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エドゥアルト・ファン・ベイヌム

(Eduard van Beinum から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 06:00 UTC 版)

エドゥアルト・ファン・ベイヌム
Eduard van Beinum
1956年のベイヌム
基本情報
出生名 Eduard van Beinum
生誕 1901年9月3日
出身地 オランダアーネム
死没 (1959-04-13) 1959年4月13日(57歳没)
オランダアムステルダム
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン
活動期間 1917年 - 1959年

エドゥアルト・ファン・ベイヌム(Eduard van Beinum, 1901年9月3日 - 1959年4月13日)は、オランダ指揮者

生涯

オランダ東部の町アーネムの音楽一家のもとで生まれ、幼少の頃から兄についてヴァイオリンピアノの手ほどきを受け、16歳でアルンヘム管弦楽団のヴァイオリニストとして入団し、その傍ら指揮の勉強を始め、翌年にはアムステルダム音楽院に入学し、ピアノ、ヴィオラ作曲を学ぶ。

1920年にはまずピアニストとしてデビューしたが、同時に各地のアマチュアの合唱団やオーケストラで指揮をとり始め、まもなく指揮者に転向した。1927年にプロの指揮者としてデビューし、同時期にハールレム交響楽団の音楽監督に就任。1929年6月に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団へデビューし、1931年ピエール・モントゥーの推薦とウィレム・メンゲルベルクの招きで同楽団の次席指揮者となった後、1938年からはメンゲルベルクとともに首席指揮者として活躍した。1945年以降は常任指揮者。また、その間客演指揮者として、レニングラード・フィルロンドン交響楽団等、ヨーロッパ各地の交響楽団に出演[1]

戦後の1945年、メンゲルベルクがナチスへの協力の廉でスイスに追放されると、ベイヌムはメンゲルベルクの後をついで、コンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督兼終身指揮者に就任した。またコンセルトヘボウ管弦楽団とロンドン公演を行い、1949年から1951年にかけてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任。1954年にはフィラデルフィア管弦楽団を指揮してアメリカへのデビューを果たした[1]1956年から1958年にかけて、ロサンジェルス・フィルハーモニックの終身指揮者として迎えられた。

元来病気がちで、晩年には心臓病を患っていた。1959年4月13日に、アムステルダムでブラームス交響曲第1番のリハーサルを行っていた最中に心臓発作で倒れ、57歳で死去した。

ブルックナーの演奏で知られるほか、バッハからドビュッシーバルトークショスタコーヴィチやオランダの現代音楽に至るまで幅広いレパートリーを誇っていた[1]

演奏について

ベイヌムは新即物主義に属する演奏家が台頭してきた世代に属する指揮者であるが、その音楽は決して形式的な冷たいものではなく、常に暖かな音楽性と瑞々しさに満ちたものであった。また前任のメンゲルベルクが濃厚なロマンティシズムと強烈な個性を過剰なまでにむきだしたのに対して、ベイヌムは飽くまで作曲家楽譜に書き込んだ音楽自らに語らせるという、真摯で正統的な演奏を行った。リハーサルも前任のメンゲルベルクとは大きく異なり、練習後は指揮台に残って団員と相談して問題解決していく姿勢を貫き、オーケストラに自発性を大きく求めた点でも対照的である。録音は少なくないものの、ステレオ黎明期に倒れたことは死後の名声を維持する点でマイナスに響いた。それでもなお今日も忘れられることなく一定のファンに愛されている指揮者である。

録音

ベイヌムは1941年ドイツのテレフンケンとドイツ・グラモフォン(ポリドール)の2つのレーベルに録音を残し、戦後は1946年から1953年にかけてイギリスデッカと、1954年から1958年までオランダ・フリップスに多くの録音を残している。またデッカにはロンドン・フィルとコンセルトヘボウ管を指揮して30枚ほどのLPを残している。

デッカへの録音

などがある。

フィリップスへの録音

などがある。

その他

  • トレーナーとしても傑出し、楽団員から崇拝されていた。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c エドゥアルト・ヴァン ベイヌム(英語表記)Eduard van Beinum”. コトバンク. 2021年8月31日閲覧。
先代
ニコ・ゲルハルツ
ハールレム交響楽団
首席指揮者
1927年 - 1931年
次代
フリッツ・シューマン

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