F1における活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/28 21:51 UTC 版)
「クーパー・カー・カンパニー」の記事における「F1における活躍」の解説
クーパー・500に次いでブリストルBSエンジン搭載のF2マシンも人気を博し、F2規定下で行われた1952年、1953年のF1では多くのプライベーターに供給された。 ワークス・チームとしては、1955年のイギリスGPにプロトタイプレーシングカー改造マシンでスポット参戦(ドライバーはメカニック出身のジャック・ブラバム)。1957年より2,000ccのコヴェントリー・クライマックスエンジンを搭載したミッドシップマシンで本格参戦を始める。翌1958年の開幕戦アルゼンチンGPで、ロブ・ウォーカー・レーシングチームのモスがコンストラクターとしての初勝利を達成。これはF1史上、プライベーター・チームが記録した最初の勝利でもあった。1959年にはエンジンを2,500ccまでボアアップし、ワークス、プライベーター両チーム合わせて9戦中5勝を記録。コンストラクターズ選手権を初制覇し、ワークスチームのブラバムがドライバーズチャンピオンに輝いた。翌1960年もブラバムの5連勝を含む10戦中6勝を挙げ、両タイトルを連覇した。 クーパーの快進撃に衝撃を受けた他チームはこぞってミッドシップマシンを開発。チーム・ロータスらの台頭により、徐々にクーパーの優位は失われていく。ブラバムの独立後、ブルース・マクラーレンが新エースとなるも成績は下降。チャーリー・クーパーが死去し、息子ジョンも交通事故で負傷した後、1965年に会社はチップステッド・モーターグループへ売却される。クーパー名義での参戦は続き、1966年にマセラティエンジンを搭載してジョン・サーティース、ヨッヘン・リントらが好走。しかし再び戦力を落とし、1969年末にF1からの撤退を決めた。
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