ミナルディ・M185とは? わかりやすく解説

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ミナルディ・M185

(Minardi M185 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 16:48 UTC 版)

ミナルディ・M185 / M185B
カテゴリー F1
コンストラクター ミナルディ
デザイナー ジャコモ・カリーリ
後継 ミナルディ・M186
主要諸元
シャシー カーボンファイバー モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン
エンジン 1985年: フォード コスワース DFV, NA, 3.0リッター, 90度 V8;
1986年: モトーリ・モデルニ Tipo 615-90, t/c, 1.5リッター, 720馬力, 90度 V6, ミッドエンジン
トランスミッション ミナルディ製 M101, 5速, MT
重量 550kg
燃料 アジップ
タイヤ ピレリ
主要成績
チーム ミナルディ・チーム
ドライバー ピエルルイジ・マルティニ
アンドレア・デ・チェザリス
アレッサンドロ・ナニーニ
初戦 1985年ブラジルグランプリ
出走優勝ポールFラップ
32 (30 start)000
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ミナルディ・M185 (Minardi M185) は、ミナルディ1985年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。ミナルディがコンストラクターとして最初に開発したF1マシンである。デザイナーはジャコモ・カリーリ。決勝最高成績は8位。

開発と経緯

M185は、1984年イタリアグランプリでのF1参戦を目指しカリーリが設計したミナルディ・M184がベースとなっている。M184ではアルファロメオ製V8エンジンを搭載し、アレッサンドロ・ナニーニピエルルイジ・マルティニによってテストも行われたが[1]、アルファロメオ社長がミナルディとのF1プロジェクトに急な難色を示したため、1984年中のF1デビュー参戦計画は流れた。ジャンカルロ・ミナルディは計画を練り直し、1985年のデビューを目指してM185には自然吸気のコスワースV8エンジンが搭載された。M185はエンジンを載せ換えた以外はM184をほぼ引き継いでいる[2]

1985年シーズン

ミナルディは正式に、ピエルルイジ・マルティニの1台体制で1985年のF1世界選手権にエントリー登録した。当初はナニーニの1台体制で参戦するつもりだったが、FISAがナニーニへのスーパーライセンス発給を認めなかったため、前年にスポット参戦でF1デビューしライセンス上問題が無かったマルティニの起用となった[3]

1985年の開幕戦ブラジルGPで、ミナルディチームはM185によってF1実戦デビューした。序盤の2戦は自然吸気のフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載したが、第3戦サンマリノGPからモトーリ・モデルニのV6ターボを搭載した。このエンジンは元フェラーリアルファロメオのエンジン設計技師であるカルロ・キティが、アルファロメオのモータースポーツ部門「アウトデルタ」から独立し、自らの会社「モトーリ・モデルニ」を設立してわずか5ヶ月という期間で作り上げてしまったエンジンだった[4]。バンク角90度のV型6気筒エンジンにKKK製ツインターボを装着した。

しかしM185は決勝レースを完走することに苦労した。マシンの信頼性の低さ、マルティニのF1での経験不足からリタイアを繰り返し、第9戦西ドイツGPでようやく初完走を果たす。その後は第13戦ベルギーGPで12位、第16戦オーストラリアGPで8位(完走8台の最下位)と、全16戦で3度しか完走できず、選手権ポイントを獲得することはできなかった。

1986年シーズン

1986年は改良型のM185Bが投入された。チームは2台エントリーとなり、キャリア豊富なアンドレア・デ・チェザリスがNo.1ドライバーとして加入した。2台目には前年にライセンス問題でF1デビューを見送ったアレッサンドロ・ナニーニにスーパーライセンスが認められ、ついにF1への参戦権利を得た。しかしB185は特にモトーリモデルニのエンジン関連のトラブルが多く、この年もリタイアを繰り返した。デ・チェザリスはM185Bでは一度も完走することなく、ドイツGPから新車M186に乗ることになった。チームはM186を同年中1台しか完成できなかったため、ナニーニは最終戦までM185Bで参戦した。ナニーニは第15戦メキシコGPで完走し14位に入った。チームはこの年もポイントを獲得することはできなかった。

1987年開幕戦までにチームはM186を3台追加で完成させることに注力し、1987年の準備を整えることに成功したため、M185Bの参戦は終了した。

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション

シャシー エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1985年 M185 フォード コスワース DFV[5]
モトーリ・モデルニ, V6T
P BRA
POR
SMR
MON
CAN
DET
FRA
GBR
GER
AUT
NED
ITA
BEL
EUR
RSA
AUS
0 -
29 マルティニ Ret Ret Ret DNQ Ret Ret Ret Ret 11 Ret Ret Ret 12 Ret Ret 8
1986年 M185B モトーリ・モデルニ
Tipo 615-90

1.5, V6T
P BRA
ESP
SMR
MON
BEL
CAN
DET
FRA
GBR
GER
HUN
AUT
ITA
POR
MEX
AUS
0 -
23 デ・チェザリス Ret Ret Ret DNQ Ret Ret Ret Ret Ret
24 ナニーニ Ret DNS Ret DNQ Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 14 Ret

参照

  1. ^ M184 Archivi ミナルディ公式ウェブサイト
  2. ^ DRIVERS WHO ALMOST MOVED TOWARDS MINARDI UNRACED F1 2019年8月11日
  3. ^ The history of the Minardi Team ミナルディ公式ウェブサイト
  4. ^ 明日のトップコンストラクターを夢見る新興チームたち Minardi M186 (1986-87) MOTOR GRAPHIX F-1 月刊モデルグラフィックス別冊 77頁 大日本絵画 1987年11月30日発行
  5. ^ シーズン開幕2戦のみで使用された



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