7年間だけの復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 14:27 UTC 版)
「大正座 (滋賀県)」の記事における「7年間だけの復興」の解説
戦中から戦後にかけて時期は不明であるが、閉館している。戦後間もなくの時期は正面が雨戸で閉ざされ、廃れており、閉ざされた同館の前で紙芝居が子どもたちを集めている写真が残っている。1948年(昭和23年)8月には、角正太郎(1899年 - 1987年)が文榮座を入手して復興しており、草津の映画館は1館だけが営業を再開した。1954年(昭和29年)10月15日には、草津町は市制を施行して草津市になった。1956年(昭和31年)には、角正太郎がこの大正座を入手し、草津映画劇場と改称して復興した。角は、同年、文榮座のある大路井町に新たに草津第二映画劇場(のちの草津シネマハウス)を開館している。市内の映画館は3館になった。戦後の同館経営者の角は、1958年(昭和33年)11月2日には、伊藤武郎の独立映画に協力して、東京に映画の製作会社として大東興業を設立、同社において『キクとイサム』(1959年)、『武器なき斗い』(1960年)の2作をしている。この時期の同館は、一定の映画会社の封切館ではなく、日本映画各社の作品をブッキングして上映しており、「本陣小路」を撮影した写真によれば、同館で大映が配給した『裁かれる十代』(監督佐伯幸三、1956年4月11日公開)を上映したことがわかる。 1963年(昭和38年)、閉館した。同館の閉館により、同市内の映画館は、草津駅に近い大路井町にある草津第二映画劇場(経営・角沙門)および草津東映劇場(かつての文榮座、経営・舟木秀之)の2館になった。2014年(平成26年)現在の同館跡地は、Google マップの空撮写真によれば駐車場である。
※この「7年間だけの復興」の解説は、「大正座 (滋賀県)」の解説の一部です。
「7年間だけの復興」を含む「大正座 (滋賀県)」の記事については、「大正座 (滋賀県)」の概要を参照ください。
- 7年間だけの復興のページへのリンク