4期生の誕生――持丸の退会とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 4期生の誕生――持丸の退会の意味・解説 

4期生の誕生――持丸の退会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 00:42 UTC 版)

楯の会」の記事における「4期生の誕生――持丸の退会」の解説

7月26日から8月23日まで、第4回体験入隊陸上自衛隊富士学校滝ヶ原駐屯地行われた。この回を三島持丸博と共に引率したのは森田必勝であった小隊戦闘訓練行なった20日の夜、営舎で関河真克(同志社大学)が横笛で『蘭陵王』を吹いた終了日の8月23日御殿場旅館行われた慰労会では、この時にちょうど映画富士山頂』の撮影御殿場来ていた石原裕次郎渡哲也招かれた。三島2人が来る前に、「サイン求めたりしないこと。軍人として接するように」と会員たちに指示した。 この第4回体験入隊で、野田隆史、西尾俊一倉田賢司の「十二社グループ政治結社祖国防衛隊」)」、佐原文東椎木理の「尚史会」、田村司(神奈川大学)、向井敏純(神奈川大学)の生長の家系、井上豊夫(上智大学法学部)、関河真克などが4期生となった。これで楯の会会員は全80となった。 しかしこの頃楯の会の主要古参会員中辻和彦万代潔らと三島との間の齟齬大きく表面化し三島意に反して金銭感覚女性関係がルーズだった中辻財政難の『論争ジャーナル』の資金源田中清玄求めたことが決定的な亀裂となり、8月下旬中辻万代数名1期生楯の会退会した楯の会全員旅費滞在費、食費雑費制服代などの費用はすべて、三島賄っていたが、田中清玄が「自分三島楯の会パトロンである」と財界で吹聴していたことが三島耳に入り楯の会の名誉を重んじる三島怒り買った三島ルーズな中辻に、「きみは雑誌なんかやめて、リュックサック背負って田舎帰れ」と面罵したという。 持丸はちょうその頃、会の事務手伝っていた恋人松浦芳子との結婚決め2人揃っての正式報告受けた三島もそれを喜び大きな桜の花びらを浮ばせたお茶驚かせ祝福していた。中辻親しかった持丸は、三島中辻のどちらの側に付くか迷ったあげく、『論争ジャーナル』の副編集長活動楯の会活動両方辞めることに決めた三島は、全幅の信頼置いていた司令塔持丸だけは辞めさせる気は全くなく、彼が辞めるとも思っていなかったため、「楯の会仕事専念してくれれば生活を保証する」と何度も説得して引き留めたが、帝国警備保障での役員就職決めていた持丸はそれを辞退した三島は、わが子に裏切られ父親のように落胆し一時楯の会解散を口にするほどだった。持丸外部から楯の会手伝ということになり、三島はそれを渋々ながらも諒承したが、大事な右腕だった持丸失った悲嘆困惑深く山本1佐に、「男はやっぱり女によって変わるんですねえ」と悲しみ怒りの声でしんみり言ったという。 9月14日市ヶ谷会館行われた9月例会で、新たな編成がなされ、木曜日班長会議を行うことになったパレード行進練習も夏頃から朝霞基地行っていた。10月上旬三島鎌倉川端康成宅を訪問し11月予定楯の会一周年記念式典での祝辞挨拶依頼する断られ意気消沈した

※この「4期生の誕生――持丸の退会」の解説は、「楯の会」の解説の一部です。
「4期生の誕生――持丸の退会」を含む「楯の会」の記事については、「楯の会」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「4期生の誕生――持丸の退会」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  4期生の誕生――持丸の退会のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「4期生の誕生――持丸の退会」の関連用語

1
6% |||||

4期生の誕生――持丸の退会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



4期生の誕生――持丸の退会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの楯の会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS