WPAに対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/25 04:10 UTC 版)
「公共事業促進局」の記事における「WPAに対する批判」の解説
多くの国民に支持された若者向け失業対策事業「市民保全部隊(Civilian Conservation Corps、民間資源保存局)」と違い、WPAは保守派からのさまざまな批判にさらされてきた。そのひとつは、WPAが必ずしも必要でない建設計画に連邦の予算を無駄遣いしたという点である。この批判は今日でも、「WPAの労働者たちは公園の落ち葉を拾うために雇われた」というような皮肉な見方に残されている。 WPAによる調査事業は、公然とリベラルな社会的・政治的テーマを選んでいたことから、左傾的として特に非難された。またWPAの計画や予算の配分に対する批判のひとつに、彼らがしばしば政治的な判断を行っていたというものがある。民主党のフランクリン・ルーズベルト政権に好意的な議会の指導者、あるいは政治的な力を持つベテラン議員たちは、どの州や地域に予算がより配分されるべきかの決定に介入していた。 WPAに対するもっとも痛烈な批判は、ルーズベルト大統領がWPAを通して数百万の労働者に職業を分配することで、全米の地方ボス達の持っていた雇用利権を中央に集中し、全国規模の集票マシーンを作り上げたというものである。1939年のハッチ法(Hatch Act of 1939)は連邦政府職員に対し政治活動へ参加することを禁止する目的で制定されたが、WPA職員はなおも民主党の選挙活動や左派の利益に便宜を図り続けた。 WPAの雇用を経験した者たちは、この体験を「WPA」をもじって、「われわれはのろのろ動いた(We Poke Along)」「われわれはだらだら過ごした(We Piddle Along)」「われわれはだらだらと働いた(We Putter Around)」と語る。これはWPAでの労働がしばしば怠惰に速度が遅くなったことを皮肉ったもので、この政策が雇用の維持に目的があり、懲戒や解雇も用いて労働者の生産性を向上させるような手段を選ばなかったことが原因にある。この批判はたとえ計画が遅延したり建設ミスや未完成があったとしても賃金が支払われるWPA発足初期の制度にも向けられている。この記憶は1960年代まで鮮明であり、怠惰なプロ野球チームに「みんなに職を与えるよいチームだ。まるでWPAのようだ」との皮肉があったほどであった。
※この「WPAに対する批判」の解説は、「公共事業促進局」の解説の一部です。
「WPAに対する批判」を含む「公共事業促進局」の記事については、「公共事業促進局」の概要を参照ください。
- WPAに対する批判のページへのリンク