BOØWY時代
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1980年プロデビューしたものの、思い通りにならないことが多く脱退。群馬へ帰る決意をした頃、当時の彼女から貰ったチケットで、思い出のつもりで7月5日日比谷野外音楽堂でのRCサクセションのライブを観る。それが新たなモチベーションを与えたといわれている。当時18歳の布袋寅泰を電話で六本木の「アマンド」に呼び出し、バンド結成の話を持ちかけた。そして、彼の協力のもと曲を作り、新たなバンド作りに取り掛かる。2人が再会した際に、布袋は、「群馬時代は硬派な印象だった氷室の風貌がニューウェーブ風になっていることに驚いた」というエピソードを残している。9月、松井恒松が加入。その後、深沢和明、諸星アツシが加入。 1981年バンド名を「暴威」と命名。5月11日、新宿ロフトでデビューライブ「暴威LOFT FIRST LIVE」を行う。高橋まことが加入。 1982年バンド名をBOØWYに改名。3月21日、アルバム『MORAL』でBOØWYのボーカリストとして再レコードデビュー。 1984年12月「狂介」から「京介」に改名。 1987年12月24日 - 既に絶頂期の人気を獲得していたBOØWYは、解散するという噂とともにツアーを続けていた。ファイナルの渋谷公会堂のアンコールの時に、氷室がバンドの終焉を宣言した。 1988年4月4日、5日完成間もない東京ドームで、2日間にわたるBOØWYのライブLAST GIGSが行われ、BOØWYとしての活動に幕を下ろした。
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