ラリー・ウィリアムズ (投資家)
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ラリー・ウィリアムズ(Larry Williams、1942年10月6日 - )はアメリカの有名な投資家・投機家。ウィリアムズ%R(W%R)などの数多くの投資手法を発案した。1987年のロビンスカップで11376%(113.76倍)の驚異的リターンを出し優勝し世界にその名をとどろかせた、未だにこの記録は破られていない。数多くの投資手法を持っており、セミナーに参加した人だけに伝授する方法もある。タートルズのラッセル・サンズとは親交がある。オレゴン大学卒業。
ロビンスカップ
1984年から始まったリアルタイム・リアルマネーコンテスト。ラリーは1987年にロビンスカップで優勝。1997年には彼の娘で、現在女優をしているミシェル・ウィリアムズが約10倍のリターンを出して優勝。ラリーの投資手法の永続性を証明した。
ただ、毎年の優勝者が高リターンを出しているわけではない(優勝者が利益率50パーセント程度だった年もある)。異常値(ラリーの値)を除いた平均値は約300%である。
All Time HighとBlack Monday
1987年の9月、ラリーのロビンスカップでの年初の口座1万ドルは204万2967ドル(利益率20,329パーセント)を記録した。仲買人は、ここで止めて前人未到の「最高記録」を守るべきだと主張した。トレードを休むのが投資家の矜持として出来ないのであれば、もしくは取引単位を1枚とか極端に少なくして「逃げ切り」を計るべきだとも。
しかし、それでもラリーは400枚以上の取引単位でトレードを続けた。自動取引にしてトレードを管理するスタッフを残し、ラリーがケニアでサファリを楽しんでいる最中にブラックマンデーが起きる。口座残高は半分になった。それでも、ラリーはそれからの3か月で残高113万76ドルにまで戻し、二位以下を圧倒するリターンて優勝した[1]。
私は日計りで100万ドル以上稼いだ
ラリーは自著「相場で儲ける法」の中で彼がロビンズカップで用いた手法は、9割方「日計り」(デイトレード)であったと語っている。
ウィリアムズ%R
MACDやRSIと同じくyahooなどの無料サイトでも使用できるほど知名度が高い指標。『=((過去n日間の最高値-当日の終値)/(過去n日間の最高値-過去n日間の最安値))*100』で算出する。
著書
- ラリー・ウィリアムズの相場で儲ける法
- ラリー・ウィリアムズの短期売買法―投資で生き残るための普遍の真理
- ラリー・ウィリアムズの株式必勝法~正しい時期に正しい株を買う
- ラリー・ウィリアムズの「インサイダー情報」で儲ける方法
脚注
- ^ チャック・フランク「ロビンズカップの魔術師たち」(2006年、パンローリング)252ページ
関連する項目
「Larry R. Williams」の例文・使い方・用例・文例
- 動物愛護協会 R.S.P.C.A.》.
- 彼らの人生に対する観点は還元主義で価値が下がる傾向のものだった−R.H.ロービア
- 故郷を遠く離れて、征服するために新しい地面を探すこと−R.A.ホール
- 米国政府の変わり者−R.B.Taney
- 彼の勇気に対する賛辞…そして、難攻不落の意思−R.E.ダニエリソン
- 並外れて先見の明のある、戦後の関係でありうる経過についての覚書−R.H.ローヴェレ
- 私たちの記憶力におけるまだ開拓されていない貯蔵庫−G.R.ハリソン
- 高潔な人の内部感覚−A.R.ガーニー・Jr
- 罰・・・特質において、本来執念深い−M.R.コーエン
- 幼年時代の模倣の傾向−R.W.ハミルトン
- 人はある意味で神のような力を得たので神のように振舞わなければならない‐R.H.ローヴェレ
- 悲喜劇的な不一致...男性の大志と彼の達成の間にある−B.R.レッドマン
- 巨大な知識の集積…それを我々は文明と呼ぶ−W.R.インゲ
- 風が松を揺らすようなゆっくりとした悲しいささやきに似たさらさらした音−R.P.ウォーレン
- 自尊心のような個性のモル問題というのは機能する−R.R.ハント
- 6月のある日と同じくらい珍しい−J.R.ローウェル
- 丘からの無法者は、町を支配するために、定期的に怒鳴って叫び回った−R.A.ビリントン
- この証拠の重要性は、神秘的で分析のできないものである−M.R.コーヘン
- 単に幸運な計画によってのみ、自然が作動するという想定−M.R.コーエン
- ソクラテスの内省、正直さ、および好奇心の強さ−H.R.フィンチ
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