ラコンブ
今からちょうど200年ほど前の1810年代のヨーロッパでは、「ロマン主義」とよばれる芸術の新時代を担う新しいピアノ音楽の名手たちが次々に誕生していた。1810年生まれのショパン、シューマンに続き、11年にリスト、12年にタールベルク、13年にアルカン、ヘラーといった才人たちが相次いで現れた。とくに産業が目覚ましい発展を遂げたパリでは、ロンドンとならんでピアノ産業・演奏会産業が急速に発達し、ヨーロッパ中から大勢のピアニスト兼作曲家たちが集まり、卓越した演奏技巧、想像力豊かな発想を通してその覇を競い合った。パリの楽壇ではショパンやリストのような「異国人(エトランジェ)」がその強烈な個性によったスターダムにのし上がったが、実は1810年世代のフランス人音楽家の中には、彼らと並び称されたピアニスト兼作曲家たちが少なからず存在したことが近年の研究によって明らかにされてきた。まだその作品はおろか名前さえ一般には殆ど知られていないが、13年生まれのアルカン、ドビュッシーにピアノを教えたパリ音楽院教授で16年生まれのマルモンテル、17年生まれのプリューダン、18年生まれのラヴィーナはフランスの輝かしい1810年世代を代表する「フランス派(エコール・フランセーズ)」の旗手である。
ルイ・ラコンブ
(Louis Lacombe から転送)
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ピエール・ルイ・トルィヨン=ラコンブ(Pierre Louis Trouillon-Lacombe, 1818年11月26日 - 1884年9月30日)は、フランスのピアニスト、作曲家[1]。
- ^ 肖像画の下方には10歳(10 ans)と記述されているが、これは誤りである。
- ^ Meyerbeer 1853-1855 2002 Page 752 Giacomo Meyerbeer, Folkart Wittekind, Sabine Henze-Daring - 2002 "M. Lacombe: Der Pianist und Komponist Pierre Louis Trouillon-Lacombe (*26. XL 1818 Bourges, 30. IX. 1884 St. Vaast la Hougue) begab sich nach seinem Studium am Pariser Conservatoire unter anderem bei Zimmermann"
- 1 ルイ・ラコンブとは
- 2 ルイ・ラコンブの概要
- 3 脚注
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