STAP論文問題の混迷
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2014年1月28日のSTAP研究発表の記者会見には笹井も同席し、ネイチャーに載った25年間の論文の中で最もインパクトがあると、その成果を強調していたが、この論文に疑義が生じ始める。当初は論文の結論に影響がないと見られており、笹井も2月下旬の懇親会では目を輝かせながらCDBの同僚にSTAP研究への参加を呼び掛けていた。しかし続出する致命的な疑義を受け、3月10日には共同著者の若山照彦が論文撤回を呼び掛けることになり、事態は混迷を深めていく。 詳細は「刺激惹起性多能性獲得細胞」および「調査報告 STAP細胞 不正の深層」を参照 3月11日には「なぜ、こんな負の連鎖になるのか、悲しくなってくる」と新聞記者に吐露し、竹市雅俊センター長には副センター長の職を辞したい旨を伝えていたが、調査中のため辞職は認められなかった。精神的ストレスのため心療内科を受診し、持病の「急性増悪の併発」も重なり、同月から1ヶ月ほど休職(傷病休職)して入院していた。退院後の4月16日には記者会見を開き、謝罪を行った。会見前には「できるだけ率直にお話ししたいが、理研の立場の範囲だと思う」と述べ、会見には普段あまり付けない理研のバッジを胸にして臨んだ。 会見では「STAPは最も合理性のある仮説」として科学的説明を行い、ハーバードとの関係や研究の変遷について事実関係を明らかにしたが、責任逃れと批判されることにもなった。笹井の管理責任は厳しく指摘され、6月12日には理研改革委員会から「笹井氏の責任は重大」として幹部退任を提言されるなど、笹井への批判は強まっていた。研究予算の使途など疑惑は深まり、6月30日には科学的な疑義を対象とする新たな調査が始まることになる。 このような状況の中、笹井は6月頃には研究室の研究員に「研究室を閉めるから行き先を探すように」と語っていた。体調が悪化しながらも、研究員の就職先探しや論文指導に熱心に取り組むとともに、各種プロジェクトの代表交代準備も進めていた。また、7月2日のネイチャー論文撤回にあたり、笹井は「不正を防ぐ指導を徹底しきれなかった」「整合性を疑念なく語ることは困難」とのコメントを出し、その主張を後退させていた。
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