Bの夫E殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 09:09 UTC 版)
「久留米看護師連続保険金殺人事件」の記事における「Bの夫E殺害」の解説
1999年(平成11年)2月、YはBの家を訪ね、そのタイミングに合わせてCに興信所の人間「古林」(実在しない人物)になりすましてBの夫Eの浮気のことで電話をかけさせ、CにBではなくYに間に入ってもらうと一方的に申し出させる。しばらくしてBに会ったYは架空の興信所職員「古林」に会ってきたとBに話し、Eが浮気相手に貢ぐために人を騙して金を巻き上げ被害者の中には自殺者もいるため恨みを買っていることを伝える。Yはいい方法があるとしてEの殺害を持ちかけた。YはAとCに実行役をさせるために、Aには「先生」やその側近が苦境で金が必要であることを訴え、Cには「井田」への返済が残っていることを示唆してそれぞれ了承させた。4人は急性アルコール中毒に見せかけた薬物殺人を計画、3月27日の決行を決めた。3月27日夜、Bは睡眠薬入りのカレーライスとウイスキーでEを眠らせ電話でY、A、Cを呼び寄せる。午後11時前、Y達は福岡県大川市にあるB宅に到着し、Bに家族が起きてこないか見張りをさせ、AとCが医療用のマーゲンチューブを鼻から胃に通し、Yが注射器で吸い取ったウィスキーをチューブに流し込んだ。YはEの体内に1本半分のウィスキーを流し込むと、CにEの静脈に空気を注射するよう指示し、Cが30CCの空気を静脈注射し、翌3月28日Eの心臓は停止した。Eは救急車で運ばれる際に一度息を吹き返したが、搬送先の病院で死亡した。Yは「古林」の指示として保険金受け取り口座の通帳と印鑑をBから取り上げた。
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