Mr. Big加入〜2002年のMr. Big解散まで
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「パット・トーピー」の記事における「Mr. Big加入〜2002年のMr. Big解散まで」の解説
1988年、ある日留守電にビリーからメッセージが入る。「The Alleyでリハをしている。明日来れるか?エリックとポールが参加している。俺たちでバンドを組むつもりだ」翌日スタジオへ入り、ジャミングし、The OutfieldのYour Loveを演奏。そしてBlame It On My Youth、Rock & Roll Over、Big Loveを聞かせてもらう。1週間後(1988年春)スタジオへ入り、レコーディングを開始、1〜2週間の間にRock & Roll Over、Big Love、Blame It On My Youth、Take A Walkを作り上げる。デモはタワーレコードの真向かいにあるオフィスビルで録音された。 1988年10月1日、ハービーからの電話でロバート・プラントの仕事の知らせを受ける。(ドラマーのクリス・ブラックウェルがショウのスタートの10分前にシャワーの中で転倒し手首を骨折したため)その翌日シカゴへ飛び、ロバートとジャミング。11週半ものツアーの採用が決まり、10/1〜12月第3週まで「Now And Zen」ツアーでアメリカとカナダを廻る。このツアーのオースティン公演にてその後奥さんとなるカレンさんと知り合い、翌日デートに誘う。また、ロバート・プラントのツアー中にThe Cultへの誘いもあったがMr. Bigが動き始めていたので断った。 1989年にMr. Bigがデビュー。 1989年12月31日カレンさんと1年間の交際を経て結婚。 1994年9月19日、来日公演のリハーサル中に39度の高熱と激しい腹痛で倒れ、奥さんに付き添ってもらい病院へ行く。診断によると盲腸炎にかかかっており、その影響で来日公演ではドラムソロが披露されなかった。 1998年、初のソロアルバム「Odd Man Out」を発表。ビリー・シーン、ポール・ギルバート、スティーヴ・ルカサー、デレク・シェリニアン、マット・ソーラム、グレッグ・ビソネットなど豪華なゲストが参加している。全曲のボーカル及びほとんどの曲のドラムをパットが担当。 1999年、B'zのアルバム『Brotherhood』収録曲の「ギリギリchop(Version51)」に、Mr. Bigのベーシスト、ビリー・シーンとともに参加。「ミュージックステーション」にも出演した。そのほか日本のアーティストでは、1996年に高崎晃 (LOUDNESS)、2002年には栄喜(SIAM SHADE)の作品に客演。 2001年夏、バンド内が様々な事情で荒れていた時期にパットの母親ジャニスが肺炎で亡くなる。 2002年2月にMr. Bigが解散。日本での最終公演は2月5日の東京国際フォーラム・ホールA。
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