CEDビデオディスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 04:42 UTC 版)
同社は、民生用において繰り返し録画再生が出来るビデオカセットレコーダー(VCR)よりも、“絵の出るレコード”と言われたビデオディスクの開発に注力しており、1960年代から着手した静電容量方式のCED開発に50億ドルの開発費用を費やし、1981年に「セレクタビジョン」の商標で北米(NTSC)およびイギリス向けのPAL版が発売された。 RCA及び@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日立や三洋、東芝などの日本の家電メーカーが製造販売し、OEM供給を請けた米国ゼニス(現在はLGの別ブランド)、映写機メーカーのエルモ、シアーズ、J.C.ペニー、タンディー・ラジオシャック(リアリスティック)などのストアブランド、PBブランド他から大量に流通された。[要検証 – ノート] 日本においては、日立製作所(当時VHSビデオデッキをRCAへOEM供給(松下に継いで2代目)していた)に市販化を要請したものの、VHDとレーザーディスク間での規格競争が繰り広げられ、1978年にゼネラルから先行して市販されたTeD方式(独・テレフンケン(ディスク形状はソノシートに近く、収録時間は10分程度)は失敗に終り、コレクター向けの直輸入品を除き、市販されることは無かった。 なお、VHDはCEDと同様にキャディーごと再生機に投入してディスクの出し入れを行うが、VHDはディスク上に溝が無いなど、規格は全く別物である。 1984年4月にCED事業撤退が報じられる。莫大な開発費用の回収に見合う収益が見込めないためとされる。1985年まで供給は続けられた。
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