1st『ソウルフライ』 - ラインナップの変化
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「ソウルフライ」の記事における「1st『ソウルフライ』 - ラインナップの変化」の解説
バンドの名が掲げられた1stアルバム、『ソウルフライ』は1998年の春にリリースされた。その音は、ヘヴィメタルとハードコア・パンクの融合というスタイルを、極点まで突きつめたものであった。 怒りや哀しみといった激情、母国ブラジルへの愛、プリミティヴなリズムを希求する本能など、マックスのヘヴィミュージックへの直情的な欲求が、如実に現れたこの作品は、ヘヴィメタルを含むラウドロック界だけでなく、ブラジル音楽などの様々なシーンで驚くほどの高い評価を受ける。マックスは「怒りと悲しみを混ぜ、純粋さへと戻っている」とも表現している。 さらにこのアルバムでは、フィア・ファクトリーのBurton C. Bell(vo)、Dino Cazares(g)、Christian Olde Wolbers(b)、デフトーンズのChino Moreno(vo)、リンプ・ビズキットのFred Durst(vo)、DJ Lethal(turntable)、Cypress HillのEric Bobo(per)、Dub WarのBenji Webbe(vo)、R.D.Pなど、豪華なゲストが数多く参加し、様々なコラボレーションを実現している。プロデュースは、この手では名腕と知られる有名人Ross Robinson。ビルボード200の79位まで上った。 アルバム発表後、ギタリストがローガン・メイダー(Logan Mader、かつてはMachine Headで活動)に代わり、ツアーを開始するがすぐに脱退、マイク・ドーリング(Mike Doling、かつてはSnotで活動)をサポートに迎え、1999年2月に初の来日公演を果たしている。ここでバンドに参加したマイクはその後、正式メンバーとしてソウルフライに加入する。 大絶賛を受けたこの来日公演直後に、ロイ・マイヨルガも脱退を表明。マックスの友人であるDave Lombardo(Slayer)の推薦を受けて、ジョー・ヌネズ(Joe Nunez)という当時まだ無名だった若手ドラマーを新たに迎え、次作への準備を開始する。それと同時に、2000年7月2日には、Ozzfest 2000に出演。全米に新ラインナップのソウルフライを披露し、新曲『Back To The Primitive』、『Boom』などを演奏した。 マイヨルガの脱退の理由は、ローガン・メイダーとバンドを組みたい、というものである。この言葉が火種となった喧嘩別れと言うことだったが、3rdアルバムでは再度メンバーに加わり、お互いを認め合っている。ジャクソン・バンデイラはツアーで世界を回る意思がないことから脱退し、Nação Zumbiへ戻っている。 ソウルフライを率いる傍ら、マックスは、普通はヘヴィメタル・ミュージシャンと関わることがない分野へ進出していく。New York and Holland's Crossing Boarder Festivalで行われたCMJ's New Music Marathonに名を連ねたり、母国ブラジルで放送された清涼飲料水のテレビCMで歌うなど、ミュージシャンとして再び人気を博すようになる。
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