5種類の軍隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:02 UTC 版)
「中島飛行機半田製作所」の記事における「5種類の軍隊」の解説
中島・半田に関係する軍の人数は1945年2月現在で従業員数の1.4%(計算すると約400名)だった。軍の内訳としては、整備隊・工作隊・高射砲隊・監督官・憲兵隊の5種類である。 海軍整備隊とは第二相模野海軍航空隊(厚木航空隊から分離)に属し、高等科整備練習生を中心とするグループだった。実習訓練ということで派遣され、士官2名、高等科練習生(下士官)25名、兵30名の構成。兵舎は高根寮(全体計画図のi)と呼ばれた。業務は整備工場などで彩雲にプロペラや計器・燃料パイプなどを取り付け、空輸できる状態にすることだった。 海軍工作隊は中島の籠池寮に従業員たちとは別棟に約200人ほど居住し、横穴壕を掘ったり工場で作業したらしいが、詳しいことはわかっていない。 高射砲隊は、高射第二師団独立高射砲第47大隊に所属し、1945年6月に稲沢・刈谷と同時に半田に配属された。半田の防空陣地としては、中島本工場5号棟屋上、本工場外の東(工場南東の稗田川の湾曲したところ)、桐が丘、土井山などに設営されたといわれる。機関砲か機関銃程度であったらしく、半田空襲でもほとんど役に立たず、アメリカ爆撃機の被害は2機の軽い損傷だけだった。 監督官と呼ばれたグループは、名古屋海軍監督事務所に属し、半田の監督官事務所に常駐した。1945年1月の所員は、所長1名、海軍技術士官6名、事務員等4名、軍需監理官(東海軍需監理部所属)として陸軍士官が2名。業務は、海軍航空本部との連絡、諸々の製品の検査が中心。ただ軍需監理官も兼任したので、工場疎開、労働力確保、工具の補給、協力工場の拡大などの仕事もあった。 憲兵隊も頻繁に工場や寮を見回りに来た。
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