタント)や『新共同訳』(超教派)は、「教え(おしえ)」としている。「教理」の語は使用しない。
プロテスタントの訳例
1977年(昭和52年)発行の『キリスト教大事典 改訂新版』では英語: dogma, ドイツ語: dogmaに「教義」の訳語を当てて[15][16]、2010年(平成22年)発行の『キリスト教神学基本用語集』では英語: dogmaに「教義」を、英語: doctrineに「教理」を当てている[2]。
メソジストの神学者であるフスト・ゴンサレスの整理によれば、英語: doctrine(ドクトリン、鈴木浩によって「教理」の訳語が当てられている)という言葉は文脈によって以下のように違ったレベルの意味をもつ[17]。
- 「特徴的な教え」(tenet)とほぼ同義の場合
- 神学論義の一つの項目全体を指す場合
- 教会内部の特定のグループに特徴的な観点や信念を指す場合
- 教義(dogma)とほぼ同義の場合(その内容の拒否が正統性から外れることを意味する - この場合でも、ニュアンスの違いがある)
ゴンサレスは、「教義」は教会の公式かつ権威ある機関から教義たる旨の布告をされて成立するものであり、現代のプロテスタントはこれを権威主義的と捉えて「教義」の語彙を避け、教会の「公的教理」という言い方を好んでいるとしている[17]。
カトリック教会の訳例
カトリック神学において、ラテン語のdogma/doctrinaは両者は明確に区別される概念である(後述)が、その定訳は確立していない。
theologia dogmatica(神学の一分野、プロテスタントの教義学に相当する)は、原則として「教理神学」と訳される[18]。稀に「教義神学」とも訳されることもある[19]。
上智大学とヘルダーが編纂した『カトリック大辞典』(富山房、1940-60年)は、dogmaを「教理」と訳し、また日本語で「教理」という場合はdogmaを指している[18][20]。ただし、doctrinaを「教理」と訳している箇所が複数存在し、例えば英語のdoctrinal teachingを「教理宣示」と訳され、スペイン語のdoctrinasも「「キリスト教教理の場」の意」と説明されている[18][21]。
浜寛五郎訳のデッツィンガー『カトリック教会文書資料集』(改訂版、1974年初版)は、dogma/doctrinaを厳密に区別し、doctrinaを「教理」、dogmaを「教義」に統一している[22]。
ローマ教皇庁のDicasterium pro Doctrina Fidei(2022年以前はCongregatio pro Doctrina Fidei。旧異端審問所)は、古くは「教理省」、「信仰教義省」、「信仰教理省」などさまざまに訳されたが、現在では「教理省」に統一されている(カトリック中央協議会の公式表記)[23]。
Catholic Encyclopediaによれば、doctrineをカテキズム(公教要理、教理問答)と同義とする場合がある[12]。
正教会の訳例
正教会において、δόγμα(dogma)やδιδασκαλία(doctrine)の訳ははっきりしていない。
Δογματικὴ Θεολογία(ロシア語ではДогматическое богословие)は、定理神学と訳される。
正教会では英語: dogmaに「定理」(ていり)との訳語も用いられている一方で[24][25]、「教理」との訳語も古くから使われているが[26]、使い分けは判然としない。「"Dogma"(定理)は、"doctrine"(教理)のうち、権威づけられ、疑われたり議論されてはならないものを指す」と整理されることがある[27]。
まとめ
以上を総合すると、以下のようになる。
- ラテン語のdoctrinaは、「教え」に係る幅広い概念を含んでいる一般的な単語であって、宗教上の教えに限定される単語ではない。
- キリスト教における日本語の訳語「教理・教義」は多義的であり、また時代・教派によって、用例および概念に著しい混乱がある。
- 一応、近年のプロテスタント系の日本語著作物では英語"dogma"に「教義」を、英語"doctrine"に「教理」を当てる訳語上の概念整理が行われている。
- プロテスタントの場合、dogmaとdoctrineを使い分けるケースが多い。"dogma"(教義)は権威主義的であるとして避ける傾向にある。
- 他方、カトリック教会では、doctrineをむしろカテキズムとほぼ同義と考える場合もある。
- カトリック教会や正教会では、dogmaはdoctrineに包含される概念である。
各教派の理解
カトリック教会
前述の通り、ラテン語のdoctrinaは動詞docereに由来する一般的な語であり、宗教的な文脈のみで用いられる用語ではない。
第一バチカン公会議教義憲章 «Dei Filius»(1870年)第4章の定義によれば、doctrina とは「神によって啓示(天啓)され」(quam Deus revelavi)、「キリストの花嫁(=教会)」(Christi Sponsae)に託された信仰の遺産(Depositum fidei)であり、そのうち特に確定的な定理・命題が dogma と呼ばれる[28]。
ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿署名の教理省文書 «Nota dottrinale Professio Fidei»(正式名称は «Nota dottrinale illustrativa della formula conclusiva della «Professio fidei» »、1998年)も、信仰の遺産を弁護・説明するために必要なものは(たとえ正式な啓示としては提示されていなくとも)doctrina(e)と呼ばれるべきであることを明確化している[29]。
同様にヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿署名の教理省文書 «Donum veritatis»(1990年)第17番によれば、doctrina は、啓示のより完全な理解へと導くために行われる教会的提示である[30]。また、同文書の第23番によれば、doctrina は dogma に限定されない[30]。以下、«Donum veritatis» の引用[30]。
