2012年のアメリカ大統領選
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「ジミー・マクミラン」の記事における「2012年のアメリカ大統領選」の解説
マクミランは、民主党の一員として登録された。ところが、2010年12月23日に「俺は共和党に鞍替えする」と言って2012年の大統領選に共和党員として出馬するとした。理由は、現職のバラク・オバマに民主党の指名を受けるための候補者争いするのを避けるためだった。 彼はまた、パフォーマンス・アーティストで活動家のヴァーミン・ラヴ・シュプリーム(英語版)と協同して選挙戦にあたり、シュプリームの2012年大統領選に取材したドキュメンタリー、「ヴァーミン・シュプリームとは誰だ?はみ出し者の航海録」(原題:Who Is Vermin Supreme? An Outsider Odyssey, スティーブ・オンデリック監督)にも出馬仲間として登場した。マクミランとシュプリームは、自分が大統領に選ばれたら、副大統領に相手を指名するという盟約をお互い結んだ。 マクミランは、2011年2月の保守政治活動協議会(CPAC)や、3月のノースイースタン大学で政策科学学生協会が開いた政治集会に出席し、重要な政策議題について討論した。マクミランは、抗議運動「ウォール街を占拠せよ」の際には、抗議者たちは投票すべきでない人物に投票してしまったと批判したが、抗議者らが抗議する権利は擁護した。2011年11月15日、マクミランは、抗議者らが占拠した会社の一つのの23階オフィスで公判を開き、自分の法律スタッフとメディアの代表者らの話し合いに余計な口を挟んだ。また、2012年のオキュパイ・テナフライで行われた五月祭で基調講演を行い、抗議者たちに向けて、大学の授業料も「クソ高すぎる」と述べた。 マクミランは、自分の強みは「ソーシャルメディアを握っていることと、ケチることがうまいことと、誰にもマネできない斬新な政策を思いつくこと」だとした。しかし、マクミランはどの共和党討論会にも呼ばれず、指名候補者争いにも投票用紙に名前を載せることができなかった。2012年9月13日、マクミランは翌年のニューヨーク市長選に鞍替え立候補をすることにし、オバマ大統領を信任した。
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