AD&D 第1版(1977-1988年)
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「アーラコクラ」の記事における「AD&D 第1版(1977-1988年)」の解説
前述の通り、アーラコクラの初出は『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ』(AD&D)第1版のモンスター集、『Fiend Folio』(81年、未訳)で、発案者は冒険モジュール(シナリオ集)、『ホワイト・プルーム・マウンテン(英語版)』のデザイナーであるローレンス・シック(英語版)である。その後、同じく冒険モジュール、『The Forgotten Temple of Tharizdun(英語版)』(82年、未訳)にある野外マップに“アーラコクラの高原(Plateau of the Aarakocra)”なるアーラコクラの居住地が登場する。 『ホワイトドワーフ』39号(1983年5月)では、アーラコクラの神である“空の貴公子(The Skylord)”K'ooriallが紹介された。 ドラゴンランス世界の冒険モジュール、『Dragons of Light』(1985年、未訳)では南エルゴス地方の霧籠りの谷(Foghaven Vale)を拠点とする、120人のアーラコクラの部族とその王が登場する。 また、同年発売の冒険モジュール、『Dark Clouds Gather』(85年、未訳)でも、アーラコクラの部族が物語の重要な役割を持って登場した。 『ドラゴン』124号(1987年8月)にはJ・E・キーピングによる特集記事、“鷲の翼(The Wings of Eagles)”によってPCとNPC化するデータが紹介された。また、同記事のサイドバーにはクリストファー・ジョーンズによって、アーラコクラの下級神、Krocaaが紹介された。
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「カンビオン (ダンジョンズ&ドラゴンズ)」の記事における「AD&D 第1版(1977-1988年)」の解説
カンビオンは『Monster Manual II』(1983年、未訳)にて初めて登場し、一般的(Major)な個体に加えて、男爵/侯爵(Baron/Marquis)の2種が紹介された。
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