... 17. Praeterea assistentia divina datur successoribus Apostolorum, qui docent, communionem servantes cum Petri successore, peculiarique modo Romano ipsi Pontifici, Pastori Ecclesiae universae, cum, licet definitionem infallibilem non pronuntient neque « definitive » sententiam proferant, in exercitio sui magisterii ordinarii doctrinam proponunt, quae conducit ad pleniorem perceptionem Revelationis circa res fidei et morum, et normas morales, quae ex hac doctrina procedunt. ... 23. Cum Magisterium Ecclesiae sententiam infallibilem pronuntiat, sollemniter declarando doctrinam contineri in Revelatione, adhaesio requiritur, quae dicitur assensus fidei theologalis. Hic assensus ad doctrinam Magisterii ordinarii et universalis extenditur, cum doctrina fidei proponitur tamquam divinitus revelata credenda.[30]
ほか、Catholic Encyclopedia は、doctrinaを「教えるという行為」(the act of teaching)または「教えることによって与えられる知識」(the knowledge imparted by teaching)と説明している。
プロテスタント
福音主義における捉え方
福音主義プロテスタントにおいては、教理は誤りない神のことばである聖書に従属する[31][32][33]。
宗教改革者とそれに続くプロテスタント正統主義は、教父や公会議や教皇を上回る、至高の聖書の権威を認め[34][32]、聖書の至上の権威を主張した[35]。ローマ・カトリックが主張する使徒継承の教義の制度的・物理的連続性に対して、プロテスタントは初代教会からの教理的な連続性を示した[32]。
初代の異端に対して、聖書の教理を明らかにするために信条を作成し、異端を排除したのであり、宗教改革時代も同様に信仰告白を作成してローマの教会の誤りを排除した。
プロテスタントにおいては、キリスト教の教理は、確定された聖書本文を正しく解釈して、聖書の中から抽出され、歴史の試練に耐えてきたものであるとされ、根拠は聖書に求められる[36]。
福音派のマーティン・ロイドジョンズは、エキュメニカル運動の基盤は、聖書の教理を無視して交わりを重視することだと指摘している[37]。
自由主義神学・新正統主義における諸見解
プロテスタント正統主義から離れた、自由主義神学やカール・バルトらの新正統主義の立場では、誤りない神のことばとしての聖書の客観的な権威を認めないため、組織神学の語を用いずに、教義学と呼ぶ[38]。
日本キリスト教協議会(NCC)の『キリスト教大事典』(1963年)の「教義」「教義学」はバルト主義者の熊野義孝が執筆しており、教理については項目自体が無い。
自由主義神学(リベラル神学)では教理批評がなされる[39]。これをドイツ語からの訳語として「教義史」「教理史」(Dogmengeschichte)と呼ぶ[39]。ヨハン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・イェルザレムがその創始者であり、アドルフ・フォン・ハルナックによっても展開された[40]。NCCの『キリスト教大辞典』の「教理史」の項目では批判的教義研究であるDogmengeschichteについて解説されている。[41]
自由主義神学者ヴァルター・バウアーは、初期キリスト教の教理は、現代の異端だと主張している[42][43]。正統と異端の区別を認めない、万人救済主義の立場も存在する[44]。
正教会
正教会においては、「"Dogma"(定理)は、"doctrine"(教理)のうち、権威づけられ、疑われたり議論されてはならないものを指す」と整理される[27]。正教会において、教理(doctrine)の源泉となるものとして以下が挙げられる。
脚注
- ↑ 大辞林
- 1 2 ゴンサレス、鈴木浩、p306
- ↑ A.リチャードソン編、J.ボウデン編、古屋 安雄監修、佐柳 文男訳 『キリスト教神学事典』(625頁、1995年、教文館)ISBN 4-7642-4029-7
- ↑ プログレッシブ和英中辞典
- ↑ ニューセンチュリー和英辞典
- ↑ "Collins Latin Dictionary Plus Grammar", reprint 1999, ISBN 000472092X
- ↑ 現代ギリシア語転写例:ジザスカリーア
- ↑ 1 Timothy 4:13 Greek Texts and Analysis
- ↑ 1 Timothy 5:17 Greek Texts and Analysis
- ↑ 現代ギリシア語転写例:ジザヒー
- ↑ 2 Timothy 4:2 Greek Texts and Analysis
- 1 2 Christian Doctrine (CATHOLIC ENCYCLOPEDIA)
