SLORC・SPDC時代(1988年~2011年)
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8888蜂起の中、1988年9月27日に結成。軍事政権・国家法秩序回復評議会(SLORC)が管理する中、1990年に行われた総選挙(英語版)で大勝し、492議席中の392議席(占有率81%)を獲得した。ただし、軍事政権が推す旧与党系の国民統一党が大敗したため、軍事政権は国民議会の召集を拒否し続けた。また、軍事政権はNLDの抵抗力を殺ぐために、総選挙以降、NLDの国内での活動を禁止し、同党の幹部や議員らを多数投獄した。SLORCが1997年に改称した軍事政権・国家平和発展評議会(SPDC)は、2001年にNLDの国内での活動再開を容認し、あわせてNLDの政治犯を釈放し始めた。しかし、2004年に軍事政権が開催した制憲国民会議への協力をNLDが拒否したため、軍事政権は同年中にNLDの活動を再び禁止した。また、2006年以降、軍事政権や翼賛団体である連邦団結発展協会(USDA)からの嫌がらせを受け、多数の党員が脱党する事態が生じた。 亡命などによって海外にいる党員、支持者たちは、タイ王国のメーソート郡やバンコクなどを拠点に、海外組織である国民民主連盟(解放地域)を組織し、日本、イギリス、大韓民国などに支部を設けて民主化支援活動を展開していた。 政党登録期限である2010年5月6日までに手続きを行わず(軍事政権主導の総選挙へのボイコット)、解党。22年間の闘争活動に終止符を打った。しかし、選挙を戦うべきと主張する一部の勢力によって、国民民主勢力(NDF)が結成されている。一方で公式サイトを開設し、ウェブで民主化を訴えている。サイトにはアウンサンスーチーのコメントや、NLDの活動についての動画もある。
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