閔中王
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/20 04:04 UTC 版)
閔中王 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 민중왕 |
漢字: | 閔中王 |
発音: | ミンジュンワン |
英語: | Minjung-wang |
閔中王(びんちゅうおう、生年不詳 - 48年)は、高句麗の第4代の王(在位 : 44年 - 48年)。姓は高、諱は邑、または解色朱[1]。『三国史記』高句麗本紀では先代の大武神王の弟、『三国遺事』王暦では大武神王の子とする。44年10月に先王が死去したとき、太子の解愛婁(次代の慕本王)が幼少だったために国人が推挙して王となった。
治世
即位直後(44年11月)に大赦を行なったほか、45年8月に国内の東部で洪水が起こった際には飢えた民のために穀倉を開いて施した。47年4月と7月に閔中原に田猟し、石窟を見て、自分の死後は陵墓を設けずにこの石窟に埋葬することを近臣に指示した。そして48年に死去し、遺言の通りに閔中原の石窟に埋葬され、閔中王と諡された。
中国との関係においては、王の治世中の47年10月に蚕支部落の大加戴升[2]ら一万余家が楽浪に行き、後漢に投降したという。
脚注
- ^ 閔中王及び慕本王の諱に「解」の字が共通しており、扶余王の解夫婁、東明聖王伝説に見る朱蒙の父解慕漱の連想でこれを姓とみる説もある。解(해)は太陽・日輪の古朝鮮語を転写したものであり、天帝の子を自称した解慕漱にふさわしいとする。→鮎貝1987 pp.72-74.
- ^ 『後漢書』では大加戴升、『三国史記』では大家戴升とする。「加」は高句麗の官位名の相加・古鄒加や扶余の官位名の馬加・牛加などと同じで、在地の首長を意味するものとみられる。
関連項目
参考文献
- 『三国史記』第2巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X
- 鮎貝房之進『朝鮮姓氏・族制考』国書刊行会、1987(原著 1937)
「Minjung of Goguryeo」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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