- ↑ Biblia Sacra Vulgata (Stuttgartensia)/ad Timotheum I
- ↑ 日本のカトリック教会では伝統的に「おしえ(をしへ)」に「教訓」という漢字をあてている。
- ↑ 『キリスト教大事典 改訂新版』289頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版
- ↑ なお、キリスト教大事典にはそもそも「教理」の項目が無い。
- 1 2 ゴンサレス、鈴木浩、p72 - p73
- 1 2 3 上智大学・独逸ヘルデル書肆共編『カトリック大辞典 第5』(富山房、1960年)、256頁。
- ↑ 小林珍雄編『キリスト教用語辞典』(東京堂、1954年)、358頁。
- ↑ 上智大学・独逸ヘルデル書肆共編『カトリック大辞典 I』(冨山房、初版1940年)、688頁。
- ↑ 上智大学・独逸ヘルデル書肆共編『カトリック大辞典 第4』(富山房、1954年)、782頁。
- ↑ ヘンリク・デンツィンガー著、浜寛五郎訳『カトリック教会文書資料集-信経および信仰と道徳に関する定義集』エンデルレ書店、改訂版、1996年。
- ↑ “カトリック中央協議会”. カトリック中央協議会. 2026年8月17日閲覧。
- ↑ 本文 - 基督正教定理神学|近代デジタルライブラリー
- ↑ 『正教定理神学』…原題の"Православно-догматическое богословие"には語彙「ドグマ」(догма)の派生語が入っている。
- ↑ 本文 - 初進者の為めにハリストス正教の教理略解|近代デジタルライブラリー
- 1 2 Dogma - OrthodoxWiki
- ↑ “Dei Filius (24 m. Aprilis, A.D. 1870)” (ラテン語). 2026年8月17日閲覧。
- ↑ “Nota dottrinale Professio Fidei, 1998 - Congregazione per la Dottrina della Fede” (ラテン語). 2026年8月17日閲覧。
- 1 2 3 4 “Instructio de Ecclesiali Theologi vocatione, d. 24 m. Maii a. 1990, Congregatio pro Doctrina Fidei” (ラテン語). vatican.va. 2026年8月17日閲覧。
- ↑ 岡田稔『岡田稔著作集』いのちのことば社
- 1 2 3 アリスター・マクグラス『宗教改革の思想』教文館
- ↑ 宇田進『現代福音主義神学』いのちのことば社
- ↑ 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』いのちのことば社
- ↑ ケァンズ『基督教全史』いのちのことば社
- ↑ 尾山令仁著『日本人とキリスト教』p.98 恩寵社
- ↑ マーティン・ロイドジョンズ『教会とは何か』いのちのことば社
- ↑ 『新キリスト教辞典』いのちのことば社 ISBN 4264012589
- 1 2 アリスター・マクグラス『キリスト教神学入門』教文館
- ↑ アリスター・マクグラス『キリスト教神学入門』p.524
- ↑ 日本キリスト教協議会『キリスト教大辞典』1963年
- ↑ アリスター・マクグラス『神の科学』教文館 p.277
- ↑ アリスター・マクグラス『キリスト教神学入門』 p.214
- ↑ 尾山令仁『クリスチャンの和解と一致』地引網出版
- ↑ H.シュトラットマン『教会の正典の危機』
- ↑ ゲルハルト・マイヤー『歴史的-批評的研究方法の終焉』
- ↑ 宇田進著『現代福音主義神学』p.258
- 1 2 教え-聖伝:日本正教会 The Orthodox Church in Japan
- ↑ Sources of Christian Doctrine (アメリカ正教会)
参考文献
- フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353
教理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/07 23:41 UTC 版)
伝統的にペンテコステ派は、異言を聖霊のバプテスマを受けた証拠とし、異言を、聖霊を受けることと同一視してきた。ウェスレアン神学、ホーリネス神学に多くを負っている。
※この「教理」の解説は、「聖霊派」の解説の一部です。
「教理」を含む「聖霊派」の記事については、「聖霊派」の概要を参照ください。
教理
「教理」の例文・使い方・用例・文例
- 教理問答書
- 教理問答受講者用の授業
- 質問と回答によって教理を教えること
- 教理を無批判に受け入れるように人に教えること
- 教理教授の、教理教授に関する、または、教理教授にかかわる
- 教理に関する文章
- ヨハネの黙示録(黙示録の本のように)の聖書予言が現在遂行される途中にあると考える教理
- 哲学の信奉者によって受け入れられている教理
- 教えられる教理
- 黙示録で示されている千年至福期のキリスト教の教理
- キリストは、2つの性質(人間と神)があったとしても、1つの意志のみしか持たなかったという神学上の教理
- 人が人の自身の行動に従い生きている存在(神または人間であるか動物であるか空腹の幽霊または地獄の住人)の1つに生まれ変わるかもしれないというヒンズーの、または、仏教徒の教理
- 教会一致運動の教理で、異なった宗教の協力と理解を進める:キリスト教の普遍的統一を目指す
- (特に教理問答書を使用する)洗礼に備えて洗礼志願者に教示する人
- 自由意志の教理を信じる人
- (「時局小冊子」といわれる小冊子に詳細に書かれた)オックスフォード運動の教理を支持し、オックスフォード運動を支援した人
- 天台宗の教理において,すべてを備え,たちまち悟ること
- 仏教の根本教理で,人間の迷いと悟りの因果
- 定型化した仏教の教理を,数によりまとめた教義
- 教理問答という書物
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