8000系の増備と置き換え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 06:26 UTC 版)
「京阪3000系電車 (初代)」の記事における「8000系の増備と置き換え」の解説
1989年(平成元年)10月の鴨東線開業に伴い運用増で不足する特急車の補充として、18年ぶりの新型特急車8000系の導入が発表され、8000系7両1編成と6両で残っていた本系列5編成を7両化するための中間車5両の計12両が新製投入された。 これに合わせて本系列の7両固定化が決まり中間となる運転台を簡易運転台に、車掌台に電話室を設置する工事が実施されることとなった。その内容は、運転台はそのままで、車掌台は機器の撤去と乗務員扉の固定、3500型 についてはカード専用公衆電話機を設置。外部は列車無線アンテナをNTT仕様の通信アンテナに交換するとともに先頭下部スカートも撤去された。 一方、8000系の人気は予想を上回るもので出町柳駅や淀屋橋駅では本系列を見送ったり、本系列に1両だけ組み込まれた8000系中間車に乗客が集中するといった現象が見られた。このため、特急車を全面的に8000系に置き換える方針に変更され、本系列は主電動機などの機器を8000系に転用の上、廃車することとなった。これは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が京阪特急のライバルである新快速用として新造した221系への対抗策としての意味合いも込められていたとされている。また、本系列が先代特急車1900系のように3扉・通勤車化改造されなかった理由は、8000系に主要機器を流用して、その新造費用を低減するためと、鋼体構造が3扉化に不向きだったためとされる。 この計画変更のため、既に電話室が設置された3500型 については、編成の置き換えに際して残存編成の未改造車との組み替えが実施された。廃車は1編成7両 と2両の予備車 を残して進められ、3500型と3000型の各10両 が富山地方鉄道および大井川鉄道(現・大井川鐵道)に譲渡された。
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